大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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前回、外国人参政権についての最高裁判決の内容を紹介しました。
最高裁は「外国人に地方選挙の選挙権を与えることは許容される」との立場であるように読める部分があり、この判決にどこまでの「拘束力」があるのかが、賛成派・反対派で議論の分かれ目の一つとなっています。
今回はこの「判例の拘束力」ということについて述べます。
前回述べたように、判決には、結論に至る理由づけの部分(以下「判決理由」と呼びます)と、傍論とがあります。判例の拘束力は、このうち「判決理由」の部分に生じるとされています。
判決理由の拘束力については、実は憲法の教科書を見ても議論が錯綜しているのですが、とりあえず、以下のようなものだと考えてください。
まず、下級裁判所(地裁や高裁)が、最高裁の判決理由に書かれたことと異なる判断をすると、最高裁に上告して審理をやり直してもらうことができる(最高裁への上告が認められるためには、実は比較的厳しい要件があるので、「上告の理由になる」というのは大きい「法的」な意味があります)。
では、最高裁の判決理由と異なる判断を下した下級裁判所の裁判官は、何か「違法」なことをしたことになるのか。「拘束力に反する判決を書いたからクビ」とか、そういうことになるかというと、そうはならないので、法的意味において違法となるわけではない。
もっとも、最高裁の判断と違う判決を書くような裁判官は、上からにらまれて、たぶん出世の道も閉ざされてしまうので、従わざるをえない。それでも、勇気ある裁判官は、最高裁が間違っていると思えばそれに反した判決を書くし、それが最後に最高裁をも動かし、判例を変更させることも、稀にはある。
こうしたことから、最高裁の判決理由には法的な拘束力はなく、その拘束力は事実上のものに過ぎない、と説明されることが多いです。
判例の拘束力とはこのようなものです。役所のトップが内閣であるのと同じように、裁判所のトップが最高裁であり、裁判所としての見解を統一させるのです。ですからその拘束力は、国会や内閣には及びません。三権分立の観点からも、それは当然のことです。
最高裁が「憲法違反だ」と判断した法律であっても、国会が「合憲だ」と考えれば、国会としてはその法律を廃止する義務を負わない。もっとも、国会や内閣としては、最高裁の判断を全く無視できるはずもないので、実際には、違憲とされた法律は、国会により改正や廃止の措置が行われています。そういう意味では、最高裁の判例は、国会や内閣にも、事実上の大きな「拘束力」を持つと考えてよい。
上に述べたのは、繰り返しになりますが、判決のうちの「判決理由」の部分についての話です。外国人参政権に話を戻すと、それに関する最高裁の判断は、「傍論」に書かれています。そのことをどう読むべきかというのが本題なのですが、以下次回に続きます。
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