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アメリカ人のクリストファーは、子供を日本に連れ帰った元妻のマキコに賠償を求め、テネシー州の裁判所は約5億円の支払いをマキコに命じた。
…とはいえ、この判決はあくまでアメリカの裁判所が出したものなので、アメリカ国内だけで通用します。だからマキコさんは、日本において実際に5億円近いお金を取りたてられたり、財産を差し押さえられたりすることはありません。
外国の裁判を日本国内で通用できるようにするためには、日本の裁判所で「承認」という裁判手続きの一種を経なければなりませんが、日本の裁判所は決して、この判決を承認しないでしょう。
さて、以前にも書きましたが(こちら)、「ハーグ条約」では、国際間の離婚でも「共同親権」つまり父母両方が親権を持つとして、子供をどちらが引き取るかもめた場合は裁判所が決める、それまでは元々住んでいた環境に置いておく、と決められています。
それによれば今回のケースでも、子供が生まれたアメリカで、裁判の結果を待たなければならなかったでしょう。子供が何歳かは新聞記事に出ていませんが、乳飲み子であったとすれば、子供がかわいそうであるように思われます。
欧米諸国は日本にハーグ条約を締結するよう求めています。非常に微妙な問題であり、私も専門的に調べたわけではないですが、個人的には反対です。
条約を締結する以上は、それに基づき国内の法律も整備され、今回のようなケースについて何らかの罰則が定められることになるかも知れない。
罰則がなくとも、このマキコさんには「条約や法律に反した行動を取った者」という評価が与えられることとなります。アメリカみたいに何億もの賠償が命じられることはないでしょうけど、マキコさんは「違法」なことをしている以上、何らかの賠償に応じざるをえなくなるでしょう。果たしてそれが妥当かどうか。
最近みたネット上のニュースでは、菅内閣は条約締結に向けて調整を行なう旨、閣議決定したようです。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に加入するかどうかという重大問題すら、震災への対応で棚上げにしているのに、こちらだけ拙速に進めていってよいのかという危惧感を持ちます。
もちろん、条約締結は内閣だけでできず、国会での承認が必要です。その過程で、幼い子供のために何が一番望ましいのか、きちんと議論されることを望みます。
あまり報道されていないようですが、日経(10日夕刊)の小さい記事から。
アメリカから子供を連れ帰った日本人の元妻に対し、アメリカの裁判所が、610万ドル(4億8900万円)の支払を命じる判決を出したそうです。
事実関係があまり書かれていないので、一部推測を交えて整理します。
クリストファーさんというアメリカ人の男性が、マキコさん(仮名です。新聞に名前は出ていなかったので、私の妻の名前を勝手に借用)という日本人女性と結婚し、アメリカで子供2人をもうけた。
その後、2人は離婚することとなり、子供はマキコさんが引き取ることとして、ただクリストファーさんには定期的に面会させるという約束をした。
マキコさんは子供2人と日本に帰り、福岡で暮らしました。クリストファーさんと子供が面会する約束は、日米の距離のせいか、他の理由があったのか、次第に果たされなくなった。
そうした中で、クリストファーさんは2年前、福岡にきて子供をアメリカに連れて帰ろうとし、誘拐容疑で逮捕されたこともあったようです。なお、日本の刑法の解釈としては、いかに実の父親でも、母が引き取って暮らしている子供を勝手に連れ帰ろうとすると、誘拐罪にあたります(その後、不起訴で釈放)。
クリストファーさんはアメリカのテネシー州に帰って裁判を起こしました。結果が、冒頭の判決です。判決の理由は、マキコさんが子供と面会させる約束を果たしていないから、ということのようです。
日本人の多くは、この判決を聞いて、「はあ?」と思うでしょう。
日本国内において子供の親権を有する母親が、子供と父親を会わせるのは妥当でないと判断して、父親との面会を拒否したら、何億もの賠償を命じられないといけないのか。
欧米では離婚後も両親に親権があるとされる国が多いので、こういう判決も出るわけです。またアメリカでは、賠償金の相場が日本とは全く異なるということもあるでしょう。
では果たして、マキコさんは何億円ものお金をクリストファーさんに支払わなければならなくなるのでしょうか?
