大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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ダルビッシュの離婚の話シリーズは土日で中休みということにしまして、仙石官房長官の「自衛隊は暴力装置」発言について、雑感を書きます。
感想は人それぞれでしょうが、私が思ったのは、「理論的には間違ってはいないが、ああいう場で言うべきことではない」ということです。おそらく、同業者の多くもそう思っているのではないかと。
新聞などでも報道されているとおり、暴力装置とは仙石氏オリジナルの言葉ではなく、社会学者のマックス・ウェーバーが20世紀初頭あたりから使っています。
政治学・法律学など社会科学の分野を志す者にとって、ウェーバーは必読の古典と言われており、私も学生時代、岩波文庫のウェーバーの著書を買っては、本棚に並べたものです。
ウェーバーの学説の詳細には触れませんが(私が読んでいないため)、暴力という言葉を、相手が嫌がっているのに無理にでも実力行使することだと定義すれば、自衛隊に限らず、国家権力そのものが暴力装置といえるでしょう。
警察が犯人を逮捕するのも、拘置所で死刑囚の首をくくるのも暴力です。税務署が私の預金口座から事業税とか消費税とか言ってゴッソリお金を引き落とすのも暴力です。
それは例えば、ヤクザが対立組織の構成員を殺害したり、市民を脅してお金を巻き上げるのと、ある側面においては同じです。
大きく違うのは、国家権力が行なう暴力には法的根拠があるが、ヤクザのそれにはないということです。法的根拠があればなぜ暴力が許容されるのかというと、法律というものが、国民から信託を受けて選ばれた議員によって作られているからです。
国家権力の本質は暴力だから、その実力行使は慎重に行なわないといけない。そして、為政者が実力行使をすることが許されるのは国民の信託ゆえであるから、常に国民に対しては謙虚にその言葉に耳を傾けなければならない。
このように、国家権力が暴力であるというのは、為政者が自己を戒めるための文脈において語られるべき言葉なのであって、国会答弁のような公の場で口に出して言うことではないのです。
しかも、「政府そのものが暴力組織であり、私はその親玉だ」と言うのならまだしも、「自衛隊」に限定して発言しているため、それが一般国民に与える誤解や、自衛隊員の士気低下には甚だしいものがあるでしょう。
自衛隊員も海上保安庁の職員も、こういう人がトップにいる国のために働かないといけないのは、辛いことだろうなとお察しします。
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