大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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東京へ向かう新幹線の中でこれを書いています。先週の金曜日(3日)も東京地裁にいたのですが、報道陣やその他の人でいっぱいで、「ああ、今日から押尾学の裁判か」と思い出しました。
押尾学がホステスの女性と麻薬(MDMA)を服用し、女性が死んでしまったというこの事件は、ここでもすでに何度か触れましたが、改めて取り上げます。
いま裁判で「保護責任者遺棄致死罪」の成否が争われているのですが、争点の一つは、報道などから聞きかじるところでは、「遺棄」と「致死」の因果関係のようです。
この犯罪の成立には、「遺棄したせいで死んだ」「遺棄せず救護していれば助かった」といえる必要があります。だから例えば、麻薬を飲んだ時点で死んでいたとか、すぐに救急車を呼んでいても助かる状態ではなかったということだと、「遺棄致死」は成立しない。
と言っても、多くの人は釈然としないと思います。そもそも、そんな状態に陥らせたのは、押尾学本人ではないかと。そこでまさに問題になるのが、押尾学にその女性に対する「保護責任」があったか否かです。
さすがに押尾学が、このホステスを無理やり部屋に連れ込んで麻薬を飲ませた、という状況ではなかったと思います。ホステスは30歳の分別ある大人であり、にもかかわらず、当時は妻子持ちであった押尾学のいる部屋に現れて、最終的には自らの意思で麻薬を飲んでいるはずなのです。
そういう人を助けないといけない法的義務が、押尾学にあったと言えるか。
この裁判でも、弁護側はきっとこのことを主張していると思います。
そう言うと、一部の人々は、「弁護士は被告人のやったことを棚に上げて、死者に鞭打ってまで被害者をあげつらう」と批判します。しかし、この女性がどういう経緯で部屋に来て、麻薬を飲んだ、だから押尾学に保護責任があるんだ、ということは、彼を訴追する検察側が立証しないといけない。
そして検察側の証拠には、多かれ少なかれ、検察側に都合のいい「作文」が入り込む余地がある。
(たとえば厚生労働省の村木元局長が公文書偽造の罪に問われたケースで、大阪地裁は、検察が作った供述調書は信用できないとして却下するという、弁護士の私でも驚くような決定をしています。この事件はあさって10日判決です。いずれここでも触れます)
だから、検察側が女性の死亡の経緯について主張すれば、弁護側としては、そこは作文であって実際はこうだったんだ、ということを、イヤでも主張せざるをえなくなるのです。
そのあたりの議論をおろそかにして、あいまいに保護責任を認めてしまうと、間違いなくおそろしいことになります。保護責任者遺棄致死罪というのは、考えようによっては非常に適用しやすいものだからです。
たとえば、皆さんが友人と同意の上で海へ行き、みんなで遊んでいたら津波に巻き込まれ、命からがら自分は何とか逃げたが、友人は死んでしまったというケースでも、死んだ友人に対する保護責任が認められかねないのです。
この事件は裁判員裁判のため審理期間も短いようですが、検察・弁護双方が議論を尽くすことを期待し、裁判員がどのような判断をするのか、注目したいと思います。
そして私は個人的感情としては、押尾学がどうしようもない男で、亡くなった女性がかわいそうで、有罪で然るべきだと思っていることを付け加えます。
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