大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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最高裁の判決には、時に個人の「執念」がからむ、そういう話をしようとしています。
前回書いた「白鳥決定」は、間違いなく、再審の扉を広げたいという団藤重光判事の執念によるものです。
今回は、香川保一・元最高裁判事について触れます。この人は、裁判官・検事を勤めたあと、法務省でエリートコースを進み、昭和61年に最高裁判事になります。
この人が法務省時代に書いた「書式精義」という本は、不動産登記に関わる司法書士のバイブルであり、司法書士事務所にいけば、今でも必ず置いてあるはずです。
登記手続を受け付けるのは法務局で、その上には法務省があるのですから、法務省のエリートが書いた本は、お上のお墨付きであって権威を有するのは当然です。
その香川氏が最高裁判事をしていたとき、こういう事件を審理することになりました。
単純化すると、A・B・Cの3人が土地を共有していたが、Aが死亡した。Aには相続人はいないが、愛人がいる。Aの権利は誰に移るか、という事例です。
民法には、ある人が相続人なく財産を残して死亡した場合、その財産は、共有財産の場合は他の共有者のものになるという規定があり、また、特に縁故のある人(特別縁故者)がいる場合はその人のものになるという規定もある。
上記のように、共有者も特別縁故者も両方いる場合、どちらが優先するかについては、昔から争いがあった。
香川判事は「共有者優先説」を取り、「書式精義」の本の中でもそう書いていた。しかし、この事件の審理にあたった最高裁第2小法廷では、4対1(「1」が香川判事)の評決で「特別縁故者優先説」を取ることを明らかにする(平成元年1月24日判決)。
香川判事はその判決の末尾に、「多数意見には到底賛成できない」と、近年にしては珍しく激しい語調で長い反対意見を書いています。とにかく、香川説が最高裁で退けられたことで、絶大だった「書式精義」の権威は少し落ちたと言われました。
その後、こういう事件がありました。
ある人が遺言で、「自分の土地は、長男A、次男B、三男Cのうち、長男Aに相続させる」と書いた場合、これは「相続」なのか「遺贈」なのか。
細かい話が続いて恐縮ですが、相続と遺贈では登記手続にやや違いがあるし、何より、登記の際に払う税金(登録免許税)が違う。相続なら、その土地の価格の0.6%でよいが、遺贈は贈与の一種なので少し高くなり、約4倍の2.5%かかる。
考え方としては「相続というのはABC3人が平等にもらうことであって、特定の長男Aひとりがもらうのは遺贈だ」とするのが、民法学者の中ではおそらく優勢だった。
しかし法務局では、相続として扱う実務が通用していた。これは、登録免許税を安くしてほしいという要請を、法務局の窓口の役人が受け入れて、それを法務省も追認してきた、という経緯によるのでしょう。
そして平成3年、最高裁・第2小法廷は、法務局の実務を承認し、「相続と扱ってよい」としました(平成3年4月19日判決)。評決は5人の判事の全員一致です。
この裁判で裁判長を務めたのが香川判事で、今度は法務省の理屈で他の判事を押し切ったのでしょう。ここに香川判事の執念を感じます。
組織内抗争で一敗地にまみれたチョウ・ユンファが巻き返しを図って立ち上がる「男たちの挽歌」(1986年香港)を思い出してしまいます。もっともチョウ・ユンファは映画のラストで銃撃を受けて華々しく命を散らしますが、香川判事はこの判決直後に無事退官を迎え、その後は法務省所管の法人の理事に就任します。
今回、香川判事のことを書いたのは、この人が近年、その法人から、多額の無担保融資を受けていたことが明らかになったという記事を今朝見たからです(本日付け読売朝刊)。
このことは次回に書きます。
