大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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前回のブログ更新後も、サントリーとキリンの経営統合の白紙化とか(サントリーには独自路線でいてほしいので個人的にはうれしい)、明石の歩道橋事故で検察官役の弁護士が3人指定されたとか(うち1人は過去に民事事件であたったことがある人でした)、うちの息子が3歩だけ歩いたとか、注目のニュースが日々見られます。
でもここでは似たような話が続いてしまいます。すみません。
内閣府の世論調査で、死刑制度について「場合によってはやむをえない」と容認する声が85%を超えたと、先日の報道にありました。
死刑の是非に関する議論は省きますが、私自身も、死刑は廃止すべきではないと思います。世論調査の結果も、多くの人にとって、驚くような数字ではないでしょう。
ただ、死刑制度を容認するにあたっては、明確に意識していただきたいことがあります。
「場合によっては死刑もやむをえない」というその「場合」が、自分自身に関係ないところで起こるとは限らないということです。
自分自身や、親族や友人が殺人などの凶悪犯罪に巻き込まれた場合を想定すると、これは当然、犯人が死刑になっても構わない、と思う人が多いでしょう。報復感情として当然のことです。
しかし一方、自分は罪を犯していないのだけど、冤罪によって自分が犯人に仕立て上げられ、自分に死刑判決が下された場合はどうか。
死刑判決が再審により引っくり返った例は現に存在します。前回も触れた菅谷さんは、不幸中の幸いで無期懲役判決だったため、生きて出てくることができた。
これらはたぶん氷山の一角で、中には、本当に冤罪のまま獄中で死んだ、または首をくくって死刑執行された人も、いるのではないかと想像できます。
そしてそれが、自分の身に降りかかってくる可能性は、死刑制度が存在する以上、ゼロではない。死刑を容認するというのであれば、そういう「場合」であっても「やむをえない」と言えなければならない。
私は上に述べたとおり、死刑容認派です。
自分が冤罪で死刑判決を受けて、徹底的に争ってもダメなら、殺されても仕方がない、というのが私の考えです。
日本の刑事裁判は、99.99%くらいは信用できると思っていますが、人が作る法律や制度は完全なものではありえない以上、事実として間違いは必ず起こる。その場合、制度を選択した国民の一人としては、従わざるをえない。
死刑を容認する人は、一度はそういった可能性を考えた上で、容認するかしないかを選択してみてください。
そしてもう一つ気をつけるべきなのは、内閣や法務省の言うことが、世論調査で85%以上の国民が死刑を支持した、だからたまに間違った死刑判決が出てもやむをえないんだ、といったニュアンスを帯びてきたら、そのような世論誘導は決して容認してはならないということです。
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