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強姦の容疑で、1審・2審で有罪にされていた被告人に対し、最高裁は逆転無罪判決を下しました(7月25日)。
最高裁というところは、憲法や法律の解釈について審理するところであって、事実そのもの(強姦したか否か)について立ち入って検討することは基本的にはないので、ここまで踏み込んだ判断をすることは異例です。
と、ここまで書いて、以前にも同じような話を書いたなと思いだしたのですが、2年前、強制わいせつ事件で被告人が最高裁で逆転無罪になった判決に触れていました。
以前に書いたのと重複する話は省略するとして、今回の事件の内容を紹介します。
なお、今回の最高裁判決は、最高裁のホームページから見ることができます。
それによりますと、事件は少し理解しがたいものでした。
1審・2審は女性の供述に従って、被告人を有罪とした。
被告人の弁解はこのようなものです。
書くのをはばかりますが、たぶん…「3万円あげるから手で抜いて」とでも声をかけたのでしょう。ちなみにこの男性は、ビルの階段の踊り場で抜いてもらったあと、3万円を払わずに逃走しています。
この男性のやっていることもどうかと思いますが、それが事実とすれば、同意の上で手で射精させてもらったというだけであって、強姦にはなりえない。
この事件で証拠となるものと言えば女性の供述だけでした。
しかし被告人側が「濡れ衣だ」「被害者がウソをついているんだ」と反論しても、「被害者は被告人と利害関係もないし、別に恨みを持っていたわけでもないから、わざわざウソをつく理由がない」として、反論がたやすく排斥される傾向がありました。
最近は、被害者の供述を偏重しすぎることなく、被告人の供述と比べて、どちらがより信用できるかということが吟味されつつあるようで、裁判のあり方としては、当然、こちらのほうがより望ましいと思います。
この件、次回にもう少し続く。
光市母子殺害事件の弁護団と、橋下知事の裁判は、最高裁で橋下氏が逆転勝訴となりました。
元々の刑事事件が、犯行当時未成年だった被告人が母と子を殺害したという陰惨な案件で、その被告人を弁護した弁護団が世論の反感を買っていて、大阪府知事になる前のタレント弁護士だったころの橋下氏がテレビを通じて懲戒を呼びかけたという、特殊な背景事情があって注目された事件です。
ただ、橋下氏の勝訴判決の意味するところは「橋下氏のやったことが正しく、弁護団のしていることは誤っている」と最高裁が判断したというわけでは、もちろんありません。
この民事裁判で争われたのは「橋下氏が弁護団の弁護士らに賠償金を払う義務があるかないか」ということであって、これについての最高裁の結論は「橋下氏は弁護団に迷惑をかけたかも知れないけど、それは弁護士としてガマンしてやるべき範囲であった」ということです。
弁護士の仕事は、紛争時に当事者の一方に味方することであるから、当然、反対側の当事者からは恨みを買う。社会的に耳目を集める事件であれば、世論の批判も買う。もともとそういう仕事なんだからガマンしなさい、と言われれば確かにそうです。
だからこの最高裁判決に対する私の感想は、まあそんなものかな、という程度です。
やや話が変わりますが、私が興味深く思ったのは、1審で橋下氏が敗訴して800万円の賠償を命じられたときに、さっさと弁護団の弁護士らに800万円払ったということです。
まだ高裁、最高裁と争えるのに、早々と払ってしまった理由として大きいのは「利息」でしょう。
判決で支払いを命じられているのに支払わないと、利息がつきます。しかも利率は民法上、年5%とされています。今のご時世、郵貯の定額貯金でもつかないほどの高利息です。
最高裁まで長々と争ってその上で敗訴すると、利息分も払わないといけない。
この事案では、1審の判決から最高裁判決まで、2年半くらいかかっているから、もし1審の判決がひっくりかえらなかった場合、800万円×5%×2.5年で、100万円くらい余計に払わないといけなかった。
もちろん、800万円を受け取った弁護団側も、別にお金が欲しくて裁判をしたわけではないだろうから、お金は手つかずのまま置いておき、最高裁判決を受けて、橋下氏に返金したでしょう。
