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大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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先日のニュースで、40代の男性が女装して人前で性器を露出して逮捕されたという事件がありました。容疑者いわく、女性の格好をして恥ずかしいことをすると興奮する、とのことだそうです。
 
この人に限らず、仕事や人間関係のストレスで…などと言っては露出するオッサンが、定期的にと言っていいほど現れますが、全く理解できない犯行です。
 
私は、このニュースを聞いたとき、23歳の女性(下村容疑者)が、自らのブログやSNSサイトに「happyにならなきゃ!」などと書きつつ、その裏で2人の子供をマンションで置き去りにしていた事件を思い出してしまったのです。
 
冒頭の男性は、興奮を得たいがために性器を露出した。下村容疑者は、「happyになりたい」がために子供を見殺しにした。どちらも、「そんな動機でそこまでしないだろう」と言う点では同じであり、通常人には理解できない異常な犯行といえます。そして、実際に子供が2人死んでいる点で、下村容疑者のほうが明らかに犯罪としては重い。
 
それでも下村容疑者に対しては、一定の同情が寄せられているようで、児童相談所がもっと親身になってやれなかったのかとか、彼女も子供のころ親からネグレクト(無視)されていた被害者だとかいった声も聞かれます。
 
しかしそれなら、冒頭の男性だって、ストレスの多い社会ゆえにそんな行動に走ったのだ、だから彼も被害者だ、という声がもっと挙がっても良いはずなのに、そんな話は一向に聞かない。
 
もちろん私は、冒頭の男性が同情されるべきだとは全く思いません。ただ、下村容疑者の事件について、「社会のせい」だとか「彼女もかわいそう」とだけ捉えるのは、オッサンが性器を露出するのも社会のせいだ、と言うのと同様の誤りであると思うのです。
 
たとえば下村容疑者に対して、大阪市西区の区役所や警察が積極的に動いていたらとか、シングルマザーに対する社会的・経済的援助をもっと強めていたらとかいうことは、検討の余地はあるかも知れません。
 
しかし、下村容疑者は、当否はともかくとして風俗店で働いており、収入は悪くなかったはずで、経済的に困窮した挙句に子供を殺したというケースではないのです。
仮に大阪市西区の人が今回の事件を防いでいたとしても、この人はいずれ、自らが「happy」になるためには子供がうとましいと感じて、どこかで同じようなことをしていたような気がします。

次回以降に続く。
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責任追及思考と問題解決思考
子どもに手をあげてしまう母親から相談を受けたカウンセラーなどの専門家は、「全てあなたの責任です。社会は何も悪くないし、あなたに同情すべき余地は有りません。」とは言わないでしょうし、実際、全て本人の責任という思考で問題解決にあたらないでしょう。
それは、そんな思考は問題を解決するのに適切でないし、経済的問題や社会的孤立などの要因を取り除けば、虐待を防止することができることもあるというのが現実だからだと思います。
そういった現実的思考が母親への同情論を呼ぶのではないでしょうか?
もしそうなら、母親への同情論が出てくるのも、仕方のないことだと思います。
虐待防止という最も望ましい結果を実現するには、虐待は周囲のサポートで防止できるとか、子どもに手をあげてしまって悩んでいる人は周囲に相談すべきだ、といった考え方を社会全体に浸透させていく必要があるでしょうから。
刑罰や社会的制裁の威嚇力のみによって、結果防止がなされるわけじゃなくて、現場で個別事例に対応して虐待防止に取り組んでる人もいるわけですから、そのあたりから出てくる同情論には、むげに否定できない価値がある気がします。
もちろん、手をあげてしまって真剣に悩んでる人と、何ヶ月も放置して殺してしまう人の間には埋めようもない隔たりがあるでしょうが、虐待という言葉でひとくくりにできるので、当事者や周囲の人にしてみれば、今回のようなケースでも同情すべき余地があるのではないかと考えるのは仕方ないのではないでしょうか?
ネネム 2010/08/13(Fri)17:23:31 編集
ご指摘ありがとうございます。
たしかに、カウンセラーの人がそういった回答をするのは不適切ですね。
同様に、もし私がこの容疑者の弁護をすることになったら、当然、社会的要因や、この人の生い立ちなども情状酌量の材料として主張するでしょう。

