大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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最高裁の判例は、下級裁判所の判断を拘束する力を持ち、また国会や内閣にも大きな影響を及ぼす、ということを前回話しました。そしてこの効力は、判決文の中の結論に関わる部分、つまり「判決理由」に関する部分に限られます。
それ以外の「傍論」とは、結論に関係のない部分です。
裁判所というのは、具体的に起こった事件について、勝訴か敗訴か、有罪か無罪かといったことを判断するための機関です。その裁判所が、事件とは全く関係のないところで、裁判所の見解はこうだと示すようなことは、本来想定されていない。
司法試験に受かっただけであって選挙で選ばれたわけでもない裁判官が、事件を裁く仕事から離れて国の政治問題などに口出ししては、民主主義の観点からも問題であるのは明らかだと思います。
でも、現実には裁判所はそれをやります。
最高裁の立場としては、「傍論だから拘束力はないんだよ」という建前でそれを言うのですが、それで最高裁が言った以上、下級裁判所と、さらには国会や内閣に影響を及ぼします。もちろん最高裁の判事もそれがわかってやっています。
今回の外国人参政権の例でいえば(具体的な事件の内容は前々回の記事を見てください)、選挙権は日本国籍を有するものに限る(判決理由)、とだけ言えば良かったのに、今後法律を変えて地方選挙権を与えても構わない(傍論)、と言ってしまった。
それが、最高裁は外国人参政権にお墨付きを与えた、と一部で解釈され、賛成派は勢いづいたわけです。
2月19日の産経朝刊で、平成7年当時この判決に加わった裁判官の一人がインタビューに答えて、その傍論を付け加えた意図を話していました。
詳細は、インターネットや当日の新聞を見ていただきたいと思いますが、その元最高裁判事は、外国籍の人たちへの配慮のためだ、彼らのことを全く考えていないわけではないことを示したかったのだ、と言っています。
現在、民主党の一部が進めているように、永住者でさえあれば広く参政権を与えて良いとまでは考えていなかったのだ、と言います。
確かに、この元の事件は大阪市で起こっており、韓国籍の人が原告になっています。
大阪市に生まれ育った私にはよくわかりますが、市内には何世代も前から日本人と同様に暮らしている朝鮮・韓国籍の人がいますし、私自身にもそういう知人・友人はたくさんいます。そんな彼らに一定の配慮を示したというのは、全く分からなくもない。
しかし、ことは最高裁の判決文です。傍論であれ、それが以後、参政権に関する議論にどれだけの影響を及ぼすか、考え付かなかったはずはないのですが。
最高裁はこれまで事件と関係のないところで傍論を示してきて、それは「法の解釈の統一」ということで一定の意味はあったのですが、一方で国政全体に不必要に大きな影響力を与えてしまうという弊害があった。
今回の一件は、その弊害がここに極まった、という感じでして、私としては、「最高裁も要らんことしてくれたなあ」という思いです。
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