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少し前に触れた郵便不正事件、検察側は控訴をあきらめて無罪が確定…どころではない大ごとになってきて、検察はいま激震しております。
ご存じのとおり、証拠となるフロッピーのデータに手を加えた大阪地検特捜部の担当検事が、証拠偽造罪(刑法104条、2年以下の懲役または20万円以下の罰金)で逮捕され、その上司にあたる特捜部の部長・副部長が、その発覚をもみ消そうとしたとして、犯人隠避罪(103条、罪は上に同じ)で逮捕されました。
この事件を生みだした検察の病理は、とかいった大きな話はできませんので、ここでは部長らが逮捕された犯人隠避罪の解釈について触れます。
刑法103条によると、「罰金以上の刑に当たる罪を犯した者」を「蔵匿」(ぞうとく。隠れ場所を与えてかくまう)したり、「隠避」(いんぴ。場所を与える以外の方法でかくまう)したりすると、この犯罪が成立する。
担当検事が逮捕された証拠偽造罪は、罰金以上の刑に当たります。
ちなみに罰金より低い罪とは、拘留(プチ懲役みたいなもので、最大で29日間)、・科料(プチ罰金。1万円未満)を指します。例えば「立ち小便」は軽犯罪法1条26号で拘留または科料とされているので、立ち小便を見つかって警官に追いかけられている友人をかくまっても、犯人隠避罪にならないことになります(保証はできかねますので実際に試さないでください)。
微妙なのは、「罪を犯した者」の解釈です。
組織ぐるみで証拠改竄を隠蔽しようとしたとの疑い禁じえない一方、罪にあたるかどうかわからないから、まずは部下を守ってやろうとしたと考える余地もある。
一般論として、たとえば会社の上司が、部下から、何らかの不祥事を起こしてしまったことを打ち明けられたとして、「おまえのやったことは刑法上の犯罪に該当するかも知れないから、警察に出頭しろ」と突き放すのと、「よしわかった、もう何も言うな」と言ってくれるのとを比べれば、誰だって、後者のほうが「理想の上司」だと思うでしょう。
犯人隠避罪の適用には、このような難しい部分もあります。
海外ではセレブとか言ってもてはやされて好き放題やっているようですが、血統の古さや由緒正しさで言えば、日本の天皇家には遠く及ばないわけでして、そんな話は抜きにしても、日本の法律は誰にでも公平に適用されるという好例を作ったわけです。
と思っていたら、尖閣諸島に不法侵入した中国人を、政府は処分保留のまま釈放してしまいました。仙谷官房長官は、那覇地検の判断だ、と言っていますが、ありえない話です。
那覇地検の人は、記者会見で、「日中関係を考慮して」釈放したと言いましたが、検察官(同じ法曹である裁判官、弁護士も同様)は純粋に法律の解釈・適用を行うべきであって、政治的判断をそこに絡めてはいけないのです。
もし本当に一地検の検事という小役人が、本来の職務を全うせずに勝手に政治判断して事件を打ち切りにしたとなれば、これは郵便不正事件での証拠捏造疑惑に匹敵する問題であり、検事総長、法務大臣、さらには行政のトップである菅総理大臣は、その担当者を事情聴取するなどしなければいけないが、そのような動きは全くない。
日本の法律は、外国から圧力をかければ、政治判断でいかようにも捩じ曲げられるという、取り返しのつかない前例を作ってしまったわけです。かくて今後も似たような事件が日本のどこかで起き続け、その度にわが国は、中国その他の近隣諸国に蹂躙されるでしょう。
今の政権は、「領土」への侵害に対して、それを排除するという職責を放棄しました。
そして、自国で起こった刑事事件を自国で裁くこともしなかった。「統治権」を放棄したに等しい。「国民」の生活が第一、と繰り返していた政党は、こうして、外国から国民生活が脅かされる事態を招きました。
「領土」「国民」「統治権」、この3つを国家の三要素と言う、と、たいていの憲法の教科書には一番最初に書いてあります。今の政権は、今回の事件で、その3つともを守ろうとしませんでした。
当ブログは市井の一弁護士が書いているに過ぎず、ここではあまり政治や外交の話は触れないつもりですので、この問題にこれ以上深く立ち入ることはしません。でも今回の事件と、この事態を招いた今の日本の支配者層の顔を忘れないでほしいと思います。
先日の参院選や民主党代表選では、雇用確保とか、行政の無駄を排除するとか、いわば当たり前の話ばかりが繰り返されていました。そういった国内のことは、誰がやっても大差はないでしょう。今後は、外国との接し方を良く考えて、国政の選択を行うべきです。
中国との関係が冷え込めば、日本はきっと、いっそう不景気になるでしょう。だから今回の釈放は、ことを荒立てないためには良かった、という判断をする人もいるかも知れない。一方で、景気がどうなろうが、国として筋を通さないと、という考え方もありうる。私はこちらの考えに与します。
この問題が、多くの人にとって、国のあり方を意識するきっかけになれば、不幸中の幸いとなるかも知れません。
