大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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10日ほど、更新が空いてしまいました。
この間は、刑事事件で注目の判決が多く、漁船と衝突したイージス艦「あたご」の士官に無罪判決、舞鶴女子高生殺害事件で無期懲役判決、布川事件の再審で無罪判決が出ました。いずれも興味をひく、かつ重大事件であり、いずれ触れたいと思います。
刑事事件以外では、うちの2歳の息子が地元の幼稚園の体験入園で大はしゃぎしたことが個人的に興味をひかれましたが、ここで触れる予定はありません。
刑事事件といえば、25日には、JR福知山線脱線事故の裁判で、起訴されたJR西日本の前社長の尋問が行なわれました。
前社長は一貫して無罪を主張しており、「事故の危険性は認識できなかった」と証言したそうです。遺族の憤りのコメントが新聞などで紹介されていました。
この手の裁判のように、道義的にはいくらでも謝罪したいが、刑事責任を追及されるとなると争わざるをえない、ということはよくあります。特にこの事件は、非常に大きな問題を含んでいるので、前社長にはきっちりと争ってもらい、裁判所に慎重に判断してもらわないと困るのです。
それは、以前にも書きましたが、企業が事故を起こしたとき、その企業が賠償金を出すというだけでなく、経営者個人が刑務所に行かないといけないのか、ということです。そういう判例ができてしまうと、「怖くて人など雇っていられない」と考える経営者が増え、雇用はとんでもなく悪化するでしょう。
今日は話がころころ変わりますが、数日前、東京在住の男性が、原発事故で精神的苦痛を受けたとして、東電に10万円の慰謝料を請求する民事裁判を起こしたというニュースを聞きました。
この裁判、東電とその代理人弁護士は、当面は全面的に争っていくはずです。10万円分の精神的苦痛などは本人の主観的なものに過ぎないとか、原子力損害賠償法では異常に大きな災害について賠償責任を負わないなどと主張するでしょう。
そういった主張を見れば、東電の社長は被災地で土下座してまわっているのに、裁判で争ってくるとは二枚舌じゃないか、と感じる向きもあるかも知れません。
しかし、もし東電が、慰謝料の請求に対して、ただちに「あなたの主張はその通りでございます」などと答弁してしまうと、その時点で東電の敗訴が決まります。そうなると東電は、請求どおりに賠償金を払わないといけない。同じことを多くの人が行なえば、東電はたちまち破産状態になり、それまでに裁判を起こしていなかった人には一切の賠償が与えられないことになりかねない。
東電としては、個別の裁判については争っておいて、その過程で政治的に決着が図られ、すべての被害者に公平な賠償を行なう仕組みができれば、争うことをやめて賠償に応じることになるのでしょう。
JR西日本も東電も、申し訳ないとは思っているけど、裁判を起こされれば争わざるをえない。
「あんなひどいことをしながら、争ってくるとはケシカラン」などと考えるのは、裁判とは悪人をつるし上げて平伏させるものだという、前近代的な捉え方をしていることの表れです。法的責任とはもっと冷静で厳密に検討されるべきなのです。
この間は、刑事事件で注目の判決が多く、漁船と衝突したイージス艦「あたご」の士官に無罪判決、舞鶴女子高生殺害事件で無期懲役判決、布川事件の再審で無罪判決が出ました。いずれも興味をひく、かつ重大事件であり、いずれ触れたいと思います。
刑事事件以外では、うちの2歳の息子が地元の幼稚園の体験入園で大はしゃぎしたことが個人的に興味をひかれましたが、ここで触れる予定はありません。
刑事事件といえば、25日には、JR福知山線脱線事故の裁判で、起訴されたJR西日本の前社長の尋問が行なわれました。
前社長は一貫して無罪を主張しており、「事故の危険性は認識できなかった」と証言したそうです。遺族の憤りのコメントが新聞などで紹介されていました。
この手の裁判のように、道義的にはいくらでも謝罪したいが、刑事責任を追及されるとなると争わざるをえない、ということはよくあります。特にこの事件は、非常に大きな問題を含んでいるので、前社長にはきっちりと争ってもらい、裁判所に慎重に判断してもらわないと困るのです。
それは、以前にも書きましたが、企業が事故を起こしたとき、その企業が賠償金を出すというだけでなく、経営者個人が刑務所に行かないといけないのか、ということです。そういう判例ができてしまうと、「怖くて人など雇っていられない」と考える経営者が増え、雇用はとんでもなく悪化するでしょう。
今日は話がころころ変わりますが、数日前、東京在住の男性が、原発事故で精神的苦痛を受けたとして、東電に10万円の慰謝料を請求する民事裁判を起こしたというニュースを聞きました。
この裁判、東電とその代理人弁護士は、当面は全面的に争っていくはずです。10万円分の精神的苦痛などは本人の主観的なものに過ぎないとか、原子力損害賠償法では異常に大きな災害について賠償責任を負わないなどと主張するでしょう。
そういった主張を見れば、東電の社長は被災地で土下座してまわっているのに、裁判で争ってくるとは二枚舌じゃないか、と感じる向きもあるかも知れません。
しかし、もし東電が、慰謝料の請求に対して、ただちに「あなたの主張はその通りでございます」などと答弁してしまうと、その時点で東電の敗訴が決まります。そうなると東電は、請求どおりに賠償金を払わないといけない。同じことを多くの人が行なえば、東電はたちまち破産状態になり、それまでに裁判を起こしていなかった人には一切の賠償が与えられないことになりかねない。
東電としては、個別の裁判については争っておいて、その過程で政治的に決着が図られ、すべての被害者に公平な賠償を行なう仕組みができれば、争うことをやめて賠償に応じることになるのでしょう。
JR西日本も東電も、申し訳ないとは思っているけど、裁判を起こされれば争わざるをえない。
「あんなひどいことをしながら、争ってくるとはケシカラン」などと考えるのは、裁判とは悪人をつるし上げて平伏させるものだという、前近代的な捉え方をしていることの表れです。法的責任とはもっと冷静で厳密に検討されるべきなのです。
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