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大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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相撲の話のついでに書きますが、日本相撲協会が、一連の不祥事により、財団法人と認められなくなるかも知れない、といった話が報道されたりしています。
この、財団法人というものについて、少し触れます。

財団法人というのは、ひとことでいうと、「財産の集まりをひとりの『人』として扱う」ものだとご理解ください。

外国の例ですが、ロックフェラー財団やカーネギー財団をイメージしてもらったらよいかと思います。功成り名遂げて、たくさんの財産を築きあげた篤志家が、「今後は私の財産を青少年の育成に役立ててもらいたい」ということで、その財産を寄付するとします。

この財産が「人」となります。と言っても、ドラゴンクエストのゴールドマンみたいに金塊が人のカタチになって動き出すわけではありません。
誰かがその財産を銀行に預けて運用したり、青少年の育成などの目的にそった支出を行う事務を行うことになります。

日本では、財団法人の規定は、明治29年にできた民法の中にありました(その後の改正については追って触れます)。そこでは、私的利益を目的とせず、公益を目的とした団体は、官庁の許可に基づいて法人として扱う、とされています。

きちんと調べていませんが、お相撲さんの団体は江戸時代かもっと以前からあり、興行利益などでそれなりの財産を持っていた。明治時代になって民法ができて、お相撲さんたちが、「これからは財団法人としてやっていこう」ということになった。

相撲は昔から日本人に親しまれてきたので、公益目的の団体であると国からお墨付きをもらうのは簡単だったはずです。こうして、「財団法人日本相撲協会」ができた。協会の公式ホームページによると、これが大正14年のことだそうです。

お相撲さんたちが築いてきた財産は、力士の育成や、国技館の建設などに使われることになった。財団法人の中でそうした事務を行うのが「理事」という人で、現在の日本相撲協会では九重や貴ノ花がいます。理事の中で一番偉い人を「理事長」といい、放駒がこれにあたります。

で、財団法人がひとりの「人」として扱われる、ということの意味はといいますと、
たとえば、枡席で出てくる弁当にしても、発注するのは九重、場所当日に弁当を受け取るのは貴ノ花、弁当代を払うのは放駒、というふうにバラバラだと、弁当の仕入れ一つとっても多くの親方衆の間を行き来しなければならず、弁当屋さんとしては面倒くさい上に暑苦しい。

だから、日本相撲協会という窓口を一つ作ってもらって、そこに行けば用事が済むようにしてもらうわけです。この際、日本相撲協会という窓口は、あたかも一人の人間のように、各種の連絡を受けつけてくれて、後は内部で然るべく処置を取ってくれる。

このシステムが「法人」であり、文字どおり、民法などの法律によって、財産や人間の集まり全体が、一個の人間のように扱われる、ということです。

と、別に相撲協会のことを詳しく書くつもりもないのですが、財団法人というものの仕組みや成り立ちについてイメージしてもらうべく、触れてみました。

今後、相撲協会が財団法人であり続けることができるのかどうかということについては、次回以降に続く。
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大相撲の八百長問題がふたたび世間をにぎわせています。

以前、「週刊現代」の八百長報道に対し、裁判所が出版元の講談社に対し、相撲協会への4000万円超の賠償を命じました。今や講談社側は「それ見たことか」と思っているはずで、実際、相撲協会に対して逆に賠償を求める動きもあると、ネットニュースで見ました。

では、講談社に賠償を命じた判決は間違っていたのか、ということについて触れます。

まず、他人の名誉を害するようなことを言ったり書いたりすると、名誉毀損となり、刑法上も犯罪になるし、民事上も賠償問題になる。その事柄が、真実かウソかは、ひとまず問題ではない。

これまで世間は、大相撲に八百長はないと信じていたわけです。「昔から八百長は当然行われていた」と、知ったふうなことを言う人がいますが、少なくとも大半の人はそう信じていなかったからこそ、相撲の試合を熱心に観戦してきたのです。
そういう状況下で「大相撲は八百長だ」と公言すると、これは名誉毀損となると言ってよいでしょう。

ただ、報道する側にも、表現の自由、報道の自由があるし、むしろ、世の中に不正義があるのなら、それを暴くという役割も期待されている。

そこで、その報道内容が、①公共的なことがらであり、②公益を目的とした報道であり、かつ、③真実と認めることが相当だ、と思われることであれば、相手の名誉よりも報道の自由のほうを表現し、法的責任を問わないこととされています。

