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判決は、「致死」の成立までは認めず、保護責任者遺棄罪で懲役2年6か月の実刑判決。亡くなった女性に対する保護責任は認めつつ、致死、つまり放置したせいで死んだのかどうかについては、認めなかった。遺棄だけなら上限が懲役5年(刑法218条)、致死もつくと15年となるので(219条、204条)、結論の差は大きいです。
押尾学が女性の異変に気づいてすぐ救急車を呼んでも、助かっていたとまでは証明されていない、ということのようです。押尾学がいかにひどいヤツであっても、致死の証明がされていないならその点を罰することができないのは当然で、裁判員も交えて冷静な審理が行われたものと思われます。
具体的にどういう理由で致死が認められなかったのかというと、実際に審理に接していない私たちにはわかりません。いずれ、判例雑誌に判決文が紹介され、事実関係の概要くらいはわかるのでしょう。
ここではひとまず参考として、当ブログでも過去に触れた、致死が認められた有名な判例(最高裁平成元年12月15日判決)を紹介します。
被告人はヤクザの男性で、13歳の女の子を札幌市内のホテルに連れ込んで、夜11時ころ、覚せい剤を女の子に注射しました。午後11時半ころ、女の子が吐き気や頭痛を訴え、午前0時半ころには錯乱状態になって暴れ出しました。
異変に気付いて部屋に来たホテルのメイドには、「女が酔って暴れている」と嘘をついて追い返し、その後も、管理人室の様子を覗きにいったり(通報されていないか確認するため)、子分のヤクザを呼ぼうと試みたりして(結局連絡は取れず)、時間を空費します。
その間、女の子は全裸の状態で倒れ、うめき声をあげ続けていたようですが、最後には、午前2時過ぎころ、被告人は女の子を部屋に放置して逃げます。女の子は、その後、午前4時ころまでの間に、覚せい剤による急性心不全で死亡します。
非常にひどい事案で、誰もが、女の子の異変に気付いたときに救急車を呼んでやるべきだった、致死罪の成立は当然だ、と思うでしょう。
しかしそれでも、この事件の1審(札幌地裁昭和61年4月11日判決)は、今回の押尾事件と同様、遺棄罪のみを認め、致死を否定します。札幌地裁での鑑定では、医師が「この女の子を100パーセント救命できたとは言い難い」と述べていました。
事件は高裁へ上がり、高裁では致死の成立を認め、最高裁もこれを支持しました(被告人に懲役6年の判決)。最高裁いわく、100パーセント救命できたとまで言えなくても、適切な措置をしていれば「十中八九」、つまり80~90パーセントは救命できていたと言えれば、致死との因果関係を認めることができる、という判断です。
押尾学の事件でも、検察側が控訴すれば、この点の判断はくつがえる余地があるかも知れません。
前回書いた、有罪・無罪のルールを前提にして、郵便不正疑惑について触れます。
事件を簡単にいえば、障害者団体を偽装して不正に安い郵便料金でダイレクトメールを郵送していた団体があり、その団体に障害者団体としての証明書が発行されていたというものです。
公務員がニセの証明書を発行すれば、虚偽公文書作成罪という犯罪になります。この事件では、村木元局長が、議員の口利きを受けて、部下にニセの証明書を発行するよう指示したのかどうかが問題となった。
部下の係長ら関係者は、検察の取り調べに対し、当初は「村木局長の指示があった」と言っていたそうですが、裁判の段階になって、「あれは検察に無理やり言わされたものだ」として証言を翻した。
ということで、前回のルールにあてはめて、有罪・無罪を検討してみてください。
村木氏は一貫して指示したことを否認しているから、被告人の自白はない。
検察官は「指示があった」という関係者の供述調書を作ったが、弁護側は「無理やり言わされたものだ」と異議を唱えたため、証拠に採用されなかった(前回のルール4です)。そして関係者は法廷に出て、「指示はありませんでした」と証言しました。だから、犯行があったとする証人の調書や証言は何もない。
物証もない。殺人事件なら死体や凶器が残りますが、「ニセの証明書を作れと口頭で指示したこと」は、(仮に言ったとしても)あとに残らない。証明書自体は残っているでしょうけど、それは、部下が勝手に作ったのだと言われると、村木氏の指示で作ったという証拠にはならない。
かように、本人の自白もない、他人の証言もない、物証もない。村木氏の犯行を立証する確かな証拠は、何もないわけです。これでは無罪にならざるをえない。
ちなみに、検察官の作った調書を採用すべきかどうかについて、大阪地裁が、判決に先だって「任意の証言でないから却下する」という判断を出したことも、注目に値します。
これまで、検察官の調書は非常に信用性が高いということで、弁護人が異議を唱えても、何やかやの理由で証拠に採用されてしまうことが大半だったのです(「何やかや」の部分は刑事訴訟法に規定があるのですが省略)。
今回の無罪判決は、こう検討してみると当然のことなのですが、検察しかも特捜部が、裁判所からも「信用できない」と言われるほどのずさんな捜査をしたことについて、弁護士ながら驚きを禁じえないところです。
そして、こういうことがあるから、やはり弁護士の働きは重要なのだなと、手前味噌なことを付け加えます。
それでも、「権威」というものが嫌いな大阪人のこと、かつて梅田のライブハウス「バナナホール」が立退きを求められた際にミュージシャンが「篭城ライブ」を行なったように、「大たこ」スタッフが屋台に立てこもって「小麦粉が尽きるまでたこ焼きを焼き続けるぜ!」といった光景が見られることになるのでしょうか。
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追記:その後の最新記事はこちらをご覧ください。
草なぎクンや朝青龍への処分自体が軽すぎたのだと考える方もおられるでしょうけど、現にそういう先例がある以上は、それとのバランスが取れていない限り、不公平という問題が生じます。
そういうことで、これ以上に厳しい処分をせよとは、私は思わないし、義憤にかられたか何か知りませんけど相撲部屋の「のぼり」が切り裂かれたという事件も理解できません。