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大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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ダルビッシュとサエコに学ぶ離婚連続講座の第4回は、養育費の話です。
 
現在、ダルビッシュとサエコは別居中のようですが、別居していても夫婦である以上、一家の生活費は互いに負担しあう必要があります。
 
別居中の妻が夫に生活費をよこせと言える法的根拠は、民法にも「夫婦は互いに協力しあわないといけない」とあるからです。法律家はこの生活費のことを「婚姻費用」、略して「こんぴ」と言います(なぜ「こんひ」と言わないのかは不明)。
 
離婚が成立すると、夫婦関係は終了するので、妻に生活費を払う必要はなくなる。しかし、夫婦が離婚しても、親子の血縁関係は一生残ります。
ダルビッシュとサエコが離婚して、親権をサエコに渡したとしても、父親であるという事実は変わらない。父親である以上は、民法上も、その子供を養育する義務を負います。それが養育費支払いの法的根拠です。
 
ですから養育費はあくまで子供に払うものですが、実際には親権者である母親が管理することになるので、その使い道には基本的に父親は口出しできないことになります。
 
その養育費の金額は、協議離婚の際に合意で決めることもできますが、協議がまとまらなければ家庭裁判所で調停を行なうことになります。
なお、子供が何歳になるまで払うかについても、協議で決まらなければ調停となります。だいたい、20歳までと決まる場合が多いでしょう。
 
養育費の金額の決め方としては、家裁に養育費の算定基準があって、夫婦それぞれの収入や、子供の年齢や人数によって、公式にあてはめて計算します。
 
その算定基準はここでは省略しますが、具体的に算定してみたい方は、弁護士会や市役所の法律相談に行くか、街なかでやってる弁護士事務所を訪ねてください。たいていの弁護士は算定基準表みたいなものを持っているので、すぐ計算してくれます。
 
たとえば、ダルビッシュ夫婦みたいに、5歳くらいと0歳くらいの小さい子供が2人いるとして、夫の年収が1000万円、妻は専業主婦で収入なしだとすると、夫が払うべき養育費の月額は合計16万円前後(子供1人あたり8万円前後)です。
 
年収500万~600万の夫なら、単純に考えてこの半分前後です。多いと思うか少ないと思うかは人それぞれでしょう。
妻が子供2人を抱えて、月に8万円もらえるかどうか、という程度なら、女性なら少ないと思う方が多いでしょう。しかし、夫と離婚して子供を引き取ったからには、母親として自立して子供を育てる義務を負うので、不足分は自分で働くなどするしかありません。
 
さて、算定基準にダルビッシュの実際の年収をあてはめると、すごい数字になるでしょう。
彼がいくら稼いでいるかは知りませんが、仮に年収3億とでもします。サエコはタレント活動などでそれなりに収入があるはずですが、単純化のため収入ゼロとします。
これで計算すると、養育費の月額は400万円前後となります。
ま、これは極めて特殊なケースと思ってください。
 
4回目で最終回にするつもりでしたが、養育費のことであれこれ書きたいことが出てきたので、第5回目に続く。
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ここしばらく、「ダルビッシュ」と「大たこ」のキーワード検索で当ブログに来られる方が多いようです。ダルビッシュの離婚話はあと一話残っていますが、少し前に報道された、道頓堀のたこ焼き屋「大たこ」の話に少し触れます。
 
ここでも触れたとおり(こちら)、大阪市の公有地上でたこ焼き店を営んでいた「大たこ」に対し、今年7月に最高裁で立退きを命ずる判決が確定しています。
 
その大たこ、私も通りすがりに見ましたが、今も道頓堀の橋の上で営業しています。どうなっているのかというと、最近の報道などからすると、以下の事情のようです。
 
最高裁での判決後も、大たこは立ち退かなかったので、大阪市は強制執行の手続きをとった。そうなると、まず裁判所の執行官が大たこ側に、何月何日までに立ち退きなさい、そうでないと無理やりに撤去します、という申し入れをします。普通、そう言われると大半の人は期限の日までに自発的に立退きをします。
 
大たこも、「立ち退きました」と、大阪市に伝えたそうです。それを受けて大阪市の職員が現地を見に行ったところ、何と、大たこの店舗は、もとあった場所から数十センチずれた場所で、平然とたこ焼きを焼いていた。
 
大たこ側の理屈は、「立退きを命ぜられた場所からは立ち退きました。今はそれと『別の場所』で営業しています」ということなのでしょう。
大阪市の平松市長は、「ゆでダコになりそうだ」と怒っています(ここでそんなユーモアを込めなくてもいいのに)。
 
