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神戸の海上保安庁の職員が、自分で流出させたと名乗り出たようです。心情的にはともかく、政府が「出さない」と言っているものを勝手に自分の判断で流出させているのですから、公務員としては明らかに職務違反となり、懲戒処分(訓告、減給、退職など)の対象となります。
問題は、お役所内部で懲戒にかけるのとは別に、秘密漏示罪という犯罪にあたるとして逮捕・起訴し、刑事裁判の上で懲役や罰金などの刑事罰を与えるべきかどうかです。
秘密漏示罪の対象となる「秘密」とは、繰り返しになりますが、「非公知」の情報で、「秘密保護の必要性」があるものです。
「非公知」か否かについては、一部の国会議員には公開されているからもはや「非公知」でない、という見解もあるようですが、それだけでは「公(おおやけ)に知らされている」状態とまでは言えないわけで、「非公知」にあたると考えます。
「秘密保護の必要性」がある情報であるか否かが最も重要な問題で、前回紹介した「外務省機密漏洩事件」で東京地裁は、「それが漏れてしまうと公務の能率的な運営ができなくなるような情報」を言い、沖縄返還に関する密約はそれに該当するとした。
その結論は、それでよいと思います。アメリカと沖縄返還の交渉を行なっているときに、費用負担など交渉の内容を暴いてしまうと、いろんな反対意見が出て、アメリカだって「日本国内の意見が一本化されていないのなら、沖縄返還はまたいずれ」となってしまい、返還交渉が能率的に進まなくなることは、たぶん誰にでもわかる。
では、尖閣事件の映像を秘密にすることで守られるべき「公務の能率的な運営」とは一体何なのかというと、これは全く不明であると言わざるをえません。菅総理らは、いま中国と何をどのように交渉していて、衝突映像を隠しておくことで、その交渉にどのようなメリットがあるのか。
確かに、政治や外交というのは複雑であり、何がメリットでありデメリットであるのかは、同じ時代を生きている一般国民にわかりにくい部分はあります。菅総理は「歴史に堪えうる対応をしている」と言っており、理解できなくてもジャマはするな、とにかく秘密と言ったら秘密だ、とでも言いたいのかも知れません。
しかし「政府が秘密と言えば秘密漏示罪の対象になる」と形式的に捉える考え方は、「形式秘説」と呼ばれ、現在の判例・通説では否定されています。前々回に紹介した最高裁判例の言うとおり「実質的に秘密として保護に値するもの」が秘密だと捉える「実質秘説」が現在の判例・通説です。
その立場による限り、それがなぜ秘密に値するのか、つまり隠しておくことのメリットは何かということが明らかにされる必要があるのです。
そういう次第で、刑事裁判での検察側の主張の中で、そうしたことが明らかにされない限り、流出した映像は保護に値する秘密に該当せず、無罪である、というのが私の考えです。
難しい問題であると前回も書きましたが、そういう場合、私たちは、過去の判例に似たようなものがないかを探り、それとの対比で考えることが多いです。
国家公務員の守秘義務違反として最も有名なのは、「外務省機密漏洩事件」でしょう。
これは、昭和46年(1971年)、アメリカ占領下の沖縄を日本に返還するとの日米協議が行なわれている過程で、数百億円かかる米軍の退去費用を日本が立て替えで負担するという「密約」がある、との情報が漏らされたという事件です。
この情報は、外務省の女性事務官が毎日新聞の男性記者に漏らし、新聞で大スクープとなりました。その女性事務官は秘密漏示罪で起訴され、男性記者はそれをそそのかした(教唆犯)として起訴された。
この密約が「秘密」に当たるのかというと、常識的に考えて、当たるとして良いように思えます。退去費用を負担すべきか否かという問題でゴタゴタしだすと、まとまる話もまとまらなくなるからです。
そのことは最近の普天間基地の移転問題を見ても明らかです。鳩山政権になってから、県外移転だ、いや国外だなどと、ばらばらなことを言っているうちに、移転協議は何ら進まないどころか、自民党時代に進めてきたことよりも後退してしまっています。
沖縄退去の費用負担問題でも、当時の佐藤栄作総理がもし「広く国民の皆さんの意見を聞いて…」などと言っていれば、いま現在でも、沖縄はアメリカ領のままだったかも知れない。
この事件の審理にあたった東京地裁も、「秘密」の定義について、前回末尾に紹介したのと同じような理屈を展開し、保護する必要性のある秘密とは、その情報が漏れてしまうと公務の能率的な運営ができなくなるような情報だ、と言いました。
結論として、密約の存在は「秘密」に当たるということで、女性事務官に有罪判決(執行猶予つきの懲役判決)。一方、男性記者に対しては、「取材の自由」を重視し、記者が事務官から情報を聞き出すことは正当な業務であるとして無罪としました(昭和49年1月31日判決)。
ここまで書いたのでついでに書きますと、男性記者は高裁・最高裁では有罪となり、同じように執行猶予つき懲役判決を受けています。