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「名張毒ぶどう酒事件」について、続き。
最高裁は、再審開始を否定した名古屋高裁の決定をなぜくつがえしたか、について。
基本的なところに立ち返りますが、被告人を有罪にするためには、検察側で、この被告人が犯人であるのは明らかだということを証明しないといけない。
はっきり「クロ」だと立証できず、かと言って「シロ」でもなく、いわゆる「グレーゾーン」程度にしか証明できないと、被告人は無罪になります。
これを「疑わしきは被告人の利益に」(どちらか疑わしい場合は、被告人の利益になるように扱う)の原則といい、日本に限らず、およそ憲法を持つ国家における刑事裁判の大原則です。
疑いの余地もないほどに「クロ」との証明がされた場合には、有罪判決が出るのだけど、人間のやることだから間違いが起こることはある。その場合に行われるのが再審です。
では、どのような場合に再審が開かれるか。考え方としては2種類ありえます。
1つは、有罪判決までは「疑わしきは被告人の利益に」考えるけど、いったんそうやって判決が出た以上は、それをひっくり返すには、相当強力な「無罪」の証拠を出すべきだ、という考え方。
2つめは、再審を開くかどうかについても「疑わしきは被告人の利益に」考えて、有罪か無罪か微妙かな、という程度の証拠を出せればよい、という考え方。
条文には「無罪を言い渡すべき明らかな証拠を新たに発見したとき」(刑事訴訟法435条6号の要約)とありますので、1つめの考え方が採用されているように読むこともでき、実際、最高裁も長らくその立場にあると理解されてきました。
その考え方をくつがえしたのは昭和50年の最高裁の決定で、2つめの考え方を取ることを明らかにしました。
白鳥(しらとり)事件という有名な事件で、この決定は「白鳥決定」と呼ばれます。当時の最高裁判事で、現在の刑事訴訟法を作った団藤重光氏(以前触れました。こちら )が、この判決の原案を作ったと言われています。
今回の「名張毒ぶどう酒事件」での最高裁の決定の理由は、極めて単純化して言えば、被告人の自宅にあった農薬(ニッカリンT)の成分が、事件現場に残されていたぶどう酒から検出されていない、という実験結果が出された点にあります。
それでもなお、当時の検査がずさんだったとか、成文が変質したとか理屈をこねることは可能ですし、昭和44年の名古屋高裁の有罪判決は、農薬の点以外にも有罪の証拠を挙げているから、そこが突き崩されても有罪と言えなくもない。
しかし、今回の実験結果は、少なくとも、有罪か無罪か微妙と言えるまでに持ち込むには足りる、とは言えそうです。
この事件は昭和47年に最高裁で有罪が確定し、その後、昭和50年に上記の白鳥決定が出ています。それでもこれまで合計6度の再審請求が棄却されているわけで、白鳥決定の後も、実際には再審の門は狭く重かったのです。
この度、最高裁がより慎重な審理を名古屋高裁に求めたのは、足利事件の再審無罪が影響しているのは間違いないでしょう。この決定を受けての名古屋高裁の結論が注目されます。
前回も少し触れました「名張毒ぶどう酒事件」について触れます。
最近の報道では、名古屋高裁がいったん再審を認めたが、同じ名古屋高裁がひっくり返し、それをまた最高裁がひっくり返した、とあります。ややこしい話ですが、いま何がどうなっているのか、ざっと経緯を書きます。
事件は、三重の名張で昭和36年に起きています。村人の会合で振る舞われた「ぶどう酒」、いまで言うところのワインでしょうけど、これを飲んだ女性5人が急に苦しみ出して死亡した。
その会合に参加していた奥西さんと言う男性に容疑がかかって逮捕された。
裁判での争点は多岐に渡りますが、奥西さんが、自分が持っていた農薬をぶどう酒にまぜたのかどうかといったことが争われました。
1審、津地裁は無罪判決(昭和39年12月23日)。
しかし2審の名古屋高裁は、逆転で有罪、死刑判決を下します(昭和44年9月10日)。
