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大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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小さい記事ですが、入水自殺のニュースがありました。
大阪で、20歳の女性が、交際相手の男性(31歳)に心中しようと持ちかけて海(二色の浜)へ一緒に入り、男性は水死、女性は助かったそうです。

入水自殺と言いますと、私が思い出すのは安徳天皇です。
来年の大河ドラマが平清盛ですから、きっとこの話が出るのでしょうけど、平清盛の娘の徳子(建礼門院)が高倉天皇に嫁いで生まれたのが安徳天皇です。

源氏の挙兵後は平家にかつがれて都落ちし、壇ノ浦の戦いで平家が滅びるとき、安徳天皇は母ら平家一門と共に海に飛び込みます。
安徳天皇はわずか8歳で亡くなり、母の建礼門院は源氏の手によって海から引き上げられ、あとは尼僧となって余生を送ります。

冒頭のニュースでも女性が生き残ったというので、安徳天皇と建礼門院みたいな話かと思っていたら、生き残った女性は、「自分が死のうと持ちかけた」そして「気が付いたら自分だけ砂浜で倒れていた」と言っているそうです。

誰しも「え?」と思う話でしょう。
二色の浜といえば、夏になれば南大阪の人間が海水浴やバーベキューに来るところで、壇ノ浦みたいな海峡の荒海でなく、穏やかな海のはずですが、それでも沖へ行けば31歳の男性を溺死させるのです。女性だけが波にのまれずに岸に押し戻されたというのも不自然ですし、建礼門院みたいに誰かに助けられたというわけでもない(それなら救助した人が通報しているでしょう)。

事実関係の詳細も知らず、かつ弁護士の私がこんなことを言うのも気がひけますが、どうしても「偽装心中か」と疑わざるをえない。つまり心中を装って誰かを殺すというわけです。
そして大阪府警は、この女性を「自殺教唆罪」で逮捕したそうです。

他人に自殺するようそそのかしたり(自殺教唆)、他人が自殺しようとしているのを手伝ったりする(自殺幇助)と、7年以下の懲役とされています(刑法202条)。
ついでに、同じ202条には、嘱託殺人罪が定められています。他人に頼まれたのでその人を殺すというものです(罪の重さは同じ)。

これらは、他人が死にたいと思っている場合であっても、その生命をあやめることは許されるものではない、という意味で犯罪とされているのです。

ちなみに、嘱託殺人罪のほうで思い出すのは、渡辺淳一の「愛の流刑地」で、これは主人公が愛人との情交中、愛人が「首をしめて」と言うので、首をしめての性行為中に愛人が死んでしまったという話でした。弁護側は嘱託殺人を主張しましたが、より重い殺人罪が適用されました。小説・映画の中の話ですが。

では、今回の二色の浜の事件は、自殺教唆になるのか、または単純な殺人ではないのか、そのあたりの話は次回に続きます。
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いわゆるライブドア事件で堀江氏の上告棄却(最高裁、26日)。懲役2年半の実刑が確定することになりました。経済事犯に関して私は疎いのですが、以下、この事件の経緯をものすごく大ざっぱに書きます。

ライブドアは、平成12年に東証マザーズに上場したあと、株式分割を行なうと一時的に株価が上昇するのを利用して(そのことの意味は省略)、自社の株価をつり上げてきた。そうしたやり方には批判もあったが、金融庁や証券取引等監視委員会は、具体的な法律の条文に反しているわけではないとして、摘発や指導に動くことはなかった。

平成18年になって、東京地検は唐突にライブドアの家宅捜索などを行なった。多くの人は、ライブドアや堀江氏にどのような「闇の部分」が解明されるかと注目したが、捜査の結果、起訴されたのは、ありがちな粉飾決算などの、証券取引法違反であった。

嫌疑の内容は、自社株の売却益の約37億円を、本来は利益に計上してはいけないのに利益に上げたこと、架空取引による売上げ15億を計上したことなどで、要するに、利益が上がっていないのに52億円ほどの利益が出ているかのように見せかけた、ということです。

以上は元特捜検事の弁護士である郷原信郎氏の「法令遵守が日本を滅ぼす」(新潮新書、平成19年)などを参照しましたが、もし誤りがあれば私(山内)の要約ミスによるものです。