この男性記者は、女性事務官に酒を飲ませて迫り、肉体関係まで持った上で、その「情交関係」を通じて情報を入手したらしく、「取材行為としては相当でない」(要するに「寝ちゃイカン」)とされたのです。
さらに付け加えますが、日米間で本当にそのような密約があったのか否かは、実際にはよくわかりません(詳しい方がおられたらご教示ください)。しかしこの当時、佐藤総理はこの問題に一切言い訳することなく、最終的に沖縄返還にまでこぎつけ、後年、平和的手段による領土回復を果たしたということでノーベル平和賞を授与されています。
今、菅総理が「5年後、10年後には必ず評価される対応をしている」と、言い訳にもならない言い訳をしているのは、まさに笑止というべきです。
などと書いているうちに長くなりましたので、尖閣事件の映像が秘密に当たるかどうかの検討は次回に。
流出が海上保安庁の内部の人によるものかどうかは知りません。しかし現場付近では以前から、漁業で生計を立てている人たちが中国船に悩まされ、海上保安庁が文字通り命がけでそれを排除しようとしたわけです。
画像流出の「犯人」を処罰しようというのであれば、民主党があれだけ「国民の生活が第一」、「命を守りたい」などと言ってきたのと全く矛盾すると思うのですが、もしかしたら民主党の言うところの「国民」や「命」とは「中国人の」ことだったのかも知れません。
それはともかく、政府・民主党は、画像流出が「国家公務員法の守秘義務に反する」と言っているようなので、法解釈的にそう言えるのか否か、検討してみます。
国家公務員法によると、公務員は職務の上で知った秘密を漏らしてはならないとされており(100条1項)、これに反すると、1年以下の懲役または50万円以下の罰金とされます(109条12号)。
公務員にも、言いたいことを言うという表現の自由はあり(憲法21条)、それに対応して国民にも知る権利があるのですが、国益に関する高度な判断について、ある程度は「国家機密」が生じるのはやむをえません。
極端な例で言えば、ある検察官が、この容疑者はこんなにひどいヤツなんだということを世間に喧伝しようと思って、被害者の死体写真をインターネットでばらまくのも自由だということになれば、かなりおぞましい事態だと思います。だから一定の守秘義務は必要です。
では、守秘義務によって守られるべき「秘密」とは何か。
最高裁(昭和52年12月19日決定)は、「実質的にもそれを秘密として保護するに値すると認められるもの」でないといけないと言っています。
秘密として保護に値するものとは何かというと、そこから先は事件ごとに考えるしかないのですが、憲法の教科書などによれば、「非公知性、必要性、相当性」の要件が必要とされています(佐藤幸治「憲法」)。
もともと一般国民が知らないことで、国益のため秘密にする必要があり、刑罰をちらつかせてまで秘密を守ることが相当な情報、それが国家の秘密であるというわけです。
今回の衝突事件の映像が、この要件にあてはまるか否かについては、考え方は分かれるかと思います。心情的には、映像を流出させた人には「よくやった」と言いたいですが、法解釈として無罪と言ってよいかについては、私の考えがまだまとまっていません。そのあたりは、次回以降に書きたいと思います。
すでに旧ブログで触れているのですが、この問題は「民事裁判で証人になった人が、取材源(ニュースのネタ元)を黙秘できるか」という形で争われたことがあります。詳細は4年前に書いた記事(こちら)を見ていただくとして、改めてこの事件を単純化して紹介します。
NHKが、ある会社が脱税しているという報道をし、その会社は事実無根だとNHKを訴えた。NHKは、きちんと取材して、ある役人からその情報を聴いたと主張しました。NHKの記者が証人尋問を受け、どこの役人からどういう話を聞いたのか答えよ、と聞かれたが、NHK記者は黙秘した。この黙秘が認められるかどうかが争われました。
最高裁は、取材源の秘匿を理由に黙秘できるか否かについての判断基準を明らかにしました(平成18年10月3日判決)。
要するに、黙秘を認めて、それによってジャーナリストの取材の自由を確保するほうがよいか、または、証言させて、それによって民事訴訟の争点について重要な証言を獲得するほうがよいか、それをハカリにかけて決める、ということです。
上記の事件にあてはめると、ある会社が脱税しているか否かは重要なことで、もしそんな不正を働いている企業があるなら、それを暴くことが社会正義であり、また税収の確保という公益も実現できる。そういったことを取材することは尊重される必要がある。
これを、今回の田原氏の事件にあてはめてみます。
一方、この民事訴訟がどこまで重要かというと、微妙なところではあります。
拉致被害者の親族の心情は察するに余りあり、私もその救済を日々願う者ではありますが、それでも、上記の最高裁の理屈でいけば、「個人の精神的苦痛」を賠償してくれというのは、会社の株価が下がったのを賠償してくれというのと同様、私的な利益に過ぎないということになります。
結局、言い方は悪いですが、どっちもどっちであり、少なくとも、取材の自由だけを確保すべき要請が高いとも思えない。
ただ、この裁判の結論として、田原氏が1000万円もの賠償責任を負うことはないでしょう。