弁護側は最高裁に上告しますが、上告棄却(昭和47年6月15日)。
これで死刑判決が確定、奥西さんは「死刑囚」となり、その後ずっと、名古屋拘置所で死刑執行を待つ身となります。
確定判決を争う唯一の方法は、足利事件で菅家さんを無期懲役刑から救った「再審」です。奥西さんの弁護団は、これまで7回の再審請求をしました。
7回と言えばかなりの多数回ですが、めったやたらに申し立てをしているのではありません。同じ理由で再審請求をすることはできないので、弁護団はその都度、有罪判決を覆すべき新たな主張や証拠を提出しています。
今回の7回目の再審請求は、今から8年前、平成14年4月に、名古屋高裁に申し立てられました。地裁は無罪判決を出してくれているので、文句はない。高裁に対して、「昭和44年に出した有罪判決を破棄しなさい」と申し立てたわけです。
そして名古屋高裁は、平成17年4月、有罪判決に誤りがある可能性を認め、再審開始を決定します。
それに不服な検察側は当然争います。高裁に不服があれば、普通、次は最高裁で審理されますが、この再審請求は、(地裁には文句がなかったため)高裁から始まっている。そのため、それに対する異議申し立ては、もう一度だけ同じ高裁で審理することになっています。
同じ高裁と言っても、同じ裁判官が担当するわけではありません。名古屋高裁にも裁判官は多数いるので、別の裁判官が担当します。
そして名古屋高裁(の別の裁判官)は、平成18年12月、再審開始決定を取り消して、再審請求を棄却しました。やっぱり再審は開かない、と言ったわけです。
高裁の2度目の判断に対しては、最高裁に異議申立てができます。弁護団はもちろんそうしました。
そして、おととい4月6日、最高裁は、「再審は開かない」と言った名古屋高裁の決定を取り消し、「もう1回考え直しなさい」と、差し戻しました。
これが現在までの状況です。
これから名古屋高裁が考え直しにかかるので、まだ再審が開かれると決まったわけではありません。奥西さんはすでに84歳の高齢ですが、無罪判決をとるまでにはまだまだ道のりは長いです。
最高裁がなぜ今回のような判断に至ったのか、そのあたりは次回以降に続く。
昨日の夕刊は、死刑がらみの注目すべき事件が2つ載っていました。
ひとつは、死刑判決が確定している「名張毒ぶどう酒事件」で、再審が開始される見込みが出てきたことで、この話は明日以降に書きます。もう一つは、中国で日本人に対する死刑が執行されたことで、今日はこちらについて触れます。
この日本人は、中国から麻薬を密輸しようとして捕まり、死刑判決を受けました。
まず前提として、日本の麻薬取締法には死刑はないですが、中国で起こった事件だから、中国で裁かれることになります。
中国に限らず、その国で起こった犯罪にはその国の法律が適用される。これを「属地主義」といいまして、日本の刑法も基本的にはそうです(なお、日本で不祥事を起こしたアメリカの軍人を日本で裁けないのは、日米間の条約でそういう決まりになっているからです)。
ということで、中国での事件に中国で死刑判決が下されても、やむをえないとも言える。
ただ、死刑に至るまでに、この日本人はきちんと自分の言い分を聞いてもらえたか、「足利事件」のような冤罪の可能性はないのか、という懸念はあります。
同じ外国で起こった事件として有名なものに「メルボルン事件」があります。オーストラリアを旅行中の日本人数名が、空港で麻薬を所持していたとして懲役刑を受けたというものです。
伝えられているところでは、その日本人は旅行中にカバンを紛失し、現地のガイドに代わりのカバンをもらったら、そのカバンの底板の奥に麻薬が入っていたそうです。それが事実かどうかは知りませんが、その日本人はろくに弁解も聞いてもらえず、きちんと通訳をつけてもらえず、懲役10数年という判決を受けました。
(私がこの話を聞いたのは平成12年ころ、司法研修所の教室でした。当時その日本人はオーストラリアで服役中と聞きましたが、その後の経過については存じません。)