…続く。
日本のような法治国家であれば、世の中のたいていの問題には、あてはめることのできる法律が存在しています。
つい先日、自宅で夜のニュースを見ていたら、菅総理が画面に出ていて、「中部電力の浜岡原発を停止する」と言いました。私は、何だかエライことになったなと思いつつも、あとで、総理大臣が原子力発電所を停止できるという根拠条文を調べてみようと思いました。
ちなみに、原発を設置するにあたっては、総理大臣の許可が必要です。いま、移動中の新幹線の中で書いているため手元に資料がないのですが、原子力関連の法律にそう定められていたはずです。
街なかで食べ物屋さんをやる際には保健所の許可が必要ですが、原発みたいに大変なものを置くからには、行政のトップである総理大臣の決裁が要るわけです。
許可を得た食べ物屋さんでも、今般ユッケで食中毒を出して問題になった焼肉屋みたいに、衛生上ふさわしくないと認められた場合は、営業停止や、許可の取消しといった処分が行なわれます。これらも、すべて法律に規定があります。
同様に、原発を停止するにも、どういうときにどういう手続きでそれを命じることができるか、きちんと法律に書かれてあるのだろう、と思っていました。
ところが、新聞報道などを見ていますと、菅総理の要請は「法的な根拠のない」(本日の日経朝刊など)ものなのだそうです。つまり、「まあ、ここはひとつ、止めてくれんかね」と「お願い」しているに過ぎないのです。
たしかに、法律に書いていなくても、多数の利害を調整したり、問題を未然に防いだりするために積極的に動いていくのが政治の役割だと思うので、今回のようなやり方も政治的判断としてはありうるものだとは思います。
ただ実際には、東日本大震災に関して、全くリーダーシップを発揮してこなかった菅総理が、浜岡原発の停止に限ってリーダーシップを示したとは考え難い(もし本当に菅総理が独断で決めたのだとしたら、これほど大きい問題を突然独断で決めたこと自体、責められるべきです)。
おそらく、経済産業省や原子力保安院の官僚の進言があって、それを受け入れたのであろうと推測しています。民主党は「政治主導」だと言いつつ、誰も何も政治的判断ができず、官僚に利用されていることになります。
話がまとまりませんが、今回の菅総理の要請(そしてその背後にあるであろう官僚の要請)が妥当なものであったのか否か、私には判断する材料がありません。それは、過去に起こった事件に法律をあてはめるのが主な仕事である弁護士の限界であり、将来に向けてどのような政策を取るべきかは、法律をいくら参照しても答えがないのです。
せめて菅総理には、今回の要請に至ったプロセスと、今後やろうとしていることをきちんと説明し、後世の私たちが「あのときの判断は正しかったのか否か」を検討するに足る材料を与えてほしいと思っています。それも政治の役割であるはずです。
堀江氏の上告棄却決定が出た直後の新聞で「実刑確定へ」という見出しが多く見られました。「確定へ」ということは、まだ確定していないという意味でもありますので、このことについて触れます。
一般的な話として、新聞の見出しの末尾は、情報の確かさで言えば「へ」「か」「も」の順番になる、という話を聞いたことがあります。
確かに、たとえば「沢尻エリカ離婚へ」「沢尻エリカ離婚か」「沢尻エリカ離婚も」と並べてみると、後に行くほど、情報がまだ不確かであるようなニュアンスがあります。
「へ」というのは、ほぼ既定の路線だけど、まだ決まりきっていないという文脈で使われます。
堀江氏の事件では、最高裁の判断が出ているのにまだ決まっていないのはどういうことかと言うと、最高裁の上告棄却決定に対して3日以内に異議申立てが認められているのです。
最高裁の決定は、申立て期間が過ぎたときや、申し立てた異議が棄却されたときに確定することになります.