裁判で負けても開き直ってお金を払わない、という人が非常に多い昨今、負けたらさっさと払う、逆転されたら返す、というやり取りは、大変フェアであると思えます。橋下氏と弁護団の思想的な対立は激しいものと思われますが、そのあたりはさすがに弁護士同士ということなのでしょう。
ということで、最高裁判決の原文にも当たらないままに雑多な感想を書いてしまいましたが、とりあえず以上です。
おおよその経緯は皆さんご存じだと思いますが、平成19年、知事になる前の橋下弁護士が、テレビで、光市母子殺害事件の被告人の弁護団に対する懲戒請求を呼びかけ、弁護士会に懲戒請求が殺到した。その弁護団の弁護士が橋下氏を訴えたという事件です。
平成20年10月、1審・広島地裁は、弁護団に対する名誉毀損と、不法行為の成立を認めた。前者は、弁護団への誹謗中傷により、各弁護士の名誉をおとしめたということで、後者は、懲戒請求への対処などにより業務に支障が生じた、ということです。
私は、この判決が出た直後、旧ブログにて、名誉毀損の成立は少し疑問に思う、と書きました(こちら)。
憲法は弁護士に被告人の弁護をするよう定めており、それに沿って堂々弁護活動すればよく、その弁護士の名誉が橋下氏の発言で傷つくわけでもなかろう、ということです。もちろん、そうした弁護活動の必要性を理解しない人も多くいますが、それは元々そうなのであって、橋下氏の発言で新たに名誉が毀損されるわけではない、と思いました。
2審の広島高裁は、私の見解に従って(というわけではないでしょうが)、名誉毀損の成立は否定し、不法行為のみを認めました。
そして7月15日の最高裁判決は、不法行為の成立も否定し、弁護団側の請求をすべて棄却して、橋下氏の全面勝訴となった。
新聞等を読む限り、理由はいろいろ書かれています。
橋下氏の発言は不適切であるが、弁護士に対する懲戒請求という制度がある以上、その利用は広く認められるべきで、各弁護士がそれに対応すべきことも当然である。弁護活動は重要だが、弁護士はそれに理解を得るよう努力することも求められている。等々。
ただ、これらの理由はあくまで「傍論」であり、直接的な理由は、「弁護士業務に重大な支障は生じていない」ということのようです。
懲戒請求をされた弁護団の各弁護士は、それに対する答弁書を弁護士会に提出するなど、それなりの対応を求められたはずですが、実際にどれくらいの負担が生じたのかは、記事にも出てないので、よくわかりません。ただ最高裁は「受忍限度」(ガマンしてやるべき限度)の範囲内だった、と言っています。
次回にもう少し続く。
以前ここでも告知したことがあったかと思いますが、ホームページを新しくしましたので、よろしければご覧ください。
http://www.yama-nori.com/
私の動画も見れます(別に面白くありませんが)。
事務所スタッフによるブログも随時更新中ですので、アクセスしてみてください。
なお、当事務所のファンの方は(そんなのいないか)、これまで、このブログとか事務所のホームページとか、たくさん乱立して混乱されたかも知れませんが、今後、当事務所からの情報発信は上記のトップページを「ポータルサイト」的なものとさせていただき、今後の情報更新はこれに集約していこうと思っております。
トップページから、私のブログにもアクセスできます。http://www.yama-nori.com/blog/
内容(本文)は現在、この忍ブログと同じですが、↑こちらのほうが使い勝手が良さそうなので、いずれこちらのほうに完全に移行しようと思っております。
今後ともよろしくお願いします。
たしかに、この人が被災者支援のための部局を自ら「チーム・ドラゴン」と呼んだのは極めておこがましいと思います。70年・80年代に少年の時期を過ごした者にとって、「ドラゴン」と名乗ることを許せるのは、ブルース・リーと倉田保昭だけです。
また、民主党政権の目玉として作った「国家戦略局」という部局も、平時ですら全く機能しなかったのに、今またなぜ「復興担当大臣」というポストをわざわざ作るのか(これは民主党政権が国交省など既存の役所とポストを使いこなせないことを意味する)、といった批判もあてはまるでしょう。
