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大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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武富士が会社更生法の適用を申請しました。過払い金返済の負担が大きすぎたようです。
 
昨年にも書いたと思いますが、庭にくるスズメは、少しならいいけど、多すぎると困ると、池波正太郎が何かの本で書いていました。元は、池波氏の師匠にあたる長谷川伸が言ったことだそうです。その話をまた思い出しています。
 
最初のころ、消費者金融は、銀行からお金を借りれずに資金繰りに窮した人にとっては、非常にありがたい存在だったはずです。金利は銀行より高いけど、土地を担保に入れたり、親族を保証人に立てたりせず、簡単な審査で現金を手にすることができた。
 
そして世の中、借金を踏み倒す人より、きちんと返済する人のほうが圧倒的に多いのですから、高金利で返済を受ければ、消費者金融も儲かることになる。
 
そうすると、同業他社がたくさん出て、多くの人にどんどんお金を貸そうとするようになる。テレビCMを流したり、パチンコ屋の近くに無人の貸付機を置いたりといった光景が見られるようになった。
 
こうして、安易に借りてみたけど、金利が高すぎて返せなくなった、という人が増え始める。そうなれば、消費者金融も厳しい取立てを行なわざるを得ない。
 
取立てに困った利用者は、弁護士に相談に行くことになります。
弁護士は当然、利息制限法では上限金利は15~20%であることを知っている。消費者金融は40%くらい取っているから、取りすぎた利息は返せと裁判を起こす。
そして最高裁は、それを認めます。「払いすぎた利息は返してもらえる」という判例が定着する。
 
私が弁護士をやり始めた当初は、過払い金の計算をして、返せと書面を送るだけで、すぐお金が返ってきた。その1~2割は弁護報酬としていただくわけで、「こんなラクな仕事で報酬もらっていいのかな」と思いました。
それでも、(偏見ですが)「サラ金を相手の仕事なんて」と、知人のツテなどで頼まれたときしか、その手の仕事を受けませんでした(今でも基本的にはそうです)。
 
ところが、経営感覚のある一部の弁護士は、これをビジネスとして大々的にやれば儲かる、と気づく。そうして、一部の大手法律事務所が、一時の消費者金融も顔負けのテレビCMを流し始め、過払い請求をする人が飛躍的に増えます。大手法律事務所は、かなり儲けたでしょう。
 
この手のCMが、「過払い金は返ってくる」という、以前はごく一部の人しか知らなかった知識を広め、多重債務に苦しむ多くの人を解放したという功績は否定できません。
 
それでも今度は、消費者金融側が返済に応じる資力をなくし、弱小業者はどんどん潰れていった。そして今回、最大手の武富士も破綻、ということになりました。
 
会社更生手続きの中で、武富士が返済すべき過払い金は大幅にカットされるでしょう。そうなれば、弁護報酬も同じだけカットされる。他の大手消費者金融が同じ手続きを取れば、過払い金で弁護報酬を儲けるビジネスは、一気に消滅するでしょう。
 
庭にくるスズメが多すぎるとなぜ困るのか、ハッキリとは書かれていないのですが、長谷川伸は「人間の世の中にも同じような部分がある」と言ったそうです。どんな存在でも、最初はありがたくても、多くなりすぎると、駆逐されたり自滅したりするということでしょうか。
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パリス・ヒルトンとかいう外人さんが、日本に入国しようとしたら、アメリカで麻薬所持罪で執行猶予中とのことで、日本で入国許可がおりず、お帰りになったというニュースを聞きました。

海外ではセレブとか言ってもてはやされて好き放題やっているようですが、血統の古さや由緒正しさで言えば、日本の天皇家には遠く及ばないわけでして、そんな話は抜きにしても、日本の法律は誰にでも公平に適用されるという好例を作ったわけです。