田原氏は、「拉致被害者は生きていないだろう」と言っただけで、被害者やその家族を直接的に中傷したわけではない。賠償責任がもし認められたとしても、相当に低額になるのではないかと思えます。
少々ややこしい話をしましたが、とりあえずこの問題については以上で終了します。
発言が問題となったテレビ番組については、私は見ていないので、もし私の理解に欠けているところがあれば、メール等にてご教示ください。
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平成23年1月追記
田原氏の抗告を受けて、大阪高裁は提出命令を覆しました。
私の予想は外れたことになりますが、取材源の秘匿の重要性をそれほどに認めたこと自体は、望ましいことのように思えます。
本文に書いたことは、あくまで私の個人的見解としてお読みください。
前回の続き。
神戸地裁が田原総一朗に取材テープの提出命令を出したところ、田原氏側が抗告で争った。
田原氏に言わせれば、取材源(どこから得た情報か)は秘密である、それが特定されるようなテープは公開できない、そんなことをすればジャーナリストとしての信頼が失われ、取材活動ができなくなる、それは報道の自由をおびやかすことになる、ということだと思います。
ただ、常識的に考えると、自ら裁判で「外務省の人もそう言っていた、取材テープもある」と主張した以上、その提出を命じても良さそうです。「テープは出さないけど、ホントにそう言ってたんだ」と言われたら、誰だって、そのまま信用してよいかどうか、疑問に感じるでしょう。
私たち弁護士も、民事訴訟で第三者の発言を引用することがありますが、その際には常に、訴訟の相手から「その発言の元を明らかにせよ」と言われることを想定して、証拠はいつでも出せるようにしておきます(例えばその発言者に、いつでも証人として証言してもらえるよう内諾を得ておくなど)。それができなければ、通常、「誰々がこう言っていた」などという主張はしません。
ですから、「俺はジャーナリストだ」と言うだけで、発言の元は一切明かさなくてもいいとか、それでも訴訟の上で不利に扱われないとかいうのも、おかしなことであると言えます。
ジャーナリストの言うところの、報道の自由、取材の自由は、確かに私たち国民の「知る権利」にとって重要なものであり、そのために取材源は秘密にしておくというのも一理あります。しかし一方で、民事裁判で問題となっている争点(本件の場合、田原氏の発言がどこまでちゃんとした取材に基づくものであったか)を明らかにするために、裁判所が立ち入って審理することも必要です。
この問題は、民事裁判の前に、取材源の秘匿はどこまで認められるかという、古くから論じられているテーマですが、近年の最高裁は、この問題に一定の結論を出しています。
しかし、検察官が起訴すれば、あとの有罪・無罪は刑事裁判の法廷で争うべきであって、それを別の裁判官(行政訴訟の担当の裁判官)が横ヤリを入れて「起訴自体を取り消す」なんてことは想定されていないはずであり、現に行なわれていません。
少し前に触れた郵便不正事件、検察側は控訴をあきらめて無罪が確定…どころではない大ごとになってきて、検察はいま激震しております。
ご存じのとおり、証拠となるフロッピーのデータに手を加えた大阪地検特捜部の担当検事が、証拠偽造罪(刑法104条、2年以下の懲役または20万円以下の罰金)で逮捕され、その上司にあたる特捜部の部長・副部長が、その発覚をもみ消そうとしたとして、犯人隠避罪(103条、罪は上に同じ)で逮捕されました。
この事件を生みだした検察の病理は、とかいった大きな話はできませんので、ここでは部長らが逮捕された犯人隠避罪の解釈について触れます。
刑法103条によると、「罰金以上の刑に当たる罪を犯した者」を「蔵匿」(ぞうとく。隠れ場所を与えてかくまう)したり、「隠避」(いんぴ。場所を与える以外の方法でかくまう)したりすると、この犯罪が成立する。
担当検事が逮捕された証拠偽造罪は、罰金以上の刑に当たります。
ちなみに罰金より低い罪とは、拘留(プチ懲役みたいなもので、最大で29日間)、・科料(プチ罰金。1万円未満)を指します。例えば「立ち小便」は軽犯罪法1条26号で拘留または科料とされているので、立ち小便を見つかって警官に追いかけられている友人をかくまっても、犯人隠避罪にならないことになります(保証はできかねますので実際に試さないでください)。
微妙なのは、「罪を犯した者」の解釈です。
組織ぐるみで証拠改竄を隠蔽しようとしたとの疑い禁じえない一方、罪にあたるかどうかわからないから、まずは部下を守ってやろうとしたと考える余地もある。
一般論として、たとえば会社の上司が、部下から、何らかの不祥事を起こしてしまったことを打ち明けられたとして、「おまえのやったことは刑法上の犯罪に該当するかも知れないから、警察に出頭しろ」と突き放すのと、「よしわかった、もう何も言うな」と言ってくれるのとを比べれば、誰だって、後者のほうが「理想の上司」だと思うでしょう。
犯人隠避罪の適用には、このような難しい部分もあります。