大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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前回の続きで、刑事訴訟制度は誰が作ったのか、という話をしようとしています。
現在の刑事訴訟法を作ったその人は東大出身の学者で、戦後すぐ、その人が30歳ころで東大の助教授をしていたとき、GHQから呼ばれて、刑事訴訟法を新しく作り直すように命ぜられました。
その人は、昭和50年ころ、60歳になって最高裁判所に呼ばれて、判事の一人となりました。そして判事として活動していたとき、ある刑事事件を裁くことになった。
1審・2審で死刑判決が出ている殺人事件ですが、判決文を仔細に検討してみると、その被告人が犯人か否か、冤罪ではないかという、一抹の不安が残った。
しかし、刑事訴訟法には、最高裁は「重大な事実誤認」がないと原判決を破棄できないと定められている。一抹の不安では足りず、原判決を見て明らかに重大な間違いがあるといえない限り、原判決をそのまま認めないといけない。
だから最高裁としては、弁護側の上告を棄却し、死刑判決を維持せざるをえなかった。
そして判決の日、法廷で判決言渡しを終えて退廷しようとしたとき、傍聴席の、おそらく被告人の親族であろう人から、「人殺しーっ!」と罵声がとんだそうです。
プロの裁判官なら、傍聴席のヤジなど意にも介さないでしょう。しかしその人は、死刑にしていいか一抹の不安を抱きながら、しかも自分自身で作った刑事訴訟法の条文に縛られて、死刑を宣告せざるをえなかった。
その人は、この事件がきっかけで、死刑廃止論者になりました。
ここまでの話で、法律を学んでいる人ならきっとわかったと思いますが、「その人」とは東大名誉教授、元最高裁判事の団藤重光です。
足利事件で最高裁が平成12年に弁護側の上告を棄却したのも、同じ理由だったでしょう。5人の判事の中には「DNA鑑定なんて頭から信じていいのかね」と思う人もいたはずです。でもそれは「一抹の不安」に過ぎないのであって、当時の技術と知見を前提にすれば、明らかに重大な誤りとまでは言えない。
では、団藤氏が作った刑事訴訟法が誤りであったのか。たとえば、「重大な事実誤認」がなくても、「原判決に少しでも疑問を感じた場合は、最高裁は再鑑定その他の審理のやり直しを命ずることができる」という条文にすればよかったのか。
しかし団藤氏がそんな法律案を出したら、GHQは承知しなかったでしょう。「こんなゆるゆるの刑事訴訟法で、日々生じる犯罪をさばいていけると思っているのか」と、作り直しを命じたことでしょう。
もし仮にGHQが承知してそんな法律ができていたとしたらどうなったか。
きっと、オウム真理教の麻原、光市母子殺害事件、和歌山毒カレー事件などなど、多くの刑事事件において、審理のやり直しが度々行なわれ、裁判はもっともっと長期化したはずです。きっと世論が「そんな法律変えてしまえ」と言っていたでしょう。
足利事件の判決は、いま考えると間違っていたのだけど、当時の犯人逮捕にかける世論の期待と、世間一般に通用していた科学万能の考え方と、そして様々な歴史的経緯があって成り立ってきた刑事訴訟制度の中で、ある程度は不可避的に生じた側面もあると思っています。
当時の捜査がどこでどう間違ったのか、検証してみることももちろん重要ですが、個人責任を追及して謝罪させるのは、問題を矮小化するように思われます。
根本的には、刑事訴訟制度をどうすればいいか、どこまで慎重な審理を求めていけばよいか(慎重な審理はいくらでもできるが、それだけ裁判が長期化することを許容できるか)という、制度の選択の問題です。
裁判員制度が施行されて刑事裁判がイヤでも身近になった現在、この選択は一人ひとりの国民に問われているのだと思います。
現在の刑事訴訟法を作ったその人は東大出身の学者で、戦後すぐ、その人が30歳ころで東大の助教授をしていたとき、GHQから呼ばれて、刑事訴訟法を新しく作り直すように命ぜられました。
その人は、昭和50年ころ、60歳になって最高裁判所に呼ばれて、判事の一人となりました。そして判事として活動していたとき、ある刑事事件を裁くことになった。
1審・2審で死刑判決が出ている殺人事件ですが、判決文を仔細に検討してみると、その被告人が犯人か否か、冤罪ではないかという、一抹の不安が残った。
しかし、刑事訴訟法には、最高裁は「重大な事実誤認」がないと原判決を破棄できないと定められている。一抹の不安では足りず、原判決を見て明らかに重大な間違いがあるといえない限り、原判決をそのまま認めないといけない。
だから最高裁としては、弁護側の上告を棄却し、死刑判決を維持せざるをえなかった。
そして判決の日、法廷で判決言渡しを終えて退廷しようとしたとき、傍聴席の、おそらく被告人の親族であろう人から、「人殺しーっ!」と罵声がとんだそうです。
プロの裁判官なら、傍聴席のヤジなど意にも介さないでしょう。しかしその人は、死刑にしていいか一抹の不安を抱きながら、しかも自分自身で作った刑事訴訟法の条文に縛られて、死刑を宣告せざるをえなかった。
その人は、この事件がきっかけで、死刑廃止論者になりました。
ここまでの話で、法律を学んでいる人ならきっとわかったと思いますが、「その人」とは東大名誉教授、元最高裁判事の団藤重光です。
足利事件で最高裁が平成12年に弁護側の上告を棄却したのも、同じ理由だったでしょう。5人の判事の中には「DNA鑑定なんて頭から信じていいのかね」と思う人もいたはずです。でもそれは「一抹の不安」に過ぎないのであって、当時の技術と知見を前提にすれば、明らかに重大な誤りとまでは言えない。
では、団藤氏が作った刑事訴訟法が誤りであったのか。たとえば、「重大な事実誤認」がなくても、「原判決に少しでも疑問を感じた場合は、最高裁は再鑑定その他の審理のやり直しを命ずることができる」という条文にすればよかったのか。
しかし団藤氏がそんな法律案を出したら、GHQは承知しなかったでしょう。「こんなゆるゆるの刑事訴訟法で、日々生じる犯罪をさばいていけると思っているのか」と、作り直しを命じたことでしょう。
もし仮にGHQが承知してそんな法律ができていたとしたらどうなったか。
きっと、オウム真理教の麻原、光市母子殺害事件、和歌山毒カレー事件などなど、多くの刑事事件において、審理のやり直しが度々行なわれ、裁判はもっともっと長期化したはずです。きっと世論が「そんな法律変えてしまえ」と言っていたでしょう。
足利事件の判決は、いま考えると間違っていたのだけど、当時の犯人逮捕にかける世論の期待と、世間一般に通用していた科学万能の考え方と、そして様々な歴史的経緯があって成り立ってきた刑事訴訟制度の中で、ある程度は不可避的に生じた側面もあると思っています。
当時の捜査がどこでどう間違ったのか、検証してみることももちろん重要ですが、個人責任を追及して謝罪させるのは、問題を矮小化するように思われます。
根本的には、刑事訴訟制度をどうすればいいか、どこまで慎重な審理を求めていけばよいか(慎重な審理はいくらでもできるが、それだけ裁判が長期化することを許容できるか)という、制度の選択の問題です。
裁判員制度が施行されて刑事裁判がイヤでも身近になった現在、この選択は一人ひとりの国民に問われているのだと思います。
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