細かい議論は省きますが、相撲協会は公益を目的とした財団法人であり、そのため税金が安いなどの特権を得ていますので、①と②は認めてよい。

③は、きちんと調査して、相当な証拠や根拠も揃っていて、「そこまでの資料があるのなら、週刊誌側が八百長の存在を信じたとしても当然だろう」といえる状態だったのなら、その要件を満たします。

今回、八百長のやり口を具体的に相談するようなメールのやり取りの存在が、警視庁によって明らかにされました。これは、野球賭博の捜査のために力士から押収した携帯電話を調べて得た証拠のようです。
(警察が、野球賭博の捜査とは関係のない八百長の資料まで大っぴらにする権限があるのか、という点は疑問ですが、それはいずれ検討するとします)

出版社には、さすがにそこまで調べるほどの能力も権限もなく、ここまで決定的な証拠はない状態で、八百長報道をしたわけです。

もちろん、関係者からの聴き取りや裏付けなど、それなりの取材はしたでしょう。しかし、個人のブログとかではなく、大量の発行部数と読者を持つ週刊誌が報道する以上は、相当に強力な根拠を持つことが求められるというべきで、例えば「有力な情報筋から聞いた」というだけでは、「八百長の存在を信じたとしても当然だ」とまでは言えないでしょう。

講談社に賠償を命じた判決の趣旨は、その時点では確実とまではいえない程度の資料に基づいて八百長報道をしてしまったという点に違法性が認められたのであって、その判断は間違っていないというのが、私の個人的な理解です。

死刑制度について書こうとしています。
秋葉原の連続殺傷事件の審理も終わりましたが、今朝私が関心を持ったのは、産経の小さい記事です。
 
台湾で最近、冤罪つまり無実の罪で死刑にされた人が出たらしい。
幼女を暴行し殺害した容疑で、台湾の軍人が軍事裁判にかけられ、処刑されたあとになって、真犯人が見つかったのだそうです。
 
外国の話であり、軍事裁判という特殊性もあるのかも知れませんが、それでも、日本と台湾の刑事裁判制度に、そう大きな違いがあるとは思えません。
取調べを受け、裁判にかけられ、法廷で言い分を聞いてもらった上で、刑が下される、という点は全く同じはずです。
誤審、冤罪というのは、その可能性を常に否定できないという、まさに実例です。
 
さて、死刑制度というものがなぜ存在するかというと、よく言われるのは、1つには、犯人に対する被害者や遺族ひいては国民全体の報復であるという点と、もう1つは、死刑という厳罰があることで犯罪が抑止されるという点です。
 
ではその一方で、冤罪で死刑判決が出てしまったらどうするのか。
台湾では現に起こりましたし、日本では、無実なのに10数年も服役させられた菅家さんの事件がありました。昨年は検察による証拠偽造疑惑まで出た。日本でも冤罪で死刑になった人が、これまでにもいるかも知れないし、これから出てくるかも知れない。
 
「そんなことがあってはならない」というのは当然です。しかしそれは理想論に過ぎず、冤罪で死刑になってしまう可能性をゼロにはできないことをどう考えるか、という問いに答えたことにはならない。
 
これに対する答えは、二つしか考えられないでしょう。
一つは、死刑を廃止することです。「死刑廃止論」の著者で元最高裁判事の団藤重光氏は明確にこの立場です。
 
もう一つは、間違いが起こるかも知れないけど、死刑制度は重要だから残しておく、という立場です。
この立場は言い換えれば、冤罪で死刑にされる人がいたとしたら、その人には、我々の報復感情を満たすため、そして犯罪抑止のために、「申し訳ないけど死んでいただく」というスタンスを取ることを意味します。
 
私は、死刑制度がこのような側面を持つことを踏まえた上で、この後者の立場を取ります。
以前にも書きましたが、冤罪で死んだ人が出たら「もう仕方がない」と考えるほかない。それが私や家族の身に及んだとしても同じです。100パーセント間違いのない裁判、というものはありえないので、死刑制度を容認する以上、そう考えるしかない。
 
台湾の事件では、台湾の総統が遺族に謝罪したそうですが、今後、金銭的な補償も出るのでしょう。
 
ちなみに日本には刑事補償法という法律があり、冤罪と判明した際の補償金を定めています。その第4条3項に、「死刑の執行による補償においては、三千万円以内で裁判所の相当と認める額の補償金を交付する」とあります。
 