今回の事件も、中国という、日本その他の「西側諸国」とは異質な考え方を持つ国家で、どこまで適正な裁判が行われたのかというと、そのへんは「わからない」としか言いようがない。
今回の死刑執行に対しては、日弁連の宇都宮会長が「遺憾」とするコメントを出したようです。
死刑執行に対して人権派団体が批判のコメントを出すと、私個人としては「法律で決まったことだから執行は当然だろう」と思ってしまうほうなのですが、今回の執行については私も、もっと慎重にされて然るべきだったと思っています。
日本の刑事司法はかなり慎重で精密ですが、それでも間違いは起こっているのです。名張毒ぶどう酒事件の記事とあわせて読んで、よりその思いを強くしました。
鳩山総理の元秘書が政治献金規正法違反で起訴された事件で、3月29日、検察側は「禁固2年」の求刑をしました。
今回はごく基本的な話ながら、この「禁固」という刑罰について触れます。
(なお条文の上では、禁「錮」という字が使われているのですが、常用漢字でないためか、報道などでは禁「固」とされています。ここでもそれに従います)
懲役も禁固も、刑務所に収容されて自由を奪われる刑罰です。
懲役刑は、字面のとおり、懲役は「懲らしめのための労役」が科せられ、刑務所内の作業場で一定の仕事をやらされます。懲らしめとはいえ、実際にはその作業を通じて手に職をつけて、ちゃんと社会復帰してもらうという目的もあります。
一方、禁固刑は、刑務所に収容されるものの、労役がないため、働かなくてよい。
なぜ労役がないかというと、これには政治的意味があります。
昔風の説明をしますと、犯罪には大きくわけて「破廉恥罪」と「非破廉恥罪」があります。
「破廉恥」(はれんち)と言われると「ハレンチ学園」なんかを思い出してしまって、「わいせつ系」の犯罪だと思いがちですが、もともと「破廉恥」とは人倫や道徳に反することを意味するのであって、わいせつ系に限らず窃盗や暴行傷害などの犯罪を広く含みます。
「非破廉恥罪」とは、破廉恥でない、名誉犯的な意味を帯びます。政治犯罪の多くはこっちに該当するとされています。
政治犯の典型として、(近年はまず耳にしませんが)国家の転覆を図る「内乱罪」(刑法77条)というのがあります。この条文には、死刑や禁固刑が定められていますが、懲役刑はない。
これは、個人の利得や快楽を目的としたのでなく、その人なりに国家・社会をより良くしようと考えてした行為ということで、犯人とはいえ名誉を重んじ、「懲らしめのための労役」はさせないという趣旨です。
(時代劇でも、盗賊などは斬首されますが、敵方の武将は名誉を重んじて自ら切腹させます。そういう処遇の違いは、日本に限らず昔からあるようです)
もっとも、現行の日本刑法は、名誉犯ばかりでなく、「犯情が悪質でないので懲役させるほどでない」犯罪にも禁固刑を定めます。
たとえば故意の殺人は死刑か懲役刑ですが、業務上過失致死(故意でなく過失で死なせた)であれば、懲役刑、禁固刑、罰金から選択することになっています。
ちなみに、刑務所にいながら働かなくてよいというのは、それはそれで時間を持て余すと想像されます。そのため、禁固刑の人でも労役を申し出れば作業に就くことは可能で、その申出をする人がけっこう多い、と聞いたことがあります。
鳩山総理の元秘書が起訴された政治資金規正法は、刑罰として禁固刑か罰金を定めており、ざっと見たところ懲役刑はないようです。これは、政治犯として名誉を重んじる趣旨か、犯情が悪質でないと考えたためか、私は存じません。
しかし何より、この一件でもっとも破廉恥なのは、秘書が起訴されても「知らなかった」としか説明しない鳩山総理であるように思えます。
しかし何より、この一件でもっとも破廉恥なのは、秘書が起訴されても「知らなかった」としか説明しない鳩山総理であるように思えます。
東京高裁が公務員の政治活動に無罪判決(29日)。
