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前回の続き。
神戸地裁が田原総一朗に取材テープの提出命令を出したところ、田原氏側が抗告で争った。
田原氏に言わせれば、取材源(どこから得た情報か)は秘密である、それが特定されるようなテープは公開できない、そんなことをすればジャーナリストとしての信頼が失われ、取材活動ができなくなる、それは報道の自由をおびやかすことになる、ということだと思います。
ただ、常識的に考えると、自ら裁判で「外務省の人もそう言っていた、取材テープもある」と主張した以上、その提出を命じても良さそうです。「テープは出さないけど、ホントにそう言ってたんだ」と言われたら、誰だって、そのまま信用してよいかどうか、疑問に感じるでしょう。
私たち弁護士も、民事訴訟で第三者の発言を引用することがありますが、その際には常に、訴訟の相手から「その発言の元を明らかにせよ」と言われることを想定して、証拠はいつでも出せるようにしておきます(例えばその発言者に、いつでも証人として証言してもらえるよう内諾を得ておくなど)。それができなければ、通常、「誰々がこう言っていた」などという主張はしません。
ですから、「俺はジャーナリストだ」と言うだけで、発言の元は一切明かさなくてもいいとか、それでも訴訟の上で不利に扱われないとかいうのも、おかしなことであると言えます。
ジャーナリストの言うところの、報道の自由、取材の自由は、確かに私たち国民の「知る権利」にとって重要なものであり、そのために取材源は秘密にしておくというのも一理あります。しかし一方で、民事裁判で問題となっている争点(本件の場合、田原氏の発言がどこまでちゃんとした取材に基づくものであったか)を明らかにするために、裁判所が立ち入って審理することも必要です。
この問題は、民事裁判の前に、取材源の秘匿はどこまで認められるかという、古くから論じられているテーマですが、近年の最高裁は、この問題に一定の結論を出しています。