ただ、日本の裁判は「三審制」だから、地裁・高裁・最高裁まではたいてい受けつけてくれますが、最高裁に対する異議申立てというのは、極めて例外的な制度です。
ここでデータとして数字を見てみますと、平成5年というやや古い資料ですが、1年間に最高裁へ上告された刑事事件は1251件で、そのうち、最高裁で結論がひっくり返ったというのはわずかに1件だけです(田宮裕「刑事訴訟法」有斐閣)。
さらに、最高裁で結論が出て、それに対する異議申立てをしてひっくり返ったケースがあるかというと、きちんと調べてはいませんが、戦後、今の裁判制度ができてから、1件も存在しないと思います。それほど例外的な制度なのです。
ですから、実務的な感覚としては、最高裁で判断が出たら、「確定へ」というよりは「確定した」と言い切っていいように受け取っています。
報道する側の感覚としては、これまで1件もなかったとしても、可能性はゼロでない以上、「確定へ」と表現するのだということなのかも知れません。
ただその姿勢をつきつめると、世の中には「確定した」裁判というものは存在しなくなってしまいます。民事でも刑事でも裁判には「再審」という制度があり、判決が確定して何年たった後でも、その裁判に明白な誤りが発見されれば、それが覆される可能性はゼロではないからです。
「沢尻エリカ離婚へ」と言われると、どうせまたひと悶着を起こすんだろう、という感じに受け取られますが、「最高裁決定で実刑確定へ」と言う場合は、「確定した」と言うのに限りなく近い「へ」であると受け取ってもらってよいと思います。
東電はいくらの賠償金を払うことになるかについて。
まず東電は、1200億円までなら払えます。そういう保険に入っているからです。これも「原子力損害の賠償に関する法律」に規定があり、原子力事業を行なおうとする者は、事前に、保険会社に1200億円の保険をかけておかなければならない、とされています(7条)。
危険物を扱う者は、何かあったときの賠償に応じる準備をしておかないといけない、という趣旨で、車に乗る人が最低でも自賠責保険に入らないといけない(自動車損害賠償保障法)というのと同じです。
ただ、自動車事故なら、そこから発生する損害はだいたい予測できる。
しかし、原子炉を扱う業者にとって、最悪のケースが発生した場合の損害額は予想もつかないでしょう。
では「1200億円」の保険、という数字はどこから出ているのか。
今回の原子炉事故による被害は、どこまで広がるかわかりません。1200億円は超えるでしょうし、「兆」の単位になるとも言われます。しかし、保険会社がそんな巨額の保険金を支払うとなると会社が潰れるかも知れない。だから保険金の上限が法律で決められているわけです。
これは決して、東電の責任が1200億円に限定されることを意味しません。損害のすべてについて責任を負うけど、支払えない、というだけのことです。
しかし東電を破産させるというのも、電力の供給ということを考えれば現実的でない。
どんなときにどんな援助を行なうのか、これまで明確に論じられたことはないのですが、最終的には国費(すなわち税金)で補償がされるのでしょう。その過程で、東電が国の管理下に置かれることとなるという議論も出ているようです。破産させることができないので国有化するわけです。
このように、原子力災害による賠償については、法律はあっても先例がないため、その解釈には今後も多少の混乱が生じるでしょう。
安易な増税は許してはいけませんが、ある程度の負担は我々国民一人ひとりが負うべき使命として理解すべきです。
例えば、農作物の出荷停止などによる被害を受けた農家に対しては、農協(以下JA)が融資や補償を行い、その分は農協が取りまとめて東京電力(以下東電)に請求する、ということになるようです。
その東電の賠償責任について書きます。
まず1つめの問題。
この法律は、原子力事業者(ここでは東電)に対し、原子力災害については「無過失責任」を負わせます。つまり、原子炉の管理に落ち度はなかったとしても、結果に対する責任を負わせるものです。
ただし、原子炉の事故が「異常に巨大な天災」などにより生じた場合は責任は負わない、とされています(3条)。
何をもって「異常に巨大」とするのかは、これまでほとんど論じられず、判断基準もないと言えます。この問題を、誰がどう決めるかというと、もちろん裁判所です。
具体的には、JAが東電に賠償を求めて裁判を起こす、東電側が「異常に巨大な天災」であると主張して賠償を拒否する、そうなれば裁判所が判決を出して決着させることになります。
ただ、現在の状況では、東電がこの条文を持ち出して賠償を拒否することはなさそうです。そんなことをすると、東電は轟々たる非難を受けるでしょう。法律を持ち出せば勝てるかも知れないけど、企業の社会的責任を考えて、裁判に持ち込まずに賠償に応じるというのも、ままあることです。