事案は、社会保険事務所に勤務する職員が、休日に、共産党の機関紙である「赤旗」を配布した行為が、国家公務員法に触れるか否かが争われていました。
国家公務員法と人事院規則によりますと、公務員の政治活動はすべてと言ってよいほど禁じられています。
最高裁の判例としては、昭和49年の「猿払事件」が有名で、行政が政治的に中立性を保ち、これに対する国民の信頼を確保するために、公務員の政治活動を法律で禁じて一律に処罰することもやむをえない、と述べています。
ちなみにこの事件は、北海道の猿払村というところで、ある郵便局員が、勤務時間外に、衆議院選挙が行われる際に(旧)社会党のポスターを貼る仕事をしたというものでした。この人に対する判決は「罰金5000円」で、高くはないとはいえ、立派な有罪判決です。
この最高裁判例には憲法学者からの批判が多いです。
たしかに、公務員というのは、政権の担当者が誰であれ、法律で決まったことを執行していく立場にあり、たとえばある公務員が「民主党は嫌いだからウチの役所では子ども手当は支給しない」などと言いだすと困る。だから行政は特定の政党に偏らず、中立でないといけない。
しかし、公務員にも言論の自由はあり、末端の役人が、役所での勤務と関係なくポスターを貼ったりする行為までも漏れなく処罰するというのは、行き過ぎとも思える。
今回の東京高裁判決は、1審で罰金10万円とした判決を破棄して無罪とした。
いわく、猿払事件の最高裁判決の後、言論の自由に対する国民の意識は変わってきている、一律処罰でなく、処罰されるべき範囲が検討されるべき時代がきている、とのことです。
テレビのコメンテーターなどがよく、ある問題について発言を求められて、「この問題についてよく考えないといけない時代がきていると思います」と、それ自体は何の中身もないことを述べ、したり顔をしているのを見かけますが、この東京高裁の判事は、自分たちのトップである最高裁に「考え直せ」と言っているわけですから、体を張っています。冷や飯覚悟の判決でしょう。
この無罪判決に対し、検察側は最高裁に上告するでしょうから、高裁の問題提起に対して最高裁はどう答えるかを注目したいと思います。
私の見解はどうでも良いでしょうけど、ごく個人的には、役所の人間が共産主義政党に肩入れした活動をすること自体、お国の仕事を任せておけるのかといった不安を感じなくもないので、処罰されても仕方ないのかな、と思っています。
明日26日は宇都宮地裁で、足利事件の再審判決が出るようです。
ご存じのとおり、この事件は、足利市での幼女殺害につき、無実の菅家さんが無期懲役判決を受けて17年間服役した後、DNA鑑定の誤りが指摘されて釈放されたという、異例の経過をたどったケースでした。
明日の判決では、有罪判決は誤りで、菅家さんは無罪である、ということが言い渡される見込みです。
一部マスコミの論調を見ますと、無罪と言い渡すだけでは足りないのであって、なぜそのような誤判がなされたのか、その経緯と理由にまで踏み込んで解明すべきだ、といった主張も見られます。
しかし、再審はあくまで、過去に行われた裁判が間違っていたのか否かを明らかにするための制度です。間違いが起こった理由は何かといったことを解明することは、もちろん非常に重要なことではあるけれど、再審制度にそれを求めるのは無理がある。
ここでも少し前に、裁判所(特に最高裁)は、いわゆる「傍論」(結論に関係のない部分)で余計なことをしゃべるために、それが時に国政に混乱をもたらすといったことを書きました。
今回の再審判決でも、一地方の裁判所の担当裁判官が、菅家さんは有罪か無罪かといった事柄を超えて、警察・検察の捜査や司法制度のどこに誤りがあるのか、その原因は何なのかといったことを語りだしたら、これは明らかに越権行為であると思われます。
加えて、足利事件の判決はなぜ誤ったのか、それを明らかにすることは、必ずしも菅家さんのためにもならないように思われます。
