大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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「名張毒ぶどう酒事件」について、続き。
最高裁は、再審開始を否定した名古屋高裁の決定をなぜくつがえしたか、について。
基本的なところに立ち返りますが、被告人を有罪にするためには、検察側で、この被告人が犯人であるのは明らかだということを証明しないといけない。
はっきり「クロ」だと立証できず、かと言って「シロ」でもなく、いわゆる「グレーゾーン」程度にしか証明できないと、被告人は無罪になります。
これを「疑わしきは被告人の利益に」(どちらか疑わしい場合は、被告人の利益になるように扱う)の原則といい、日本に限らず、およそ憲法を持つ国家における刑事裁判の大原則です。
疑いの余地もないほどに「クロ」との証明がされた場合には、有罪判決が出るのだけど、人間のやることだから間違いが起こることはある。その場合に行われるのが再審です。
では、どのような場合に再審が開かれるか。考え方としては2種類ありえます。
1つは、有罪判決までは「疑わしきは被告人の利益に」考えるけど、いったんそうやって判決が出た以上は、それをひっくり返すには、相当強力な「無罪」の証拠を出すべきだ、という考え方。
2つめは、再審を開くかどうかについても「疑わしきは被告人の利益に」考えて、有罪か無罪か微妙かな、という程度の証拠を出せればよい、という考え方。
条文には「無罪を言い渡すべき明らかな証拠を新たに発見したとき」(刑事訴訟法435条6号の要約)とありますので、1つめの考え方が採用されているように読むこともでき、実際、最高裁も長らくその立場にあると理解されてきました。
その考え方をくつがえしたのは昭和50年の最高裁の決定で、2つめの考え方を取ることを明らかにしました。
白鳥(しらとり)事件という有名な事件で、この決定は「白鳥決定」と呼ばれます。当時の最高裁判事で、現在の刑事訴訟法を作った団藤重光氏(以前触れました。こちら )が、この判決の原案を作ったと言われています。
今回の「名張毒ぶどう酒事件」での最高裁の決定の理由は、極めて単純化して言えば、被告人の自宅にあった農薬(ニッカリンT)の成分が、事件現場に残されていたぶどう酒から検出されていない、という実験結果が出された点にあります。
それでもなお、当時の検査がずさんだったとか、成文が変質したとか理屈をこねることは可能ですし、昭和44年の名古屋高裁の有罪判決は、農薬の点以外にも有罪の証拠を挙げているから、そこが突き崩されても有罪と言えなくもない。
しかし、今回の実験結果は、少なくとも、有罪か無罪か微妙と言えるまでに持ち込むには足りる、とは言えそうです。
この事件は昭和47年に最高裁で有罪が確定し、その後、昭和50年に上記の白鳥決定が出ています。それでもこれまで合計6度の再審請求が棄却されているわけで、白鳥決定の後も、実際には再審の門は狭く重かったのです。
この度、最高裁がより慎重な審理を名古屋高裁に求めたのは、足利事件の再審無罪が影響しているのは間違いないでしょう。この決定を受けての名古屋高裁の結論が注目されます。
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前回も少し触れました「名張毒ぶどう酒事件」について触れます。
最近の報道では、名古屋高裁がいったん再審を認めたが、同じ名古屋高裁がひっくり返し、それをまた最高裁がひっくり返した、とあります。ややこしい話ですが、いま何がどうなっているのか、ざっと経緯を書きます。
事件は、三重の名張で昭和36年に起きています。村人の会合で振る舞われた「ぶどう酒」、いまで言うところのワインでしょうけど、これを飲んだ女性5人が急に苦しみ出して死亡した。
その会合に参加していた奥西さんと言う男性に容疑がかかって逮捕された。
裁判での争点は多岐に渡りますが、奥西さんが、自分が持っていた農薬をぶどう酒にまぜたのかどうかといったことが争われました。
1審、津地裁は無罪判決(昭和39年12月23日)。
しかし2審の名古屋高裁は、逆転で有罪、死刑判決を下します(昭和44年9月10日)。