ということで、1つめの問題の回答は、東電に法律上の賠償責任はないかも知れないけど、おそらく東電は自ら任意に賠償責任を負うであろう、ということになります。
そこで2つめの問題。東電はいくらの賠償責任を負うか。ここ最近の報道では、東電が負担するのは1200億円までで、あとは国が負担する、などと言われています。
菅総理が、福島など4県で取れた牛乳やホウレンソウを「出荷制限」する指示を出したとのことです(22日各紙朝刊)。これは、前回にも紹介した「原子力災害特別措置法」(以下「措置法」)に基づくものです。
テレビを見ていますと、枝野官房長官が記者会見で、措置法の「第20条3項に基づき」と発言していました。
応急対策の内容としては、措置法26条に「原子力災害の拡大防止を図るための措置」などと掲げられていて、これらが法的根拠になるようです。
細かな話ですが、注意していただきたいのは、総理大臣が個々の農家や牧場主に、直接に出荷禁止を命じたわけではなく(それを認める法律はない)、あくまで知事に対して「必要な指示」をしたという点です。
報道では「放射能は問題ないレベル」と繰り返されていますが、現在のホウレンソウや牛乳の在庫は廃棄処分になるでしょうし、風評被害は当分回復できないでしょう。
後日、その責任を誰が取るのかが問題になったとき、菅総理が措置法の論理を悪用して「私は『応急対策』をせよと指示しただけであって、出荷制限は私ではなく知事が命じたのだ」と言う可能性がなくはないと思いますが、そのような言い訳を許してはいけません。
菅政権にはすでに前科があります。
今回の一連の対応についての責任は、緊急事態宣言をし、対策本部長に就任した菅総理にあるというのは、前回書いたとおりです。
とはいえ、菅総理が「責任取って総理をやめます」と言ったところで、農家の方々の売上げ減少という現実の被害が解消されるわけではない。
これらの金銭的被害の賠償については、「原子力損害の賠償に関する法律」という法律があり、これによると原子力事業者(東京電力)に賠償責任があります。ただし、その第3条では「異常に巨大な天災地変」などにより発生した損害は賠償の対象外とされており、今回の地震はこれにあたるように思われます。
それでも、出荷制限は国(具体的には菅総理)の指示に基づいて行なわれたわけですから、憲法に基づいて(詳細は省略しますが17条の国家賠償請求権や29条3項の補償規定)、何らかの手当てが行なわれるのでしょう。
被災者の安否や、原子炉の状況など、現状が気になる事柄が多々ありますが、残念ながら私にはどうすることもできないので、ここでは、今回の震災に対する法律面での現状を書いてみたいと思います。
菅総理が「緊急事態」を宣言したと報道されていますが、これは何を意味するのか。
災害時の緊急事態宣言とは、前回紹介した、「災害対策基本法」と、「原子力災害対策特別措置法」に規定があります。長いので以下、「基本法」と「措置法」と略します。
基本法105条によると、「異常かつ激甚」な非常災害が発生したとき、総理大臣は「災害緊急事態」の宣言をします。これが行なわれると、内閣の命令(政令といいます)によって、物資の流通や価格を統制できることになります。
今回のケースであてはめると、「水や食料などの生活必需品を東北の被災地に集中させ、被災していない西日本では一定数量以上は販売してはいけない」とか、「水の価格の高騰を防ぐため、ペットボトルの水は1リットルあたり150円を超える金額で販売してはいけない」といったことを、菅総理が流通業者に命令できることになります。
本来は、業者がどんな商品を、どこでいくらで販売するかといったことは、「営業の自由」(憲法22条)であって、総理大臣でも口出しできることではない。
ただ、今のところ、ここまで強い意味での緊急事態宣言は発せられていないようです。
これは、測定される放射線量が異常なものとなった場合などに出されるものです。
これが行なわれると、総理大臣は、避難勧告、さらには避難命令(条文には「指示」と書かれています)を行なえるようになる。報道されているとおり、現に原発周辺の住民に対して避難命令が出ているようです。
これにしても、本来であれば、住み慣れた自分の家を捨てて30キロ先に避難しなさいなどと、総理に言われる筋合いはない。緊急事態だから例外的に、総理に国民の居住場所を指示する権限を与えるわけです。
いずれにせよ、強い権限には重い責任が伴います。
民主党そして菅総理のことなので、そのことの意味が「わかっていなかった」などと言いだす懸念がなくはないですが、今はひとまず、菅総理の権限行使を見守るしかないでしょう。