大阪市が取りうる対処は2種類あります。
一つは、判決が出ているのだから、それに基づいて明渡しの強制執行を続行することです。これは判決の執行力がどの範囲で及ぶかという、やや複雑な話なのですが、常識的に考えて「そこからどきなさい」と命ぜられた相手が、そこから数十センチ移動するだけで判決を無効化できるというのはおかしい。
 
もう一つは「行政代執行」です。
これまでの裁判で大たこ側に市有地の時効取得が認められなかった以上、数十センチずらしても不法占拠であることに変わりはない。行政権の主体(大阪市)は、司法権(裁判所)に頼らなくても、不法占拠者は自ら排除することができる。
大たこが自ら撤去しないなら、行政が代わりに執行します、ということです。平松市長はこちらの手続きを取ると言っているようです。
 
法律論はともかく、大たこは大阪でも最も有名な部類のたこ焼き屋ですが、不法占拠と断じられても堂々と商売を続けているわけであり、大たこは今や「大阪の恥」となったと、私は思います。
 
大たこ側に、大阪の商売人としての良心とか、大阪のたこ焼き文化を担ってきたという誇りが、もし今でもあるのであれば、直ちに自ら立ち退くことを望みます。
ダルビッシュとサエコに学ぶ連続離婚講座(勝手にシリーズ化)、第3回です。
第3回は養育費の話にするつもりが、いま移動中の新幹線の中でこれを書いており、手元に資料がないと養育費の具体的な話が書きにくいので、今回は親権の話にします。
 
「おは朝」情報によりますと、ダルビッシュもサエコも2人の子供の親権を取りたがっており、ただダルビッシュは「養育権」はサエコにあげてもよい、と言っているそうです。
 
これは「監護権」のことを指していると思われるので以後この用語を使いますが、民法上、親が未成年の子に対して持つ権利には「親権」と「監護権」があり、離婚のとき、その2つが別々の親に行くケースもありえます。これが何を意味するかを書きます。
 
平たくいうと、親権者は法的な監督を行なう人、監護権者は一緒に住んであげる人だと考えてください。法的な監督とは何かというと、子供の財産を管理したり、子供が商売をやろうとするとき許可を与えたりする権限などがあります。
 
しかし、ダルビッシュの子供は幼くて多額の財産を持っているとも思われず、財産管理権はあまり意味がない。むしろ養育費をサエコに払えば、そのお金はサエコが管理することになります。また、いまどき未成年で自ら事業をたちあげて商売をする人も滅多にいないでしょうから、その許可をする権限もまず問題にならない。
 
そもそも現代においては、親権と監護権を分けておく意味はあまりなく、これは戦前の旧民法の遺物であると言われています(内田貴「民法4」など)。
つまり、戦前の家制度では、子供の親権は父親が持つのが当然で、ただ離婚の際に子供がまだ乳飲み子のようなときは、母に預けておくほうが良いからということで、親権とは別に、母親の監護権という概念ができた。
 
男女平等を建前とする今の民法では、親権者を母親とすることは何ら問題ないので、父でも母でも、子供を引き取る方が親権者かつ監護権者になればよいのです。
 
しかし現在でも、親権をどちらが取るかでモメたときに、妥協策として、父は親権、母は監護権(その逆もありえますが)を取る、という形で協議離婚するケースもあります。私もそういう相談を受けたことがあるし、ダルビッシュ・サエコ間でもそんな話があるらしい(あくまでテレビ報道ですが)。
 
しかし、ここは私個人の感想ですが、現代の家族制度において、監護権は取らないけど親権だけ取るというのは、せいぜい精神的な意味しかなく、それは本来、親であることから来る様々な子育ての苦労を免れた上で、口先だけ「俺が親権者だ」と言っているような印象しか持ちえません。だから私が相談されたときも「そんなやり方は実際には無意味だし、ややこしいだけだから、お勧めしません」とお答えしています。
ダルビッシュの離婚の話シリーズは土日で中休みということにしまして、仙石官房長官の「自衛隊は暴力装置」発言について、雑感を書きます。
 
感想は人それぞれでしょうが、私が思ったのは、「理論的には間違ってはいないが、ああいう場で言うべきことではない」ということです。おそらく、同業者の多くもそう思っているのではないかと。
 
新聞などでも報道されているとおり、暴力装置とは仙石氏オリジナルの言葉ではなく、社会学者のマックス・ウェーバーが20世紀初頭あたりから使っています。
政治学・法律学など社会科学の分野を志す者にとって、ウェーバーは必読の古典と言われており、私も学生時代、岩波文庫のウェーバーの著書を買っては、本棚に並べたものです。
 