最近は節電のためもあってあまりテレビを見ません。見たい番組といえば、CSで再放送中の「秘密戦隊ゴレンジャー」と「スーパーロボット マッハバロン」だけで、今のテレビがいかに面白くないかは、この稿の本題ではないのでさておきますが、さきほど、しばらくぶりにテレビのニュースを見ました。
松本大臣が、東北地方のある知事に、「知恵を出さないところは助けない」といったことは、(政府がそれ以上の知恵を出すという条件つきなら)まだ容認する余地があるとして、別の知事には、数分遅れてきたことをあげつらって「自分(知事)が入ってから呼べ」と、数分待たせたことを叱責したという映像を見て、批判されているのはこれらのことかと知りました。
私が思い出したのは、これまた私ごとながら、うちの先祖のことです。
史実かどうかは知りませんが、司馬遼太郎の「功名が辻」によると、山内一豊の妻の千代(大河ドラマでは仲間由紀恵が演じた)は、太閤・秀吉の側室である淀殿から大阪城に来るよう呼び出されましたが、淀殿を待っているうちにトイレに行きたくなり、行って戻ってくると、淀殿がすでに面会の間に現れて、千代を待っていた。
後から、淀殿の女官が、淀殿を待たせたことで千代を叱責すると、千代は女官に「鬼婆あ」と言い放って帰ったそうです。
淀殿とその取り巻きの高圧的な態度が、その後の関ヶ原の戦いや大阪の陣で豊臣家を滅ぼすきっかけを作ったとも言われるように、それになぞらえると、松本大臣が菅政権を滅ぼすかも知れません。
しかも、松本大臣が、この件についての釈明を求められて、「九州の人間じゃけん、語気が荒いこともあって…」と、ことさらに九州弁を使って弁明したのは、九州の方に対する侮辱にあたるでしょう。
たとえば松本大臣が大阪出身であったとして、「わて大阪の人間でっさかいにギャグで言うたんでんがな、堪忍したっとくんなはれ」と言ったとしたら、誰も許す気にならないでしょうし、何より大阪の人間が怒るでしょう。
このような人に、国難とも言うべき東日本大震災の復興を委ねるとは、やはり菅内閣と民主党政権は早晩滅びる、と言うより、すでに滅びているのでしょう。
ということで、久々にテレビでイヤなものを見せられたので雑多な感想を書き連ねてしまいました。このあとCSで「スーパーロボット マッハバロン」を見て寝ます。
周辺住民の同意がないままに着工されようとしていることについて、「法の番人」がそんなことしていいのか、というニュアンスの記事をネットニュースなどで見ました。しかし、先に結論を言ってしまうと、裁判所のやっていることは違法ではありません。
大阪地裁の敷地はたぶん国有地で、その敷地内に裁判所新館という国の建物を建てるわけです。自分の土地に自分の建物を建てるのと同じで、本来、他人に横やりを入れられる筋合いはない。
ただ、都市計画法や建築基準法の規制上、この地域では何階建て以上はダメとか、耐震強度を備えていないとダメといった規制はあるのですが、そうした基準を数字の上でクリアしていさえすれば、役所が建築確認を出し、建築ができるようになる。
では、周辺住民への説明会を開催したというのは、何のためなのか。
これは「建築指導要綱」などと呼ばれるもので、役所が作ったものです。役所(行政)は法律を作る権限はないので、これには法的効力はなく、あくまで、「行政指導」です。
もちろん、周辺住民との調和のためには、そのお願いに基づいて住民の同意を取り付けるのが望ましいのは当然です。ただ大阪地裁は説明会を5回ほど開いているようですので、説明義務は果たした、ということでしょう。
それにしても、私の事務所は裁判所からやや離れたところにあるせいもあって、建築反対デモを起こした西天満の人々の気持ちは今ひとつよくわかりません。
しかし、傍からみていて思うのは、西天満という、駅からのアクセスも悪く、便利でもない土地なのに賑わっているのは、裁判所があるためで、裁判所相手に仕事している弁護士が集中するからです。
つまり裁判所と西天満の人々は「共存共栄」でやってきたと思うのです。
裁判所の肩を持つつもりはないのですが、新館建設でもいいじゃないの、もっと人が集まるし、というのが個人的な感想です。
私はあまり関わりませんが、おそらく、その人たちにとって何らかの不服な判決が出て、そのため裁判所に対する抗議行動をしているのだろうと思います。