弁護側は最高裁に上告しますが、上告棄却(昭和47年6月15日)。
これで死刑判決が確定、奥西さんは「死刑囚」となり、その後ずっと、名古屋拘置所で死刑執行を待つ身となります。
確定判決を争う唯一の方法は、足利事件で菅家さんを無期懲役刑から救った「再審」です。奥西さんの弁護団は、これまで7回の再審請求をしました。
7回と言えばかなりの多数回ですが、めったやたらに申し立てをしているのではありません。同じ理由で再審請求をすることはできないので、弁護団はその都度、有罪判決を覆すべき新たな主張や証拠を提出しています。
今回の7回目の再審請求は、今から8年前、平成14年4月に、名古屋高裁に申し立てられました。地裁は無罪判決を出してくれているので、文句はない。高裁に対して、「昭和44年に出した有罪判決を破棄しなさい」と申し立てたわけです。
そして名古屋高裁は、平成17年4月、有罪判決に誤りがある可能性を認め、再審開始を決定します。
それに不服な検察側は当然争います。高裁に不服があれば、普通、次は最高裁で審理されますが、この再審請求は、(地裁には文句がなかったため)高裁から始まっている。そのため、それに対する異議申し立ては、もう一度だけ同じ高裁で審理することになっています。
同じ高裁と言っても、同じ裁判官が担当するわけではありません。名古屋高裁にも裁判官は多数いるので、別の裁判官が担当します。
そして名古屋高裁(の別の裁判官)は、平成18年12月、再審開始決定を取り消して、再審請求を棄却しました。やっぱり再審は開かない、と言ったわけです。
高裁の2度目の判断に対しては、最高裁に異議申立てができます。弁護団はもちろんそうしました。
そして、おととい4月6日、最高裁は、「再審は開かない」と言った名古屋高裁の決定を取り消し、「もう1回考え直しなさい」と、差し戻しました。
これが現在までの状況です。
これから名古屋高裁が考え直しにかかるので、まだ再審が開かれると決まったわけではありません。奥西さんはすでに84歳の高齢ですが、無罪判決をとるまでにはまだまだ道のりは長いです。
最高裁がなぜ今回のような判断に至ったのか、そのあたりは次回以降に続く。
昨日の夕刊は、死刑がらみの注目すべき事件が2つ載っていました。
ひとつは、死刑判決が確定している「名張毒ぶどう酒事件」で、再審が開始される見込みが出てきたことで、この話は明日以降に書きます。もう一つは、中国で日本人に対する死刑が執行されたことで、今日はこちらについて触れます。
この日本人は、中国から麻薬を密輸しようとして捕まり、死刑判決を受けました。
まず前提として、日本の麻薬取締法には死刑はないですが、中国で起こった事件だから、中国で裁かれることになります。
中国に限らず、その国で起こった犯罪にはその国の法律が適用される。これを「属地主義」といいまして、日本の刑法も基本的にはそうです(なお、日本で不祥事を起こしたアメリカの軍人を日本で裁けないのは、日米間の条約でそういう決まりになっているからです)。
ということで、中国での事件に中国で死刑判決が下されても、やむをえないとも言える。
ただ、死刑に至るまでに、この日本人はきちんと自分の言い分を聞いてもらえたか、「足利事件」のような冤罪の可能性はないのか、という懸念はあります。
同じ外国で起こった事件として有名なものに「メルボルン事件」があります。オーストラリアを旅行中の日本人数名が、空港で麻薬を所持していたとして懲役刑を受けたというものです。
伝えられているところでは、その日本人は旅行中にカバンを紛失し、現地のガイドに代わりのカバンをもらったら、そのカバンの底板の奥に麻薬が入っていたそうです。それが事実かどうかは知りませんが、その日本人はろくに弁解も聞いてもらえず、きちんと通訳をつけてもらえず、懲役10数年という判決を受けました。
(私がこの話を聞いたのは平成12年ころ、司法研修所の教室でした。当時その日本人はオーストラリアで服役中と聞きましたが、その後の経過については存じません。)
今回の事件も、中国という、日本その他の「西側諸国」とは異質な考え方を持つ国家で、どこまで適正な裁判が行われたのかというと、そのへんは「わからない」としか言いようがない。
今回の死刑執行に対しては、日弁連の宇都宮会長が「遺憾」とするコメントを出したようです。