と思っていたら、尖閣諸島に不法侵入した中国人を、政府は処分保留のまま釈放してしまいました。仙谷官房長官は、那覇地検の判断だ、と言っていますが、ありえない話です。

那覇地検の人は、記者会見で、「日中関係を考慮して」釈放したと言いましたが、検察官(同じ法曹である裁判官、弁護士も同様)は純粋に法律の解釈・適用を行うべきであって、政治的判断をそこに絡めてはいけないのです。

もし本当に一地検の検事という小役人が、本来の職務を全うせずに勝手に政治判断して事件を打ち切りにしたとなれば、これは郵便不正事件での証拠捏造疑惑に匹敵する問題であり、検事総長、法務大臣、さらには行政のトップである菅総理大臣は、その担当者を事情聴取するなどしなければいけないが、そのような動きは全くない。

日本の法律は、外国から圧力をかければ、政治判断でいかようにも捩じ曲げられるという、取り返しのつかない前例を作ってしまったわけです。かくて今後も似たような事件が日本のどこかで起き続け、その度にわが国は、中国その他の近隣諸国に蹂躙されるでしょう。

今の政権は、「領土」への侵害に対して、それを排除するという職責を放棄しました。
そして、自国で起こった刑事事件を自国で裁くこともしなかった。「統治権」を放棄したに等しい。「国民」の生活が第一、と繰り返していた政党は、こうして、外国から国民生活が脅かされる事態を招きました。

「領土」「国民」「統治権」、この3つを国家の三要素と言う、と、たいていの憲法の教科書には一番最初に書いてあります。今の政権は、今回の事件で、その3つともを守ろうとしませんでした。

当ブログは市井の一弁護士が書いているに過ぎず、ここではあまり政治や外交の話は触れないつもりですので、この問題にこれ以上深く立ち入ることはしません。でも今回の事件と、この事態を招いた今の日本の支配者層の顔を忘れないでほしいと思います。

先日の参院選や民主党代表選では、雇用確保とか、行政の無駄を排除するとか、いわば当たり前の話ばかりが繰り返されていました。そういった国内のことは、誰がやっても大差はないでしょう。今後は、外国との接し方を良く考えて、国政の選択を行うべきです。

中国との関係が冷え込めば、日本はきっと、いっそう不景気になるでしょう。だから今回の釈放は、ことを荒立てないためには良かった、という判断をする人もいるかも知れない。一方で、景気がどうなろうが、国として筋を通さないと、という考え方もありうる。私はこちらの考えに与します。

この問題が、多くの人にとって、国のあり方を意識するきっかけになれば、不幸中の幸いとなるかも知れません。
厚生労働省の村木元局長に無罪判決が出たとか、日本振興銀行の破綻でペイオフが発動されたとか、うちの息子が児玉清の「アタックチャーンス!」の振付けをマネするようになったとか、注目のニュースが相次いでいますが、ひとまず前回の関連で、保護責任者遺棄致死のことを書きます。
 
「保護責任」が認められるかどうかは慎重に検討しないといけないと、押尾学の事件に関連して書きましたが、最近多い子供の虐待事件では、広く保護責任者遺棄致死罪が適用されています。
 
その理由は、親は子を守るという法的義務があるからです。民法820条に、親権者は子を監護する義務を負う(要約)と定められているのがその法的根拠です。
 
親子でもない他人の間で、保護責任が生じる典型的なケースは、交通事故です。これも明確に法的根拠があって、道路交通法72条で、交通事故を起こしたら負傷者を救護しなければならない(要約)と定められています。
 
押尾学の事件に関して検討すると、男性が、自分のいる部屋に遊びにきた女性に異変が生じたときに、助けてあげる義務(道義的な義務ではなく、「それを果たさないと刑務所に入れられる」という意味での、刑法上の法的義務)があるかどうかの問題であって、少なくとも、そんな法律はない。
 
法律がないにもかかわらず、そういった法的義務を課せられるのは、親子ほどの強い結びつきがあるとか、車でひいてしまったほどのひどいことをしてしまった場合に限られると言っていいでしょう。
 