判決は、「致死」の成立までは認めず、保護責任者遺棄罪で懲役2年6か月の実刑判決。亡くなった女性に対する保護責任は認めつつ、致死、つまり放置したせいで死んだのかどうかについては、認めなかった。遺棄だけなら上限が懲役5年(刑法218条)、致死もつくと15年となるので(219条、204条)、結論の差は大きいです。
押尾学が女性の異変に気づいてすぐ救急車を呼んでも、助かっていたとまでは証明されていない、ということのようです。押尾学がいかにひどいヤツであっても、致死の証明がされていないならその点を罰することができないのは当然で、裁判員も交えて冷静な審理が行われたものと思われます。
具体的にどういう理由で致死が認められなかったのかというと、実際に審理に接していない私たちにはわかりません。いずれ、判例雑誌に判決文が紹介され、事実関係の概要くらいはわかるのでしょう。
ここではひとまず参考として、当ブログでも過去に触れた、致死が認められた有名な判例(最高裁平成元年12月15日判決)を紹介します。
被告人はヤクザの男性で、13歳の女の子を札幌市内のホテルに連れ込んで、夜11時ころ、覚せい剤を女の子に注射しました。午後11時半ころ、女の子が吐き気や頭痛を訴え、午前0時半ころには錯乱状態になって暴れ出しました。
異変に気付いて部屋に来たホテルのメイドには、「女が酔って暴れている」と嘘をついて追い返し、その後も、管理人室の様子を覗きにいったり(通報されていないか確認するため)、子分のヤクザを呼ぼうと試みたりして(結局連絡は取れず)、時間を空費します。
その間、女の子は全裸の状態で倒れ、うめき声をあげ続けていたようですが、最後には、午前2時過ぎころ、被告人は女の子を部屋に放置して逃げます。女の子は、その後、午前4時ころまでの間に、覚せい剤による急性心不全で死亡します。
非常にひどい事案で、誰もが、女の子の異変に気付いたときに救急車を呼んでやるべきだった、致死罪の成立は当然だ、と思うでしょう。
しかしそれでも、この事件の1審(札幌地裁昭和61年4月11日判決)は、今回の押尾事件と同様、遺棄罪のみを認め、致死を否定します。札幌地裁での鑑定では、医師が「この女の子を100パーセント救命できたとは言い難い」と述べていました。
事件は高裁へ上がり、高裁では致死の成立を認め、最高裁もこれを支持しました(被告人に懲役6年の判決)。最高裁いわく、100パーセント救命できたとまで言えなくても、適切な措置をしていれば「十中八九」、つまり80~90パーセントは救命できていたと言えれば、致死との因果関係を認めることができる、という判断です。
押尾学の事件でも、検察側が控訴すれば、この点の判断はくつがえる余地があるかも知れません。
前回書いた、有罪・無罪のルールを前提にして、郵便不正疑惑について触れます。
事件を簡単にいえば、障害者団体を偽装して不正に安い郵便料金でダイレクトメールを郵送していた団体があり、その団体に障害者団体としての証明書が発行されていたというものです。
公務員がニセの証明書を発行すれば、虚偽公文書作成罪という犯罪になります。この事件では、村木元局長が、議員の口利きを受けて、部下にニセの証明書を発行するよう指示したのかどうかが問題となった。
部下の係長ら関係者は、検察の取り調べに対し、当初は「村木局長の指示があった」と言っていたそうですが、裁判の段階になって、「あれは検察に無理やり言わされたものだ」として証言を翻した。
ということで、前回のルールにあてはめて、有罪・無罪を検討してみてください。
村木氏は一貫して指示したことを否認しているから、被告人の自白はない。
検察官は「指示があった」という関係者の供述調書を作ったが、弁護側は「無理やり言わされたものだ」と異議を唱えたため、証拠に採用されなかった(前回のルール4です)。そして関係者は法廷に出て、「指示はありませんでした」と証言しました。だから、犯行があったとする証人の調書や証言は何もない。
物証もない。殺人事件なら死体や凶器が残りますが、「ニセの証明書を作れと口頭で指示したこと」は、(仮に言ったとしても)あとに残らない。証明書自体は残っているでしょうけど、それは、部下が勝手に作ったのだと言われると、村木氏の指示で作ったという証拠にはならない。
かように、本人の自白もない、他人の証言もない、物証もない。村木氏の犯行を立証する確かな証拠は、何もないわけです。これでは無罪にならざるをえない。
ちなみに、検察官の作った調書を採用すべきかどうかについて、大阪地裁が、判決に先だって「任意の証言でないから却下する」という判断を出したことも、注目に値します。
これまで、検察官の調書は非常に信用性が高いということで、弁護人が異議を唱えても、何やかやの理由で証拠に採用されてしまうことが大半だったのです(「何やかや」の部分は刑事訴訟法に規定があるのですが省略)。
今回の無罪判決は、こう検討してみると当然のことなのですが、検察しかも特捜部が、裁判所からも「信用できない」と言われるほどのずさんな捜査をしたことについて、弁護士ながら驚きを禁じえないところです。
そして、こういうことがあるから、やはり弁護士の働きは重要なのだなと、手前味噌なことを付け加えます。