郷原氏は、この事件について、過去に摘発された粉飾決算事件の中では少額であり、形式的には違法だとしてもその違法性は低い、と指摘されています。私が見る限りでも(ツイッターなど限られた情報源によりますが)、弁護士の中では、実刑は厳しすぎるという意見が多いようです。

この手の事案については判例をきちんと調べたわけでもなく、実刑と執行猶予の分かれ目というのも良く存じません。ただ単純に個人の感想としては、実刑ということに特に違和感を覚えません。

ライブドアという新興の会社が、短期間に52億円もの利益をあげた…と思っていたら、実はその利益は存在していなかったのです。ライブドアを信じてその株を買った人や、取引関係を持った人にとっては、信頼を裏切られたことになるし、実際にも損害が生じているでしょう。

この事件と、今回の最高裁判決に対する判決に対する意見や感想は人それぞれだと思いますが、52億円の虚偽記載をしたことの報いとしての実刑が、厳しすぎるとは私には思えません。
当ブログでかつて触れたけど、この度の震災以降はもうどうでもよくなった感のある話はいくつもあります。

その筆頭は沢尻エリカが離婚するしないといった話で、今や多くの人にとって、どうでもいいか、またはそもそも思い出しもしない話題となっているでしょう。
海老蔵が舞台に復帰すると言われても、まあ、好きな人が見に行くんだからそれでいいじゃないの、と思います。

同じく芸能がらみの話題としては、押尾学が懲役2年半の実刑判決を受けました(東京高裁、18日)。これは、刑事裁判としてもやや注目に値する部分を含んでいるし、何より、人がひとり亡くなっている事件でもあるので、この段階で整理しておきます。

すでにここでも何度か触れましたが、押尾学は「保護責任者遺棄致死罪」で起訴されました。問題点を単純化して書くと、以下の2つです。

1、押尾学は、死亡した女性を保護してやるべき義務があったか。女性は自分の意思で合成麻薬を飲んだのであって、助けてやる義務はなかったのではないか。
2、押尾学が、その女性を部屋に遺棄(放置)したせいで女性が死亡したといえるか。もし押尾学がすぐに救急車を呼ぶなどしても、助からなかったのではないか。

東京地裁は、1の点では押尾学に保護すべき義務を認め、2の点では、救急車を呼んでも助かったとまでは証明されていないから、死亡したことまでは責任を問えない、とした。
結論として、「保護責任者遺棄罪」(「致死」の部分が削られた)の成立を認め、懲役2年半とした。

単純に勝ち負けのみで書くと、有罪が認められた部分は検察の勝ち、「致死」の部分が削られたのは押尾学の勝ち、ということになります。

押尾学は「保護責任者遺棄罪」すら成立しないとして高裁へ控訴しました。検察としても当然、「致死」まで認められるべきだと控訴してくると思ったら、検察側は控訴しませんでした。検察側が控訴しなかった理由は当事者でないので存じませんが、「救急車を呼んでいたら救命できた」ということを医学的に立証するのが難しかったのでしょう。

そのため高裁の判断は、「保護責任者遺棄罪」か「無罪」に絞られることとなりました。
結論としては、押尾学の控訴に見るべき理由がなく、高裁は地裁の判断そのままを受け入れました。
押尾学が上告したため、この事件は最高裁で判断されることになりますが、判断が覆る可能性は極めて低いと思われます。

ということで、この問題の考察は以上です。
亡くなられた女性のご冥福を祈ります。そして、りあむ君の幸せな将来を祈ります。
1週間少し、更新が空いてしまいましたが、今週、注目を集めたのは、大学入試でのカンニング事件でしょうか。19歳の予備校生が「偽計業務妨害罪」で逮捕されるという事態にまで発展しましたが、これについて触れます。

まず、19歳の未成年でも逮捕されるのかというと、これはありえます。
少年法は、未成年者(20歳未満)は公開の刑事法廷で裁くのでなく、原則、家庭裁判所で非公開の少年審判で扱う、としているのであって、審判に至るまでの取調べの段階では警察が逮捕することも可能です。

では、カンニングが「偽計業務妨害罪」という犯罪にあたるのか。

偽計業務妨害罪(刑法233条、3年以下の懲役または50万円以下の罰金)というのは、ここでも何度か触れましたが、字のとおり、偽りの計りごとを用いて人の業務を妨害することです。