死刑執行に対して人権派団体が批判のコメントを出すと、私個人としては「法律で決まったことだから執行は当然だろう」と思ってしまうほうなのですが、今回の執行については私も、もっと慎重にされて然るべきだったと思っています。
日本の刑事司法はかなり慎重で精密ですが、それでも間違いは起こっているのです。名張毒ぶどう酒事件の記事とあわせて読んで、よりその思いを強くしました。
東京高裁が公務員の政治活動に無罪判決(29日)。
事案は、社会保険事務所に勤務する職員が、休日に、共産党の機関紙である「赤旗」を配布した行為が、国家公務員法に触れるか否かが争われていました。
国家公務員法と人事院規則によりますと、公務員の政治活動はすべてと言ってよいほど禁じられています。
最高裁の判例としては、昭和49年の「猿払事件」が有名で、行政が政治的に中立性を保ち、これに対する国民の信頼を確保するために、公務員の政治活動を法律で禁じて一律に処罰することもやむをえない、と述べています。
ちなみにこの事件は、北海道の猿払村というところで、ある郵便局員が、勤務時間外に、衆議院選挙が行われる際に(旧)社会党のポスターを貼る仕事をしたというものでした。この人に対する判決は「罰金5000円」で、高くはないとはいえ、立派な有罪判決です。
この最高裁判例には憲法学者からの批判が多いです。
たしかに、公務員というのは、政権の担当者が誰であれ、法律で決まったことを執行していく立場にあり、たとえばある公務員が「民主党は嫌いだからウチの役所では子ども手当は支給しない」などと言いだすと困る。だから行政は特定の政党に偏らず、中立でないといけない。
しかし、公務員にも言論の自由はあり、末端の役人が、役所での勤務と関係なくポスターを貼ったりする行為までも漏れなく処罰するというのは、行き過ぎとも思える。
今回の東京高裁判決は、1審で罰金10万円とした判決を破棄して無罪とした。
いわく、猿払事件の最高裁判決の後、言論の自由に対する国民の意識は変わってきている、一律処罰でなく、処罰されるべき範囲が検討されるべき時代がきている、とのことです。
テレビのコメンテーターなどがよく、ある問題について発言を求められて、「この問題についてよく考えないといけない時代がきていると思います」と、それ自体は何の中身もないことを述べ、したり顔をしているのを見かけますが、この東京高裁の判事は、自分たちのトップである最高裁に「考え直せ」と言っているわけですから、体を張っています。冷や飯覚悟の判決でしょう。
この無罪判決に対し、検察側は最高裁に上告するでしょうから、高裁の問題提起に対して最高裁はどう答えるかを注目したいと思います。
私の見解はどうでも良いでしょうけど、ごく個人的には、役所の人間が共産主義政党に肩入れした活動をすること自体、お国の仕事を任せておけるのかといった不安を感じなくもないので、処罰されても仕方ないのかな、と思っています。
明日26日は宇都宮地裁で、足利事件の再審判決が出るようです。
ご存じのとおり、この事件は、足利市での幼女殺害につき、無実の菅家さんが無期懲役判決を受けて17年間服役した後、DNA鑑定の誤りが指摘されて釈放されたという、異例の経過をたどったケースでした。
明日の判決では、有罪判決は誤りで、菅家さんは無罪である、ということが言い渡される見込みです。
一部マスコミの論調を見ますと、無罪と言い渡すだけでは足りないのであって、なぜそのような誤判がなされたのか、その経緯と理由にまで踏み込んで解明すべきだ、といった主張も見られます。
しかし、再審はあくまで、過去に行われた裁判が間違っていたのか否かを明らかにするための制度です。間違いが起こった理由は何かといったことを解明することは、もちろん非常に重要なことではあるけれど、再審制度にそれを求めるのは無理がある。
ここでも少し前に、裁判所(特に最高裁)は、いわゆる「傍論」(結論に関係のない部分)で余計なことをしゃべるために、それが時に国政に混乱をもたらすといったことを書きました。
今回の再審判決でも、一地方の裁判所の担当裁判官が、菅家さんは有罪か無罪かといった事柄を超えて、警察・検察の捜査や司法制度のどこに誤りがあるのか、その原因は何なのかといったことを語りだしたら、これは明らかに越権行為であると思われます。