ウェーバーの学説の詳細には触れませんが(私が読んでいないため)、暴力という言葉を、相手が嫌がっているのに無理にでも実力行使することだと定義すれば、自衛隊に限らず、国家権力そのものが暴力装置といえるでしょう。
 
警察が犯人を逮捕するのも、拘置所で死刑囚の首をくくるのも暴力です。税務署が私の預金口座から事業税とか消費税とか言ってゴッソリお金を引き落とすのも暴力です。
それは例えば、ヤクザが対立組織の構成員を殺害したり、市民を脅してお金を巻き上げるのと、ある側面においては同じです。
 
大きく違うのは、国家権力が行なう暴力には法的根拠があるが、ヤクザのそれにはないということです。法的根拠があればなぜ暴力が許容されるのかというと、法律というものが、国民から信託を受けて選ばれた議員によって作られているからです。
 
国家権力の本質は暴力だから、その実力行使は慎重に行なわないといけない。そして、為政者が実力行使をすることが許されるのは国民の信託ゆえであるから、常に国民に対しては謙虚にその言葉に耳を傾けなければならない。
 
このように、国家権力が暴力であるというのは、為政者が自己を戒めるための文脈において語られるべき言葉なのであって、国会答弁のような公の場で口に出して言うことではないのです。
 
しかも、「政府そのものが暴力組織であり、私はその親玉だ」と言うのならまだしも、「自衛隊」に限定して発言しているため、それが一般国民に与える誤解や、自衛隊員の士気低下には甚だしいものがあるでしょう。
 
自衛隊員も海上保安庁の職員も、こういう人がトップにいる国のために働かないといけないのは、辛いことだろうなとお察しします。
ダルビッシュの離婚に関して、続き。
 
前回、裁判離婚での慰謝料は、支払う人の収入には関係しないと書きました。
では、ダルビッシュがいくら稼いでいても、離婚の際にサエコが受け取れる金額は一定なのかというと、そうではないです。
 
離婚の際の金銭給付には、慰謝料とは別に「財産分与」というものがあります。これは、結婚後、二人で築いてきた「共有財産」を、離婚に際して二人でわけるというものです。
 
共有財産の簡単な計算方法としては、結婚後、夫婦二人で働いて増えた預金額を足してもらえば良いです。それを2で割ったものが、妻の受け取る財産分与です。専業主婦で夫だけが働いている場合は、夫の預金増加分を2で割って分与します。妻に所得がなくても、「内助の功」を評価するわけです。
 
マイホームを買った場合は、その不動産を時価に換算して共有財産に算入します。ですから、夫が家を取るのであれば、それに見合うだけのお金を妻に分与する必要があります。
やっかいなのはマイホーム購入時にローンを組んでいる場合です。夫婦の住む家として買ったものだから、ローンが夫名義でも、その残額分は共有財産から差し引かれる。
 
ローンがたくさん残っている場合は、差し引くと赤字になることもあります。
この場合、理論上は、赤字の半分を妻が背負わないといけないことになるのですが、実際には、夫が銀行に「離婚したからローンの半分は妻から取ってくれ」と言っても、銀行は了承しないでしょう。
 
ですから、共有財産はゼロとして、妻にローンまでは負わせないかわりに、財産分与はナシとなり、家は夫が取るかわりにローンも払い続ける、となることが多いでしょう。私が扱った事件ではそうなっています。
 
ダルビッシュのサエコに対する財産分与を検討しようとして、一般論に流れてしまいましたが、ダルビッシュの場合は年に何億も稼いでいるから、相当の財産分与になるのは間違いない。
 
しかしここで疑問を感じる向きもあるでしょう。
ダルビッシュは、サエコの内助の功のおかげでプロ野球選手になったわけではない。もともと運動能力が高く、結婚前からプロとして稼いでいた。彼の稼ぎは、サエコが心の支えになっていたことはあるでしょうけど、どちらかといえば彼自身の能力に負うところが大きい。
そういう場合にまで、妻の取り分を当然に「稼ぎの半分」と評価すべきかどうか。
 
裁判例などを見ると、財産分与は必ず半分、とされているわけでもないようで、事案により、2割~5割くらいの幅で決められているようです。夫の収入の中で、何割が妻の寄与によるのか、夫の職業や収入や、妻の果たしてきた役割に応じて判断されるのでしょう。
 
だからダルビッシュの場合も、裁判になれば財産分与は半分でなく20%くらいに下がる可能性もあるでしょうが、それでも相当な金額になるとは思います。
 
次回は養育費の話、次々回は親権の話を書くつもりです。
先週は尖閣事件の話ばかり書いていましたので、少し目先を変えて、もっと軽い話を書こうということで、ダルビッシュとサエコの離婚騒動について触れます。

