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大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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破綻したNOVAの元受講生20数人が、猿橋元社長ら経営陣に対し受講料返還を求め訴えた民事訴訟で、昨日、大阪地裁で第1回口頭弁論が開かれたそうです。
日経(18日夕刊)の見出しは、「元生徒『なぜ倒産 知りたい』 元社長、棄却求める」と。

原告となった元受講生らは大阪地裁の法廷に出たが、被告の元社長は出てこずに、代理人の弁護士だけが出廷し、「原告らの請求を棄却することを求める」という趣旨の答弁をしたに留まった。

「原告の請求を棄却することを求める」という答弁は、つまり「私には責任はありません」ということです。刑事裁判に置き換えてみると、検察官の起訴に対して「私は無罪です」と答えるのに等しい。

原告側からすれば、会社を潰しておきながら何とふてぶてしい、と思ったでしょう。しかしこれは、民事事件で訴えられた被告側の定型文句です。
損害賠償してくれ、という原告の請求に対して、被告が「あなた方の主張は正しい、請求は認めます」と言ってしまうと、その瞬間に被告の負けが決まってしまう。

刑事裁判であれば、被告人の自白だけで裁くことはできないことになっているので、被告人が「たしかに私がやりました」と言ってもその後の審理が行なわれるが、民事裁判では被告が認めたことは審理しなくていいことになっている。

だから、いかに原告の人たちに申し訳なく思っていても、被告の代理人弁護士としてはひとまず「原告の請求を棄却することを求める」と言わざるをえない。そうしないと弁護士の責任問題になる。

いったんはそう言っておいて裁判を開始し、果たして会社の破綻に元社長らの個人責任はあるのか、あるとしたらどれくらいの賠償責任を負うのかといったことについて、今後審理を尽くしてもらうことにする。
原告側としては肩すかしを食らった気がしたかも知れませんが、ことの良し悪しは別として、民事訴訟の第1回の法廷とはそういうものです。

刑事裁判に関して、たまに「被告人の心の闇は解明されずに最後まで空しさが残った」といった風の論評を見かけますが、刑事裁判は被告人が犯罪行為をしたかどうかを判定する場であって、人の心の中を解明する場ではない。だからそれを空しいと感じるのは的外れです。

NOVAの民事裁判でも、原告側は、NOVAがなぜ倒産したか、その原因や責任を元社長はどう考えているのか知りたい、と考えているようですが、元社長の心の中の解明は、あまり期待しないほうがよいのでしょう。
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