加えて、足利事件の判決はなぜ誤ったのか、それを明らかにすることは、必ずしも菅家さんのためにもならないように思われます。
今、手元に刑事訴訟法の教科書(田口守一「刑事訴訟法」(弘文堂))を置いてこれを書いています。DNA鑑定について論じた部分で、足利事件その他のDNA鑑定が採用された判例を挙げた上で、こう書かれています。
「これらの事例はDNA鑑定以外にも有力な証拠が存在する事案であり、DNA鑑定は補助証拠としてのみ使用されている」。そしてDNA鑑定だけで犯人を認定してよいかは今後の課題である、と。
結果的に誤判であったとはいえ、菅家さんが犯人にされたのは、DNA鑑定が間違っていたというだけでなく、他にも「有力な証拠」があったということになります。
なぜ誤判が生じたかを明らかにするのであれば、その「有力な証拠」の中身も公にし、その上で、誤判はDNA鑑定のせいなのか、他の有力な証拠のせいなのかを検証しないといけない。しかし、いま、それを蒸し返すことが良いことなのか、私には疑問に思えます。
菅家さんの名誉の回復は、再審という単に手続的なことの中で図られるのでなく、今後の講演などの啓蒙活動によって果たされるのがふさわしいと思っています。
明日26日の再審判決は、淡々と「無罪」を宣告して終わるべきでしょう。
以前、ここでも紹介した判例のその後について、話題を2つ。
1つめは道頓堀の「大たこ」です。
先日、裁判所へ自転車で行った帰りに少し回り道をして、道頓堀界隈を散歩してみましたら、「大たこ」は今も変わらずたこ焼きを売っています。
このお店は、大阪市から立退きを求められ、1審の大阪地裁は立退きを認めなかったのが、今年1月の大阪高裁判決では、逆転判決で立退きを命じました。
大阪地裁も高裁も、「大たこ」側に時効による土地の取得は認められない、とした点は同じですが、地裁は、過去の経緯からして明渡しを求めるのは権利の乱用としました(その際の記事はこちら)。これはこれで穏当な落とし所かな、と思ったのですが、高裁は「権利の乱用とまではいえない」としたのです。
「大たこ」が今でも営業しているということは、最高裁へ上告したのだと思われます。
ただ上告しても、高裁の判決に「仮執行宣言」(最高裁で決着がつく前でも強制執行ができるという宣言です。敗訴した側の引き延ばしを防ぐためです)というのがついていれば、明渡しを強制執行できる。
たこ焼き屋の明渡しの強制執行となりますと、小麦粉とかタコの破片とかが舞い上がって阿鼻叫喚の様相になる気がしますが、さすがに大阪市もそこまではせず、最高裁の結論が出るのを待つつもりなのではないかと想像しています。
2つめは、インターネット上での名誉毀損事件で、最高裁判決がありました(3月15日)。
とあるラーメン店がカルト教団と結託しているとネット上に書いた行為が名誉毀損罪になるか否かが争われた事件で、1審・東京地裁は、インターネットの信用性は高くないことなどを理由に無罪としたが、2審・東京高裁は有罪とし、弁護側が上告していたものです。
そのときの記事はこちらです。
この事件についての感想は上記の過去の記事で書いたことに尽きています。高裁・最高裁の判断のとおりで良いのではないかと思います。
ちなみに私自身は、弁護士を約10年やっていて、最高裁に上告をした、またはされた、というのは、これまで2件だけです(した、された共に1件ずつ)。いずれも、高裁の判断はひっくり返らず、「上告棄却決定」という紙切れが送られてきただけでした。上記の名誉毀損事件も、同じ扱いだったと思われます。
大半の上告事件はそうなるので、「大たこ」に立退きを命じた大阪高裁判決も、最高裁で引っくり返るという可能性は低いでしょう。そうなるといよいよ、小麦粉とタコの破片が舞い上がって…となるのかというと、そこまでいけば「大たこ」も素直に立ち退いていくのではないかと思います。
明渡しの強制執行にも、私は何度か立会いましたが、相手が最後まで抵抗して阿鼻叫喚の様相となった場面は、まだ経験したことがありません。
ライブドアの堀江元社長が、自宅への強制執行を受けたそうです。
堀江がライブドアの粉飾決算をしたために株価が下落し、損害を受けた株主が原告となって堀江を訴えた事件であったかと記憶しています。