国の法律自体が、冤罪での死刑がありうることを前提としている点が、少し恐ろしいです。でも、死刑制度とはこういうものなのです。
前回の話の続きを書こうとしているのですが、小沢一郎が起訴された後も、新聞・週刊誌は「小沢被告」という表現を使わず、「小沢氏」「小沢元代表」などと書いています。

起訴されて刑事裁判を待つ身になった人を、刑事訴訟法上「被告人」といい、マスコミ用語ではなぜか「人」を省略して「被告」と表現しています。これまで、どんな人であれ、起訴されれば新聞・テレビでは「被告」と呼ばれてきたと記憶しています。

記憶に新しいのは酒井法子です。
ついこの前まで「のりピー」と言われていたのが、覚せい剤所持容疑で逮捕状が出た直後から「酒井法子容疑者」となり、起訴後は「酒井法子被告」と書かれるようになりました。

私自身は、それらの人が裁判関係の書類などの上で「被疑者(容疑者のこと)」「被告人」と呼ばれるのは仕方ないとしても、新聞やテレビであえて「容疑者」「被告」という肩書をつけるのは、あまり望ましいことではないと思っています。

容疑者、被告といっても有罪判決が確定するまでは「無罪の推定」を受けるということは、私たち弁護士ならわかっているつもりですが、一般の人はその時点でどうしても「犯人」と同一視してしまいがちになるからです。

しかし、新聞その他マスコミがあえて「被告」という表現を使うのであれば、同じ立場の人には等しくその用語を使うべきなのであって、小沢一郎に「被告」の肩書をつけていないことは理解できません。

このあたりのマスコミの意図というのは全く察しかねますが、もしかしたら、プロの検察が起訴したのではなく、素人集団の検察審査会の議決に基づく強制起訴だから、まだまだ有罪になるかどうかわからない、と考えているのかも知れません。

そうだとしたら、主権者である国民の意思にもっと耳を傾けよ、と常々言いながら権力批判をしているマスコミが、国民の意思による決定を軽んじていることになります。
 もし審査会の多数決による強制起訴なんておかしい、信頼できないんだ、と考えているのであれば、新聞で堂々とそういう論陣を張ればよいのです。

そういうわけではないとしたら、他に考えられるのは「起訴されたのが小沢一郎だから」という理由しかありませんが、これでは完全に、マスコミが政権与党、権力者におもねっていることになります。

小沢被告の裁判については、今後粛々と手続きが進み、判決文はいつか公開されるでしょう。結論が有罪であれ無罪であれ、その中で判断の理由が明確に示されるでしょう。
果たして、マスコミが小沢一郎を被告と呼ばない理由は、いつかどこかで明確に示されるのでしょうか。
小沢一郎が「強制起訴」されたと、各紙一面に大きく見出しが載りました。
 
起訴されて小沢一郎は「被告人」となり、刑事裁判で裁かれる身分となりました。
今後、各メディアは、小沢一郎・元民主党代表を「小沢被告」と表現するのか、またはSMAPの稲垣吾郎が逮捕された際の「稲垣メンバー」みたいな、ことさらに慎重な表現をとるのか、注目したいところです。
 
それにしても、単なる起訴ではなく、「強制起訴」と表現されると、いかにもキツイ印象を受けまして、あたかも小沢被告が、政治資金の帳簿処理について国会で明らかにせず、ジタバタしているために無理やり起訴されたのか、という感じを受けますが、強制起訴とはもちろん、そういう意味ではありません。
 
起訴されるのは小沢被告に限らず誰でもイヤなので、起訴される側からすれば、起訴とは常に強制的に行なわれるものです。
ここで言う「強制」とは、検察官が起訴する意向がないのに、検察官に有無を言わさず起訴が行なわれるという意味でして、その強制は被告人ではなく、検察側に向けられています。
 
なぜそういうことになるかというと、検察審査会が「起訴せよ」という議決をしたからです。
検察審査会制度については、ここでも何度か書いてきたので(こちらなど)、それ以上には
触れません。
 
強制起訴というのは、法律上はそのような用語はなく、マスコミ用語であると思われます。検察審査会法の条文や、刑事訴訟法の教科書の上では「起訴議決に基づく公訴提起」などと表現されていて、強制起訴という言葉は出てきません。
 
通常、法律用語で「強制」という言葉は、法律や判決で命ぜられたことに国民が従わないとき、国家が国民にそれを強制して実現する場面で使われます(たとえば税金を払わない人の財産を国が差し押さえることを「強制徴収」と言ったりします)。
 