私の知っている「芸能情報」は、「おはよう朝日です」(以下「おは朝」)の芸能コーナーが全てなのですが、それによると、ダルビッシュの浮気が原因で離婚騒動になっている、ダルビッシュのほうではサエコにも不満はある(食事を作らないなど)、サエコは慰謝料の支払いを求めているがダルビッシュは拒否している、子供の親権は両方が取りたがっている、といった内容で、ありがちな話ばかりです。

ダルビッシュ夫妻が離婚するかどうかは、特に興味はないのですが、これを素材にして、離婚に関するいくつかの話を書こうと思っています。

「おは朝」では、慰謝料はいくらになるのか、ダルビッシュがメジャーに進出して収入が増えると慰謝料の額も増えるのではないか、といった話もされていましたが、本来、慰謝料は収入に連動するわけではありません。

当ブログでも何度か触れましたが、離婚慰謝料とは、離婚の原因を作った側が、婚姻を破綻させたことのお詫びの意味で払うもので、法的に言えば、相手の精神的苦痛に対する損害賠償にあたります。

損害賠償の金額は、たとえば交通事故や暴行など肉体的苦痛に対するものであれば、ケガの程度に応じてだいたいの基準が決まっています。他人にケガをさせたときの賠償金が、支払う側が金持ちかどうかで変わらないのと同じで、離婚慰謝料もだいたいの相場は決まっていると思ってもらって良いです。

男の浮気が原因であれば、結婚年数、子供がいるかどうか、浮気相手は何人で、どこまでのことをしたのか、などによって金額が決まります。私が経験した裁判では、200万円から500万円くらいです。

ダルビッシュが本当に浮気しているかどうかは知りませんが、そうだとしても、裁判で認められる慰謝料はせいぜい500万円くらいがいいところでしょう。

しかし、実際には、特に芸能人やスポーツ選手などが離婚する際には、もっと多額の、たとえば億単位のお金が支払われることも多いと聞きます。これは何かと言いますと、「協議離婚」だからそういうことができるのです。

裁判離婚ではなくて協議離婚なら、裁判所が介入するわけではないので、慰謝料の相場は関係なくなり、夫婦が合意しさえすれば、慰謝料はゼロでも億でも、いくらでも良い。

お金のある男性なら、長い裁判をするよりは、多少高くても、さっさとお金を払って別れるという選択を取る人が多いのだと思います。この場合、協議が整わなければ裁判、ということになりますが、そうすると上述のような相場が適用され、安くなるでしょう。経済的見地からのみ言えば、受け取る側は、いいところで手を打つことが必要になります。

たまにテレビなどで、あの女優は離婚に際していくら慰謝料を取ったかという、極めて下世話なランキングが発表されたりして、アメリカなどでは何十億ドルの慰謝料をもらっている人もいるようです。

それをうらやましいと見る向きもあるのかもしれませんが、あれは考えてみれば、夫側が、何十億ドルのお金を失う苦痛よりも、その女性と夫婦でいることの苦痛の方が大きいと考えている証左なわけでして、女性にとってみれば非常に不名誉なことなのです。

離婚に関する諸々の話をしばらく続けます。
尖閣事件について、もう少し続けますので、おヒマな方はお付き合いください。
 
映像を流出させたことが有罪にあたるかどうかについて、前回検討しました。「秘密」の意味を厳密に捉える立場にたったとしても、秘密保護の必要性が充分に証明されれば、有罪となる可能性はあると考えています。
 
ただ、有罪・無罪の議論よりも、多くの方がこの一連の経緯にもっと違和感を禁じえない部分があると思います。
 
それは、領海侵犯、漁船への故意の衝突を繰り返した中国人の船長は処分保留で釈放され、高々とVサインを掲げて国へ帰ったのに、そのことに義憤を感じて映像を公開した海保職員は刑事裁判で裁かれないといけないのか、ということです。
 
現時点で海保職員は逮捕されておらず、起訴されるかどうかもわかりません。
しかし、中国人船長を放免し、海保職員のみを起訴したとなれば、検察への信頼はますます地に落ちるでしょう。
 
このように、起訴すること自体がおかしい事件を検察があえて起訴した場合、裁判所は有罪・無罪の審理をすることなく、裁判を門前払い(公訴棄却)してしまえ、という理論があります。
 
「公訴権濫用論」というのがそれでして、検察官は起訴・不起訴の判断について広い裁量権を持っているけど、その権限を濫用(悪用)したような場合は、起訴自体が不適法になる、ということです。
 