典型的には、中華料理屋に他人の名前をかたって「ラーメン30杯」などとウソの出前注文をするのがこれにあたります。
今回のケースで言えば、きちんと受験しているふりをしてカンニングし、京都大学に真相解明のため多大な手間をかけさせた、という逮捕容疑のようです。

私自身は、これが偽計業務妨害にあたるということに、やや疑問を持っています。
もちろんカンニング行為は許されるものでないとしても、犯罪として逮捕し処罰するからには、刑法の条文をあてはめて良いか否か、厳密に解釈しないといけない。

上記の中華料理屋の例でいえば、偽計(ウソの注文)と業務妨害(ラーメン30杯を頼んでもない家に出前させられた)はダイレクトに結びついています。

しかし、今回のケースでは、偽計(カンニング)が行なわれていた時点では、京大側はそれに気づかず、当日の試験は滞りなく終わったのです。

それが、後からインターネットがきっかけで発覚し、大学側の監督体制を問う声が出て、マスコミも騒ぎ出し、大学当局のメンツの問題もあり、犯人探しのため手間がかかったという「業務妨害」が生じた。
偽計と業務妨害の間にいろんな要素が混入していて、ダイレクトの結びつきはないように思えます。

とはいえ、これがもし裁判にかかったら、裁判所は偽計業務妨害罪の成立を認めるでしょう。最高裁は古くから、「業務を妨害するに足る行為」が行なわれさえすれば、その結果ただちに業務妨害結果が発生しなくても偽計業務妨害罪の成立を認めているからです。

インターネットを利用したカンニング行為などは、大学側として後から真相解明に乗り出さざるをえなくなるのは明らかであって、業務を妨害するに足る行為だ、という理屈になると思います。

偽計業務妨害罪の解釈論について長々と述べてしまいましたが、この事件について思うところは、次回あたりに書きたいと思います。

人というものについてお話ししたついでに、「特殊法人」にも触れます。
これは、民法や商法といった古くからある法律に則って作られるものではなく、わざわざその法人を作るために個別の法律を新たに制定するというものです。

具体例を挙げると、昔、郵便事業は「郵政省」という国の機関が統括していましたが、近年になって「日本郵政公社法」という法律を作り、それに基づいて平成15年、「日本郵政公社」という特殊法人ができ、そこが郵便を扱うことになった。

郵便の仕事は「公益」を担うので、社団法人や財団法人でも良さそうなのですが、それだとおそらく、国の監督が弱くなってしまうということでしょう。社団法人・財団法人は、設立時に国の許可が要るというだけで、あとの運営は国があれこれ指示するわけではないので。

このように特殊法人は、国の組織をスリム化するという名目で作られることが多いのですが、実際には、退職した官僚がそこに天下りし、高い報酬を得ているなどのケースもあり、非難が寄せられた。

そこで、あまたある特殊法人についてもスリム化することが要求されることとなった。
日本郵政公社も、小泉政権下での郵政民営化により、「日本郵政株式会社」となったことは、皆さんの記憶にも新しいと思います。

そしてスリム化の流れは、社団法人・財団法人にも及びました。

そもそも、天下りの温床となっている点では、特殊法人も、社団法人・財団法人も、大した違いはない。例えば、法務省官僚や最高裁判事を務めた人が、社団法人の理事長となって、法人から多額の貸付けを受けていたという話は当ブログでも書きました。こちら

だから今後は、公益を担う団体であるのか否かの審査を厳しくしようということになった。
すでに存在する法人については、真に公益を担う法人は「公益社団法人・公益財団法人」とし、これまで通り、法人税の軽減などの特権を維持することとした。
それ以外は「一般社団法人・一般財団法人」として、株式会社に近い扱いをすることとなった。

では、日本相撲協会は、「公益」法人であり続けることができるのか。
大相撲に八百長が横行しているのであれば、もはや神事とか国技などに値せず、あとは見せ物と割り切って、プロレスみたいに株式会社に運営させれば良いとも考えられます。