これに対し強制起訴は、国家機関である検察官が「起訴しない」と決めたことについて、国民から選ばれた検察審査会員が起訴を強制するという制度であり、従来とは正反対に「国民が国家に強制する」ことを意味します。法律上の通常の「強制」とは逆なので、条文上は「強制起訴」という表現は使われないのかも知れません。
 
用語はともかく、この制度は、検察が一手に握っていた起訴・不起訴の判断権限の一端を国民に委ね、場合によっては国民の判断のほうを重視するという、画期的なものではあります。
ただ、すでにここでも書いたように、起訴する・しないを審査会の多数決で決めていいのかという点には、不安を感じなくはないです。
 
もっとも、民主党は「国民目線」という言葉が好きなようですから、今回の強制起訴に限っては、私としても賛成であり、小沢被告にはぜひとも法廷で、国民目線で語ってほしいと思います。
またまた、インチキ会社の話を書こうとしています。
昨日の新聞各紙に「競馬予想詐欺」で大阪・兵庫で逮捕者が出たという記事がありました。

典型的な手口は、インターネットやスパムメールで、競馬の勝ち馬を教えるという広告をし、問合せをしてきた人には「八百長レースが仕組まれていて、勝ち馬が決まっている」と言い、情報料などの名目で多額の金銭をだまし取るというものです。

うちの事務所にもこの手の被害に遭った人からの相談が来るのですが、最初から詐欺をやろうという連中のことですから、訴えようにも、所在不明のことが多いです。

うちで相談を受けたのは、今回逮捕者が出た会社とは違うようですが、社名を「株式会社的中」と言います。ここ何回か取り上げた英語の名前ではないですが、それにしても直截的すぎて品のない名前です。

私はこの的中という会社のホームページに記載のある電話番号にかけてみました。
社員らしい人が出てきたので、「Aさん(依頼者の名前)の件で電話した」と告げると、その社員は「Aさんからは色々クレームを言われていて、業務にも支障が出てるんで、こちらとしても何らかの対処をさせてもらいます」と、開き直ったように言いました。

普段から、何か苦情が寄せられたときには、このように逆ギレ的なことを言って、煙に巻いているのだろうなと思いました。
私としてはもちろん、正々堂々と「対処」をしてもらうのは望むところなので、「何か主張があるのなら、代理人である私に言ってください」と伝えましたが、その後、何の連絡もありません。

後日、こちらから改めて電話しました。本社所在地のビル名はホームページでわかるのですが、ビルの何階かが不明で、訴状や郵便物が届かないためです。
以下、電話での会話です。

私「あなたがたの会社は○○ビルの何階、何号室にあるんですか」
社員「えーと…わかりません」
私「あなたは、いま自分がいる会社が何階にあるのか分からないのですか」
社員「…2階か、3階です」
私「2階か3階か分からないのですか」
社員「えーと、中2階みたいなところになってるんですよ」

後日、私は新宿にあるそのビルに行ってみましたが、もちろんビルに中2階などなく、どの階にもその会社はありませんでした。

その後のことは、現在進行中の事件ということで、これ以上に書くのは差し控えますが、詐欺グループというのはこのように、悪いことをして多少稼いだらまた姿をくらまして、ということを繰り返しています。まさに日陰に生きる蛇蠍のような連中です。

そして残念ながら、警察も忙しいので、殺人事件でも起きない限りはすぐには動いてくれず、この手の金銭的被害は滅多に警察沙汰にはなりません。弁護士に依頼するにも費用がかかります。当然のことですが、何より詐欺にあわないのが一番です。

確実な勝ち馬予想など、ちょっと考えてみればありえない話です。馬が八百長できるとは思えません。
ちょっとした儲け話に手を出してしまいたくなる気持ちはよくわかりますが、どうぞ健全な常識を働かせて、詐欺にかからないようにしてください。

投資詐欺や競馬予想詐欺が摘発された話を書きましたが、これらの連中は間違いなく、手を変えて次の詐欺の機会を伺っていますから。

前回、インチキの会社はたいてい、社名に長く複雑なカタカナを使ったり、アルファベットを使ったりしている、という話を書きました。もちろん、そういう社名でも真っ当に仕事している会社はたくさんある、ということをお断りしつつ、続けます。

前回の記事をかいたのは一昨日ですが、ちょうど昨日、日経朝刊に「先物詐欺、被害20億円か」という見出しが乗りました。

「海外商品先物オプション取引」への投資を名目に客からお金を受け取り、実際は投資に回さず、役員報酬などにあてていたなどの疑いで、会社の専務らが逮捕されたそうです。

そしてこの会社の社名は「株式会社トレイダーズ・エクストリム・カンパニー」といい、いかにも長いカタカナ社名です。それに「カンパニー」は会社のことだから、社名に「会社」が2回出てくることになります。

