大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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前回の続きで、田原総一朗氏に「取材源の秘匿」が認められるかを検討したいと思っています。
すでに旧ブログで触れているのですが、この問題は「民事裁判で証人になった人が、取材源(ニュースのネタ元)を黙秘できるか」という形で争われたことがあります。詳細は4年前に書いた記事(こちら)を見ていただくとして、改めてこの事件を単純化して紹介します。
NHKが、ある会社が脱税しているという報道をし、その会社は事実無根だとNHKを訴えた。NHKは、きちんと取材して、ある役人からその情報を聴いたと主張しました。NHKの記者が証人尋問を受け、どこの役人からどういう話を聞いたのか答えよ、と聞かれたが、NHK記者は黙秘した。この黙秘が認められるかどうかが争われました。
最高裁は、取材源の秘匿を理由に黙秘できるか否かについての判断基準を明らかにしました(平成18年10月3日判決)。
要するに、黙秘を認めて、それによってジャーナリストの取材の自由を確保するほうがよいか、または、証言させて、それによって民事訴訟の争点について重要な証言を獲得するほうがよいか、それをハカリにかけて決める、ということです。
上記の事件にあてはめると、ある会社が脱税しているか否かは重要なことで、もしそんな不正を働いている企業があるなら、それを暴くことが社会正義であり、また税収の確保という公益も実現できる。そういったことを取材することは尊重される必要がある。
一方、その民事訴訟で争われているのは、会社の株価が下がったことを賠償してほしいという、いわば私的な利益に過ぎない。
最高裁はこういう理屈で、取材の自由のほうが重く、取材源は黙秘してよいとしました。
これを、今回の田原氏の事件にあてはめてみます。
拉致被害者が生存しているか否かは重要なことですが、ここで田原氏が言わんとしていたのは、拉致被害者の救済を担当している外務省の人がどのように考えているかということでしょう。そのことは、興味はあるけど、ことさらに暴かなくてもよいことのように思える。
一方、この民事訴訟がどこまで重要かというと、微妙なところではあります。
拉致被害者の親族の心情は察するに余りあり、私もその救済を日々願う者ではありますが、それでも、上記の最高裁の理屈でいけば、「個人の精神的苦痛」を賠償してくれというのは、会社の株価が下がったのを賠償してくれというのと同様、私的な利益に過ぎないということになります。
結局、言い方は悪いですが、どっちもどっちであり、少なくとも、取材の自由だけを確保すべき要請が高いとも思えない。 ですから結局、田原氏に対する取材テープの提出命令は覆らないと予想しています。
ただ、この裁判の結論として、田原氏が1000万円もの賠償責任を負うことはないでしょう。
田原氏は、「拉致被害者は生きていないだろう」と言っただけで、被害者やその家族を直接的に中傷したわけではない。賠償責任がもし認められたとしても、相当に低額になるのではないかと思えます。
少々ややこしい話をしましたが、とりあえずこの問題については以上で終了します。
発言が問題となったテレビ番組については、私は見ていないので、もし私の理解に欠けているところがあれば、メール等にてご教示ください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
平成23年1月追記
田原氏の抗告を受けて、大阪高裁は提出命令を覆しました。
私の予想は外れたことになりますが、取材源の秘匿の重要性をそれほどに認めたこと自体は、望ましいことのように思えます。
本文に書いたことは、あくまで私の個人的見解としてお読みください。
すでに旧ブログで触れているのですが、この問題は「民事裁判で証人になった人が、取材源(ニュースのネタ元)を黙秘できるか」という形で争われたことがあります。詳細は4年前に書いた記事(こちら)を見ていただくとして、改めてこの事件を単純化して紹介します。
NHKが、ある会社が脱税しているという報道をし、その会社は事実無根だとNHKを訴えた。NHKは、きちんと取材して、ある役人からその情報を聴いたと主張しました。NHKの記者が証人尋問を受け、どこの役人からどういう話を聞いたのか答えよ、と聞かれたが、NHK記者は黙秘した。この黙秘が認められるかどうかが争われました。
最高裁は、取材源の秘匿を理由に黙秘できるか否かについての判断基準を明らかにしました(平成18年10月3日判決)。
要するに、黙秘を認めて、それによってジャーナリストの取材の自由を確保するほうがよいか、または、証言させて、それによって民事訴訟の争点について重要な証言を獲得するほうがよいか、それをハカリにかけて決める、ということです。
上記の事件にあてはめると、ある会社が脱税しているか否かは重要なことで、もしそんな不正を働いている企業があるなら、それを暴くことが社会正義であり、また税収の確保という公益も実現できる。そういったことを取材することは尊重される必要がある。
これを、今回の田原氏の事件にあてはめてみます。
一方、この民事訴訟がどこまで重要かというと、微妙なところではあります。
拉致被害者の親族の心情は察するに余りあり、私もその救済を日々願う者ではありますが、それでも、上記の最高裁の理屈でいけば、「個人の精神的苦痛」を賠償してくれというのは、会社の株価が下がったのを賠償してくれというのと同様、私的な利益に過ぎないということになります。
結局、言い方は悪いですが、どっちもどっちであり、少なくとも、取材の自由だけを確保すべき要請が高いとも思えない。
ただ、この裁判の結論として、田原氏が1000万円もの賠償責任を負うことはないでしょう。
田原氏は、「拉致被害者は生きていないだろう」と言っただけで、被害者やその家族を直接的に中傷したわけではない。賠償責任がもし認められたとしても、相当に低額になるのではないかと思えます。
少々ややこしい話をしましたが、とりあえずこの問題については以上で終了します。
発言が問題となったテレビ番組については、私は見ていないので、もし私の理解に欠けているところがあれば、メール等にてご教示ください。
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平成23年1月追記
田原氏の抗告を受けて、大阪高裁は提出命令を覆しました。
私の予想は外れたことになりますが、取材源の秘匿の重要性をそれほどに認めたこと自体は、望ましいことのように思えます。
本文に書いたことは、あくまで私の個人的見解としてお読みください。
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