「公益」認定を受けるための申請は再来年までです。そのときまでに、財団法人日本相撲協会はいかなる答えを出すのでしょうか。

大相撲の八百長問題がふたたび世間をにぎわせています。

以前、「週刊現代」の八百長報道に対し、裁判所が出版元の講談社に対し、相撲協会への4000万円超の賠償を命じました。今や講談社側は「それ見たことか」と思っているはずで、実際、相撲協会に対して逆に賠償を求める動きもあると、ネットニュースで見ました。

では、講談社に賠償を命じた判決は間違っていたのか、ということについて触れます。

まず、他人の名誉を害するようなことを言ったり書いたりすると、名誉毀損となり、刑法上も犯罪になるし、民事上も賠償問題になる。その事柄が、真実かウソかは、ひとまず問題ではない。

これまで世間は、大相撲に八百長はないと信じていたわけです。「昔から八百長は当然行われていた」と、知ったふうなことを言う人がいますが、少なくとも大半の人はそう信じていなかったからこそ、相撲の試合を熱心に観戦してきたのです。
そういう状況下で「大相撲は八百長だ」と公言すると、これは名誉毀損となると言ってよいでしょう。

ただ、報道する側にも、表現の自由、報道の自由があるし、むしろ、世の中に不正義があるのなら、それを暴くという役割も期待されている。

そこで、その報道内容が、①公共的なことがらであり、②公益を目的とした報道であり、かつ、③真実と認めることが相当だ、と思われることであれば、相手の名誉よりも報道の自由のほうを表現し、法的責任を問わないこととされています。

細かい議論は省きますが、相撲協会は公益を目的とした財団法人であり、そのため税金が安いなどの特権を得ていますので、①と②は認めてよい。

③は、きちんと調査して、相当な証拠や根拠も揃っていて、「そこまでの資料があるのなら、週刊誌側が八百長の存在を信じたとしても当然だろう」といえる状態だったのなら、その要件を満たします。

今回、八百長のやり口を具体的に相談するようなメールのやり取りの存在が、警視庁によって明らかにされました。これは、野球賭博の捜査のために力士から押収した携帯電話を調べて得た証拠のようです。
(警察が、野球賭博の捜査とは関係のない八百長の資料まで大っぴらにする権限があるのか、という点は疑問ですが、それはいずれ検討するとします)

出版社には、さすがにそこまで調べるほどの能力も権限もなく、ここまで決定的な証拠はない状態で、八百長報道をしたわけです。

もちろん、関係者からの聴き取りや裏付けなど、それなりの取材はしたでしょう。しかし、個人のブログとかではなく、大量の発行部数と読者を持つ週刊誌が報道する以上は、相当に強力な根拠を持つことが求められるというべきで、例えば「有力な情報筋から聞いた」というだけでは、「八百長の存在を信じたとしても当然だ」とまでは言えないでしょう。

講談社に賠償を命じた判決の趣旨は、その時点では確実とまではいえない程度の資料に基づいて八百長報道をしてしまったという点に違法性が認められたのであって、その判断は間違っていないというのが、私の個人的な理解です。

ここしばらく、「ダルビッシュ」と「大たこ」のキーワード検索で当ブログに来られる方が多いようです。ダルビッシュの離婚話はあと一話残っていますが、少し前に報道された、道頓堀のたこ焼き屋「大たこ」の話に少し触れます。
 
ここでも触れたとおり(こちら)、大阪市の公有地上でたこ焼き店を営んでいた「大たこ」に対し、今年7月に最高裁で立退きを命ずる判決が確定しています。
 
その大たこ、私も通りすがりに見ましたが、今も道頓堀の橋の上で営業しています。どうなっているのかというと、最近の報道などからすると、以下の事情のようです。
 
最高裁での判決後も、大たこは立ち退かなかったので、大阪市は強制執行の手続きをとった。そうなると、まず裁判所の執行官が大たこ側に、何月何日までに立ち退きなさい、そうでないと無理やりに撤去します、という申し入れをします。普通、そう言われると大半の人は期限の日までに自発的に立退きをします。
 
大たこも、「立ち退きました」と、大阪市に伝えたそうです。それを受けて大阪市の職員が現地を見に行ったところ、何と、大たこの店舗は、もとあった場所から数十センチずれた場所で、平然とたこ焼きを焼いていた。
 