この社名を日経で見て、どこかで見たことあるような、と思ってパソコンを叩いてみると、うちの事務所で3年ほど前に訴えたことがありました。このときは幸いにも、依頼者が預けたお金の多くが返ってきました。

儲けるだけ儲けて、頃合いを見て会社を潰して逃げるというのが、投資詐欺の会社の典型的やり方です。

ついでにもう一つ、会社の実名を挙げますと、いま東京地裁で破産手続きが進んでいる会社で「PRIMORIS INVESTMENTS株式会社」というのがあります。

うちでも訴訟になっていますが、会社の役員の大半は所在不明です。末端の社員は知りませんが、少なくとも役員らは意図的に詐欺を行なっていたと思っています。

この「PRIMORIS INVESTMENTS」などというのは、客も、それから社員すらも、会社の名前を正式にはどう読むのか、わかっていなかったでしょう。私も知りません。

私が司法書士事務所に勤務していた15年前ころは、確か、会社名をアルファベットで登記することは実務上、認められていませんでした。

それがいつの間にかできるようになり、そこらあたりから、変なカタカナやアルファベットの社名の会社が増えてきたように思っています。これからも増えるでしょう。

自分の子供に、当て字の変わった名前をつける親が、たまに取り沙汰されたりしますが、会社名というのも、もっと注意されて然るべきです。

さらについでに言うと、じゃあNTTJRはどうなんだ、と思う方もいるかも知れませんが、あれは社名ではなくて通称です。
NTTは「日本電信電話株式会社」ですし、JR西日本は「西日本旅客鉄道株式会社」です。まさに名は体を表す、です。

話があちこち行きましたが、聞いてよくわからない名前の会社は、営業の電話などがあっても、取りあえずお付き合いしないほうが良いのではないか、ということを言いたくて、長々と書きました。以上です。
このところ、雑感的な話が続いていますが、今回もそうです。

昔からそのエッセイが好きでよく読んでいる曽野綾子さんが、今も産経新聞でコラムを書いておられます。

今朝書いておられたのは、最近、社名にカタカナやアルファベット3文字を使う会社が増えたが、あれはその会社が何をやっているのか、外部の人間にはよくわからないという話でした。
曽野さんの夫(作家の三浦朱門さん)は、そういう会社から営業電話がかかってきたら「カタカナの名前の会社なんてインチキだ」と説教しているとも書いておられました。

もちろん、カタカナ社名であればすべてインチキだ、ということはないのですが、おそらく、その逆は言えます。
つまり、インチキの会社はたいてい、カタカナの名前であるということです。

私の事務所でも事件として多数扱っていますが、投資詐欺(未公開株とか、海外の金や原油の先物を買うとか)でお金を儲けて、裁判になったころには会社を潰して、関係者が逃げてしまうような会社は、ことごとくと言っていいほど、長く複雑なカタカナを使ったり、アルファベット3文字を使ったりしています。

先週の新聞で、大阪市内の投資業者の経営者グループが逮捕されたというニュースがありました。その社名は「国際リード投資」といい、これはまだ社名の一部が漢字ではありますが、扱っていた商品は「CFD取引」と言いまして、アルファベット3文字です。

CFD
取引とは何かというと、商品相場などを指標として行なう差金決済取引のことです、と新聞などには書かれていますが、たいていの人にはわからないと思います。
(このへんの問題はいちおう私の得意分野でありますので、いずれシリーズで解説したいと思いますが、今回はCFD取引の意味については立ち入りません)

そして、聞いてすぐ理解できないようなものには、決して手を出してはいけないのです。
合理的なものは本来、単純で、誰にでもわかりやすいものであるはずだからです。

社名であれ商品名であれ、複雑なカタカナや外国語を使ったり、説明の際に理解しがたい用語を使ったりするというのは、それに携わる人がその合理性を説明しようという態度を放棄しているか、またはもともと合理的なものでない(つまりインチキ)かのいずれかなのです。

ついでに、こういうことを言うと同業者に怒られるかも知れませんが、最近の法律事務所の名称にも、意味がよくわからない外国語を使うところが増えつつあるように思います。
法律事務所に依頼するのであれば、人名や地名を使った事務所のほうが安心感があるように思えます、と暗に宣伝もしておきます。

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