公訴権濫用が問題になった有名な事件を一つ紹介します。
昭和47年、水俣病の原因を作った企業とされる「チッソ」の本社に、補償を求めて談判をしようと水俣病患者や支援者が訪れた。その際、ある患者とチッソ社員がもみ合いになり、双方が軽いケガをした(やや単純化しています)。
 
双方がケガをしたから、いわばケンカ両成敗で、双方に傷害罪が成立します。ところが検察は、チッソ社員は起訴せず、患者のみを起訴した。
 
1審は患者を有罪としたが、2審は公訴権濫用を認め公訴棄却。最高裁(昭和55年12月17日)は、公訴権濫用までは認められないけど、2審の結論自体はそのままで良いとした。
 
そして、どういう場合に公訴権濫用が認められるかというと、起訴することが「職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られる」という、わかりにくいながら、よほどおかしな起訴である場合に限定すると述べています。
 
検察が海保職員を起訴したとして、それが「極限的」におかしい起訴かというと、そこでまた議論は分かれることになるでしょう。
 
しかし、那覇地検は「日中関係を考慮して」中国人船長を釈放したと言っています。
海保職員がもし「日中関係に悪影響を与える」という理由で起訴されたとすれば、検察は、外交問題にまで立ち入り、特定の外国への配慮を理由に刑罰法規の解釈適用をねじ曲げているわけでして、それは「極限的」におかしいと言ってよいと、個人的には思います。
尖閣事件の映像流出が秘密漏示罪にあたるか否かについて書こうとしていたら、すでに新聞各紙で識者がいろんな見解を書いてくれています。識者の見解も分かれているので、難しい問題なのだなと思います。以下あくまで、私の個人的見解としてお読みください。

神戸の海上保安庁の職員が、自分で流出させたと名乗り出たようです。心情的にはともかく、政府が「出さない」と言っているものを勝手に自分の判断で流出させているのですから、公務員としては明らかに職務違反となり、懲戒処分(訓告、減給、退職など)の対象となります。

問題は、お役所内部で懲戒にかけるのとは別に、秘密漏示罪という犯罪にあたるとして逮捕・起訴し、刑事裁判の上で懲役や罰金などの刑事罰を与えるべきかどうかです。

秘密漏示罪の対象となる「秘密」とは、繰り返しになりますが、「非公知」の情報で、「秘密保護の必要性」があるものです。

「非公知」か否かについては、一部の国会議員には公開されているからもはや「非公知」でない、という見解もあるようですが、それだけでは「公(おおやけ)に知らされている」状態とまでは言えないわけで、「非公知」にあたると考えます。

「秘密保護の必要性」がある情報であるか否かが最も重要な問題で、前回紹介した「外務省機密漏洩事件」で東京地裁は、「それが漏れてしまうと公務の能率的な運営ができなくなるような情報」を言い、沖縄返還に関する密約はそれに該当するとした。

その結論は、それでよいと思います。アメリカと沖縄返還の交渉を行なっているときに、費用負担など交渉の内容を暴いてしまうと、いろんな反対意見が出て、アメリカだって「日本国内の意見が一本化されていないのなら、沖縄返還はまたいずれ」となってしまい、返還交渉が能率的に進まなくなることは、たぶん誰にでもわかる。

では、尖閣事件の映像を秘密にすることで守られるべき「公務の能率的な運営」とは一体何なのかというと、これは全く不明であると言わざるをえません。菅総理らは、いま中国と何をどのように交渉していて、衝突映像を隠しておくことで、その交渉にどのようなメリットがあるのか。

確かに、政治や外交というのは複雑であり、何がメリットでありデメリットであるのかは、同じ時代を生きている一般国民にわかりにくい部分はあります。菅総理は「歴史に堪えうる対応をしている」と言っており、理解できなくてもジャマはするな、とにかく秘密と言ったら秘密だ、とでも言いたいのかも知れません。

しかし「政府が秘密と言えば秘密漏示罪の対象になる」と形式的に捉える考え方は、「形式秘説」と呼ばれ、現在の判例・通説では否定されています。前々回に紹介した最高裁判例の言うとおり「実質的に秘密として保護に値するもの」が秘密だと捉える「実質秘説」が現在の判例・通説です。

その立場による限り、それがなぜ秘密に値するのか、つまり隠しておくことのメリットは何かということが明らかにされる必要があるのです。

そういう次第で、刑事裁判での検察側の主張の中で、そうしたことが明らかにされない限り、流出した映像は保護に値する秘密に該当せず、無罪である、というのが私の考えです。
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