そういう人たちの気持ちはわからなくはないのですが、それは裁判というものを根本的に誤解していると言わざるをえません。
裁判は、法論理と証拠に基づいて勝敗が決まるものであって、裁判所の前の抗議行動で結論を動かそうと考えること自体がおかしいのです。
もし、そうした行動で判決が左右されるのだとすれば、性能のいい拡声器を持ってきて大きな声を出したほうの勝ち、少しでも団体の構成員に動員をかけて多人数でビラをまいたほうの勝ち、ということになってしまい、それはおよそ、法治国家における司法のあり方ではない。
と、長い前置きですが、今回の主題はそういう話ではありません。
最近、大阪地裁でも、裁判所周辺をデモ行進している一団に出くわしまして、彼らの掲げているノボリを見てみますと、「裁判所の新館建設に反対」ということでした。
大阪市北区西天満にある大阪地裁の敷地内では、現在、本館の北西側に新館の建設工事が始まろうとしています。デモ行進する彼らが言うには、建てるなら南東側に立ててほしいとのことです。
少し細かい話になりますが、大阪地裁の北西側は、オフィスや店舗が多く、そこに新館を建てると、日照や通風が悪くなるということです。たしかに、裁判所の北方向には、昔から骨董品などで有名な老松通りがあるし、私の好きなバーや料理屋も北西側にあります。
一方、裁判所の南側は堂島川に面していて開放されており、東側には裁判所の別館や天満警察などの建物があるだけで、個人に対する影響は少ない、だからそちらに建てればいいじゃないか、ということでしょう。
大阪地裁はこれまで、周辺住民への説明会を何度か開いて、警備の面などから北西側が望ましいということを説明したものの、住民の合意は得られなかったようです。しかし合意のないまま、来月から新館建設工事に着工するとのことで、それに対する抗議デモが、また昨日も行なわれたと、今朝の産経にありました。
法の番人たる裁判所が、住民の合意もなしに建築を推し進めることには、当然異論もあると思われますが、私見については次回に続きます。
自殺教唆という犯罪をもう少し詳しく述べると、「死ぬようにそそのかすこと」、もう少しきちんと言えば「自殺の決意を生じさせること」を言います。
ですから、たとえば他人に「死ね」と言うだけでは、自殺教唆にならないでしょう。人から死ねと言われただけで「よし、死のう」と思う人は、まずいないからです。
前回触れた事件の女性容疑者は、男性に「自分から死のうと持ちかけた」と言っているそうです。詳しい経緯は書かれていませんが、二人の心中、情死が想像されます。
恋愛関係にある二人が、様々な事情でその恋が結ばれぬため、あの世で一緒になろうと死を決意することは充分ありうる話で、したがってそれを持ちかけるのは自殺教唆にあたるでしょう。
さらに、相手がうとましくなって、心中と見せかけて相手を死なせるようなケースも実際にあります。
実際の判例を紹介します。比較的有名な事件で、刑法の教科書には必ず出てきます。
ある男性が、愛人の女性に別れ話を持ちかけたところ、女性は納得しなかったため、男性はいっそ心中しようかと言い、女性はそれに応じた。しかし男性は途中で死ぬ気がなくなり、用意した毒物(青酸ソーダ)を、「僕もあとから行くから」とウソを言って女性にだけ飲ませ、女性は死亡、自分は生き残った…という事案です。
最高裁(昭和33年11月21日)は、この男性を、自殺教唆ではなく、単なる殺人罪であると判決しました。
女性は騙されて死ぬ気になったのであって、本当のこと(男性が一緒に死ぬ気でないこと)を死っていれば死んでいなかった。本来は死ぬ気でなかった人を死なせるのは単なる殺人である、ということです。
今回の二色の浜の事件では、警察は容疑者の女性を自殺教唆で逮捕しましたが、おそらく殺人罪の適用も念頭に置いていることでしょう。死亡した男性と入水するに至る経緯や、女性だけがなぜ助かったのかということが、今後も捜査されることと思います。
心中が美しいのは「曽根崎心中」など、お話の中だけであって、実際には、持ちかければ犯罪、死ねば無駄死にという、つまらないものです。亡くなった男性は哀れでなりませんが、そんなことに付き合うべきではなかったのです。