大たこ側の理屈は、「立退きを命ぜられた場所からは立ち退きました。今はそれと『別の場所』で営業しています」ということなのでしょう。
大阪市の平松市長は、「ゆでダコになりそうだ」と怒っています(ここでそんなユーモアを込めなくてもいいのに)。
 
大阪市が取りうる対処は2種類あります。
一つは、判決が出ているのだから、それに基づいて明渡しの強制執行を続行することです。これは判決の執行力がどの範囲で及ぶかという、やや複雑な話なのですが、常識的に考えて「そこからどきなさい」と命ぜられた相手が、そこから数十センチ移動するだけで判決を無効化できるというのはおかしい。
 
もう一つは「行政代執行」です。
これまでの裁判で大たこ側に市有地の時効取得が認められなかった以上、数十センチずらしても不法占拠であることに変わりはない。行政権の主体(大阪市)は、司法権(裁判所)に頼らなくても、不法占拠者は自ら排除することができる。
大たこが自ら撤去しないなら、行政が代わりに執行します、ということです。平松市長はこちらの手続きを取ると言っているようです。
 
法律論はともかく、大たこは大阪でも最も有名な部類のたこ焼き屋ですが、不法占拠と断じられても堂々と商売を続けているわけであり、大たこは今や「大阪の恥」となったと、私は思います。
 
大たこ側に、大阪の商売人としての良心とか、大阪のたこ焼き文化を担ってきたという誇りが、もし今でもあるのであれば、直ちに自ら立ち退くことを望みます。
尖閣事件について、もう少し続けますので、おヒマな方はお付き合いください。
 
映像を流出させたことが有罪にあたるかどうかについて、前回検討しました。「秘密」の意味を厳密に捉える立場にたったとしても、秘密保護の必要性が充分に証明されれば、有罪となる可能性はあると考えています。
 
ただ、有罪・無罪の議論よりも、多くの方がこの一連の経緯にもっと違和感を禁じえない部分があると思います。
 
それは、領海侵犯、漁船への故意の衝突を繰り返した中国人の船長は処分保留で釈放され、高々とVサインを掲げて国へ帰ったのに、そのことに義憤を感じて映像を公開した海保職員は刑事裁判で裁かれないといけないのか、ということです。
 
現時点で海保職員は逮捕されておらず、起訴されるかどうかもわかりません。
しかし、中国人船長を放免し、海保職員のみを起訴したとなれば、検察への信頼はますます地に落ちるでしょう。
 
このように、起訴すること自体がおかしい事件を検察があえて起訴した場合、裁判所は有罪・無罪の審理をすることなく、裁判を門前払い(公訴棄却)してしまえ、という理論があります。
 
「公訴権濫用論」というのがそれでして、検察官は起訴・不起訴の判断について広い裁量権を持っているけど、その権限を濫用(悪用)したような場合は、起訴自体が不適法になる、ということです。
 
公訴権濫用が問題になった有名な事件を一つ紹介します。
昭和47年、水俣病の原因を作った企業とされる「チッソ」の本社に、補償を求めて談判をしようと水俣病患者や支援者が訪れた。その際、ある患者とチッソ社員がもみ合いになり、双方が軽いケガをした(やや単純化しています)。
 
双方がケガをしたから、いわばケンカ両成敗で、双方に傷害罪が成立します。ところが検察は、チッソ社員は起訴せず、患者のみを起訴した。
 
1審は患者を有罪としたが、2審は公訴権濫用を認め公訴棄却。最高裁(昭和55年12月17日)は、公訴権濫用までは認められないけど、2審の結論自体はそのままで良いとした。
 
そして、どういう場合に公訴権濫用が認められるかというと、起訴することが「職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られる」という、わかりにくいながら、よほどおかしな起訴である場合に限定すると述べています。
 
検察が海保職員を起訴したとして、それが「極限的」におかしい起訴かというと、そこでまた議論は分かれることになるでしょう。
 
しかし、那覇地検は「日中関係を考慮して」中国人船長を釈放したと言っています。
海保職員がもし「日中関係に悪影響を与える」という理由で起訴されたとすれば、検察は、外交問題にまで立ち入り、特定の外国への配慮を理由に刑罰法規の解釈適用をねじ曲げているわけでして、それは「極限的」におかしいと言ってよいと、個人的には思います。
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