今、手元に刑事訴訟法の教科書(田口守一「刑事訴訟法」(弘文堂))を置いてこれを書いています。DNA鑑定について論じた部分で、足利事件その他のDNA鑑定が採用された判例を挙げた上で、こう書かれています。
「これらの事例はDNA鑑定以外にも有力な証拠が存在する事案であり、DNA鑑定は補助証拠としてのみ使用されている」。そしてDNA鑑定だけで犯人を認定してよいかは今後の課題である、と。
結果的に誤判であったとはいえ、菅家さんが犯人にされたのは、DNA鑑定が間違っていたというだけでなく、他にも「有力な証拠」があったということになります。
なぜ誤判が生じたかを明らかにするのであれば、その「有力な証拠」の中身も公にし、その上で、誤判はDNA鑑定のせいなのか、他の有力な証拠のせいなのかを検証しないといけない。しかし、いま、それを蒸し返すことが良いことなのか、私には疑問に思えます。
菅家さんの名誉の回復は、再審という単に手続的なことの中で図られるのでなく、今後の講演などの啓蒙活動によって果たされるのがふさわしいと思っています。
明日26日の再審判決は、淡々と「無罪」を宣告して終わるべきでしょう。
以前、ここでも紹介した判例のその後について、話題を2つ。
1つめは道頓堀の「大たこ」です。
先日、裁判所へ自転車で行った帰りに少し回り道をして、道頓堀界隈を散歩してみましたら、「大たこ」は今も変わらずたこ焼きを売っています。
このお店は、大阪市から立退きを求められ、1審の大阪地裁は立退きを認めなかったのが、今年1月の大阪高裁判決では、逆転判決で立退きを命じました。
大阪地裁も高裁も、「大たこ」側に時効による土地の取得は認められない、とした点は同じですが、地裁は、過去の経緯からして明渡しを求めるのは権利の乱用としました(その際の記事はこちら)。これはこれで穏当な落とし所かな、と思ったのですが、高裁は「権利の乱用とまではいえない」としたのです。
「大たこ」が今でも営業しているということは、最高裁へ上告したのだと思われます。
ただ上告しても、高裁の判決に「仮執行宣言」(最高裁で決着がつく前でも強制執行ができるという宣言です。敗訴した側の引き延ばしを防ぐためです)というのがついていれば、明渡しを強制執行できる。
たこ焼き屋の明渡しの強制執行となりますと、小麦粉とかタコの破片とかが舞い上がって阿鼻叫喚の様相になる気がしますが、さすがに大阪市もそこまではせず、最高裁の結論が出るのを待つつもりなのではないかと想像しています。
2つめは、インターネット上での名誉毀損事件で、最高裁判決がありました(3月15日)。
とあるラーメン店がカルト教団と結託しているとネット上に書いた行為が名誉毀損罪になるか否かが争われた事件で、1審・東京地裁は、インターネットの信用性は高くないことなどを理由に無罪としたが、2審・東京高裁は有罪とし、弁護側が上告していたものです。
そのときの記事はこちらです。
この事件についての感想は上記の過去の記事で書いたことに尽きています。高裁・最高裁の判断のとおりで良いのではないかと思います。
ちなみに私自身は、弁護士を約10年やっていて、最高裁に上告をした、またはされた、というのは、これまで2件だけです(した、された共に1件ずつ)。いずれも、高裁の判断はひっくり返らず、「上告棄却決定」という紙切れが送られてきただけでした。上記の名誉毀損事件も、同じ扱いだったと思われます。
大半の上告事件はそうなるので、「大たこ」に立退きを命じた大阪高裁判決も、最高裁で引っくり返るという可能性は低いでしょう。そうなるといよいよ、小麦粉とタコの破片が舞い上がって…となるのかというと、そこまでいけば「大たこ」も素直に立ち退いていくのではないかと思います。
明渡しの強制執行にも、私は何度か立会いましたが、相手が最後まで抵抗して阿鼻叫喚の様相となった場面は、まだ経験したことがありません。
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