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シリーズ4話目(いちおうラスト)。このシリーズは、海上保安庁のヘリコプターが、司法修習生の乗った巡視艇の近くをデモ飛行した直後に墜落した、というニュースをきっかけに書き始めています。
私も同じ研修を受けたかというと、確かに検察修習の時期に、海上保安庁の巡視艇に乗って、しばし航行した経験があります。
ただ、私のときは、艦上にヘリコプターが止まっていて、私たちが見ている前でプロペラが旋回を始め、いつ飛び立つかと見ていると、飛ばないままプロペラが止まってしまい、「え、これで終わり?」と拍子抜けしました。
司法修習時代の経験はすべて大きな意味があると、いくつか例に挙げて書きましたが、正直なところ、海上保安庁の船とヘリコプターを見る意味は、当時はいま一つよくわかりませんでした。「船に乗って気持ち良かった」という程度でした。
しかし今回、ヘリコプターが墜落して何人か亡くなったというニュースに接して、私の考え方も変わりました。
すなわち、このように日々、体を張って海に出ている人がいるということです。海上保安庁の現場の人たちは、文字どおり命がけで、与えられた職務をこなしており、そういう人々のおかげで、海上の保安や、自国の安全が守られているという現実があるのです。
海上保安庁のエライ方々は、事故をすぐ公表しなかった理由として、司法修習生らが心理的負担に思うのを懸念した、と説明したそうですが、後から考えた言い訳であるに違いありません。
私もここで書いてきたように、実地研修においては、いろんな現実を見せられます。こんな現実を前に、自分は将来、法律を武器にして一体何ができるんだろうと、考えさせられ続けます。
今回の事件でも、巡視艇に乗っていた司法修習生たちには、きっと何か心に感じることがあったはずです。事故が起こったことで精神的に参ってダメになってしまうようなら、到底、法曹は務まりません。
彼ら司法修習生は、亡くなった海上保安庁の人たちのことを胸に刻んで、法曹となるでしょう。そして国家の安全や、人の命といった問題について、彼らは法律家として、よりいっそう真摯に取り組んでいくでしょう。
かつて海上保安庁の巡視艇に「物見遊山」の気持ちで乗っていた私は、今回の事件で少し反省しました。司法修習の各研修は、このようにすべて意味があります。司法修習生を引き合いに出して事故を隠そうとしたエライ方の意図は理解しかねますが、亡くなった現場の方々には改めて敬意と追悼の念を表したいと思います。
今回のヘリコプター事故に関して、以上のようなことを思っていました。