ただ、そういったことにも触れだすと、私が書こうとした趣旨、つまり、この容疑者もかわいそうな部分はあるけどそれだけでは済まないことをしている、という部分がぼやけるように思えましたので、捨象しました。

それから、真剣に悩む人と殺してしまう人の間に隔たりがあるというのは、まさにご指摘のとおりです。

社会がある程度、監視を強めることで、前者が問題を起こすのは防げるとしても、後者をどこまで防げるのか、そこまで防ごうとすれば行政や警察による監視を極端に強くせざるをえなくなるというのが、私の懸念するところです。
山内 2010/08/16(Mon)10:20:34 編集
全ての犯罪者は被害者だと思います。
僕は全ての犯罪者は被害者としてみています。
秋葉原の事件も、起きた瞬間から。
僕も上履きに画鋲を入れられるほどのイジメを受けてきたので、
そういう行動を起こしたいという気持ちはかなりわかります。
起こしていない僕がおかしいんじゃないかって思うくらいに。
起こす勇気の無い僕は我慢するしか無いです;;
画鋲の件は親にも先生にも言ってない。。。
こういう人は自らの寿命を縮めることをするんでしょうね。
それもする勇気がない僕は我慢をするしか・・・;;

「通常人には理解できない異常な犯行」この言葉からもわかりますが、
こういう行動を起こすのは普通ではなく、
全ての人は本来はこういう行動を起こさない。

なぜ、こういう行動を起こしたのかと考えると、
人は一人では生きていないので、
育てた人、親や環境がそういう行動を起こさせるようにしたのだと思います。
簡単なものだと、会社でのストレスや、学校でのイジメなど。
我慢を教えなかった親。

なら、会社でストレスを感じる原因を無くすべきだと思います。
でなければ、この犯罪者を捕まえたとしても、
また必ず起こります。原因が解決していないから。
この間違った解決方法が、新たな犯罪者を生みます。原因はまだ動いてるから。
かと言って、解決方法が分かっているわけでもありませんが><

僕は秋葉原の無差別事件は、犯罪者は友達が少なかったと思います。
相手にして欲しかったのだと思います。愛を持って抱きしめて欲しかったのだと思います。
でも恥ずかしくてこんなことは言えない。行動を起こすほうが簡単に感じます。
僕もそうです。「愛して欲しい」というより万引きをする方が楽です。
押さえつけられているシーンを見ると、犯人のことを可哀想と感じました。
あんなにたくさんの人が居て、
刺されるのを覚悟で抱きしめてあげられる人が一人も居なかった。
そういう「避ける」行動が、さらに犯罪者の犯罪に対する意志を強くしたのだと思います。
実際に目の前にしてみれば、僕も出来るかどうかわかりませんが、
これが、究極の対応方法だと感じます。
これが出来るようになりたいと思います。
みかん 2010/08/16(Mon)18:57:55 編集
たしかに…
理想論としてはそういう観点も重要だと思います。

しかし、日々犯罪が発生している社会において、世の中でストレスを感じる原因をなくすにはどうしたらよいかとか、究極の対応方法とは何かを論じるのみでは、現実的な対処はできないと思います。

少なくとも、秋葉原で刃物で襲われて亡くなった人やその遺族に、なぜ彼を抱きしめてあげなかったのですか、それをしなかったせいで犯罪が発生したのですよ、などと、私は到底いえないと思いますし、また多くの人にとっても承認できる考え方であるとも思えません。

究極の理想という観点からの立論であるのはお察ししますが、私はどうしても、その理想に行く着くまでの現実を論じてしまいますので、今後もそのつもりでお読みください。
山内 2010/08/17(Tue)13:05:25 編集
すいません・・・
わかります。
弁護士として判断に心が入り込むと良くないと聞くので。
愚痴になってしまってすいません><
みかん 2010/08/17(Tue)13:20:30 編集
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