堀江の自宅には、その株主の代理人弁護士や、裁判所の執行官が赴いて、堀江はそのとき食事で外出していたので、同行した鍵師が扉を開けたようです。
テレビ報道によると、堀江は自身のブログで、このことを「コソ泥みたい」と述べていたとか。判決で命ぜられた支払いもせずに相手を「コソ泥」はなかろうとも思いますが、この堀江のコメントは、重要なことを明らかにしてくれます。
すなわち、外出中の人の家に、鍵まで開けて乗り込んで、建物内の物品を物色している。
こんなことを一般の人がやれば、住居侵入・窃盗未遂で逮捕されます。しかし、裁判所が行えば、完全に適法な手続になるわけです。
実力行使を適法に行うためには、裁判などの面倒な手続を要しますが、その手続さえ踏めば、国家権力が権利の実現のために手を貸してくれる、これが法律の力です。
なお、差押えされた物品はどうなるかというと、ただちに持ち去られるわけではなく、差押えのシールを貼っておいて(これを勝手にはがすと封印破棄罪という犯罪になる)、後日、競売が行われます。
何が差し押さえられたかというと、報道によると、「65型の大画面テレビ、ワインセラー、三味線」などだそうです。ただし、「ホリエモンの手あかつきで、潰れていても保証なし」です。皆さんはいくらなら落札するでしょうか。私ならタダでも要りません。
裁判所としては、いちおうは数万円くらいの値をつけたと思うので、堀江がそれらを手放したくなければ、自分で数万円だして買い取ればいい(その代金は差押えをした人への返済に回る)。
堀江は「強制執行停止」の手続を取る、と息巻いているようですが、これには相当のお金を担保として積まないといけないはずだし、代理人弁護士としても面倒な手続きが必要になるので、堀江の弁護士は嫌がっているのではないかと想像しています。
厚生労働省が、飲食店など公共的施設での全面禁煙を求める通知を出すそうです。
これを朗報と感じる人も、その逆の人もいるでしょう。この通知がいかなる意味を持つのかということについて触れます。
この通知は、誰にあてて出され、どういう内容を持つか。まだ通知そのものが出ていないので詳細は存じませんが、報道されているところによると、厚労省が都道府県知事(政令指定都市の場合は市町村長)にあてて、「地元でよろしく周知徹底されたし」といった内容であるようです。
行政(厚労省)が行政(都道府県や市町村)にあてたものだから、これは行政内部の「通達」というものにあたります。そして通達は、私たち国民に対して直接的な拘束力を有しません。
どうして厚労省は、都道府県知事を介して、という迂遠なやり方でなく、飲食店主などに直接通知しないのかというと、一つには、そうすると膨大な量の通知が必要になるという物理的な理由があります。
でももっと根本的な理由は、厚労省が飲食店主に「全面禁煙せよ」と通知する法的根拠がないことです。
今回の通知は健康増進法25条が定める「受動喫煙の防止」の努力義務をいっそう徹底するためのものですが、この法律には行政が直接国民に「通知」を出せるなどという条文がない。
お役所は、法的根拠もなく国民の生活に直接口出しできないというのが、法治国家における大原則です。でも「通達」なら、あくまで行政内部のものという建前なので、法的根拠をやかましく問われることはない。
今回の通知を受けるのは都道府県知事で、知事が県の保健所にさらに指示を出し、保健所が地元の人々に飲食店の許可を与えるに際して、全面禁煙にしてください、という行政指導をするのであろうと想像されます。
このように、今回の通知はあくまでお役所内部の指針に過ぎません。
この通知には強制力や罰則はない、というのは報道でご存じのことと思いますが、そもそも私たち国民にあてて書かれたものでないのだから、これは当然のことです。
とはいえこの通知は私たち国民の生活に影響を与えずにはおかないと思われますので、そのあたりの話は次回に続きます。
お知らせ
一時的に戻ってきました。
左上に「裏入口」という小窓が出てくるかも知れませんが、当ブログとは関係ありません。おそらくアダルトサイトへの入口なので、クリックしないでください。
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