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大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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12日、天皇陛下即位20年の式典が行われました。

時代が昭和から平成に変わったとき、私は高校生でした。高校の拳法部の連中と一緒に、谷町にあった道場で稽古している最中、師範が「あたらしい元号が決まったぞ」とやってきて、ホワイトボードに「平成」と書いたのを思い出します。

私ごとはともかく、
この式典にあわせて、新聞各紙はそれぞれ、特集を組んでいて、例えばここ数日の日経などは、今上天皇が日本の象徴たるべくどのように心を砕いてきたか、という記事を連載していました。

前々回の記事にも書きましたが、日本国憲法において天皇陛下は日本国の象徴とされています(第1条)。
では象徴とはどういう意味なのか、というと、どの憲法の教科書を見ても、「白百合は純潔の象徴、鳩は平和の象徴」というのと同じだ、という、あまり論理的でない説明しか書かれていません。

つまり、「象徴」には法的、政治的意味はありません。むしろ、現行憲法下においては、法的、政治的な存在であってはならないとされています。
憲法という、国で最も重要な法律の、しかも一番最初に出てくるのに、法的意味を持たない。ならば象徴天皇とは何なのだ、という疑問も生じ得ます。

話は変わってまた私ごとに戻りますが、最近、今さらながら吉川英治の「新・平家物語」を読んでいます。後白河法皇が、源氏と平家を秤にかけてすさまじい政治力を発揮するのですが、この後白河法皇は、いまの天皇陛下の先祖にあたるわけです。そう思うと、大昔の話ながら、この物語を非常に身近なものと感じることができます。

後白河法皇だけでなく、日本人なら誰でも知っている「大化の改新」の中大兄皇子(後の天智天皇)とか、司馬遼太郎の幕末ものによく出てくる孝明天皇とか、これらすべて、今上天皇のお父さんのおじいさんの…とたどっていくと、行き着くわけです。

こんな国は他にはないでしょう。
たとえばアメリカは200何十年か前に原住民を侵略して作った国だし、中華人民共和国は60年前に共産党がドサクサにまぎれて作った国です。イギリスやフランスは歴史は古いけど、革命があるたびに昔の王様をギロチンで処刑しているから、国家としての連続性はない。
日本だけが、有史以来、国家の中心となってきた人の直系の子孫が、いま現在でも国の中心(皇居)にいるのです。

私なりの象徴天皇の理解としては、法律家とかマスコミが難しく考えるような性質のものでなく、ただ単に「そういう存在がいるだけですごい」ものである、と思っています。
今上陛下は象徴としてのあり方に心を砕いておられるけども、象徴天皇はただ存在するだけで充分に意味があるというのが、私の理解です。
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