以下は週末の夜の雑談です。押尾学の事件とは男女が逆になりますが、私が大好きな映画俳優にして武道家のブルース・リーが死んだ事件も、少し似たような部分があります。
 
ブルース・リーは、世界にカンフー映画ブームを巻き起こした映画「燃えよドラゴン」が世界で公開される直前だった1973年(昭和48年)7月、愛人の女優、ベティ・ティンペイの自宅で倒れ、そのまま亡くなります。
 
その経緯は、ブルース・リーがベティの部屋で頭痛を起こし、ベティが頭痛薬を渡したところ、それを服用した直後に発作を起こして死んでしまったとのことです。ベティはすぐには救急車を呼ばず、映画会社の社長(ゴールデン・ハーベスト社のレイモンド・チョウ氏)を呼び、その社長が救急車を呼びました(検死の結果、ブルース・リーはすでに脳腫瘍を起こしていたと言われていますが、詳細は省略)。
 
日本と香港では法律が違うでしょうが、ベティは罪に問われたわけではありません。ブルース・リーのファンからさんざん非難されたはずですが、ベティを刑罰に処せよという話までは当時なかったはずです。
 
まさにそのあたりが、保護責任を問う難しさなのだと思います。一緒にいた人が急に容態急変したとして、その法的責任を問われるべきか否かということが。
 
保護責任者遺棄致死のことを掘り下げようとして、私の趣味でブルース・リーの話になってしまいましたが、引き続き、子供の虐待と保護責任の話について書く予定です。
和歌山地検で検事が刺され、司法修習生が取り押さえたという事件がありました。奇しくも司法修習生のことをあれこれ書いていたところですが、こういう事件に接するとは、司法修習生も命がけです。
 
今回は別にその事件に触れようとしているわけではなく、もう一つだけ付け加えたいことがあって「補遺」として書きます。
 
私は司法修習生時代、多くの貴重な経験をさせてもらいましたが、さらにありがたいことに、その間、給料をもらっていました。司法修習生は公務員に準じた扱いを受け、給料をもらえるのです。その財源はもちろん国庫、つまり国民の税金です。額は手取りで月16万円程度であったかと記憶しています。
 
少し話がそれて、こないだの参院選の後、数日間のみ議員をやっただけで1か月分の給料が払われたことが批判されましたが、私たち司法修習生も、4月8日ころに修習が始まって、4月15日には給料日があり、まる1か月分の給料をもらいました。
 
「いいのかな?」と思いましたが、ついこの前までは「司法浪人」であって収入もなかったところに、修習のため書籍をたくさん買わなければならないので、非常にありがたかったです。だから私は、数日のお勤めで1か月の給料をもらった議員を批判する気にはなれません。
 
このように司法修習生は、かなり恵まれた状況で勉強に励むことができます。
だから私は、いまこうして弁護士をやれているのは、国(すなわち全国民)に育ててもらったおかげだと思っています。私だけでなく、司法修習を経て法曹になった人は皆、思っているはずです。
 
だから法曹は皆、世の中に対して、何らかの形で恩返ししようと考えています。
裁判官と検察官は国家公務員として国から給料をもらい続けるので当然ですが、国から給料を1円ももらわない私たち弁護士でも、司法修習時代の恩義を決して忘れません。
 
弁護士が、国選弁護や地方自治体での法律相談などを安い報酬で引き受けたり、本当にお金がない人なら赤字覚悟で依頼を受けたりするのも、そのためです。
 
しかし近年、経費削減の波はここにも押し寄せ、今後、司法修習生の給料は「貸与制」にされようとしています。つまり、もらった分は後で国に返さないといけなくなる。
 
かくてこれからは、法科大学院(ロースクール)を出るまでに学費を借金し、司法修習生時代の給料も借金となり、弁護士になるまでに多額の負債を抱える人が増えるでしょう。
 
世の中に恩返しするために働くのと、自分の借金を返すために働くのと。弁護士の意識の違いは、その仕事ぶりにどのような影響を及ぼすのか、私にはわかりません。ただ、心に余裕がない弁護士は、問題を抱える依頼者に余裕を持って接することもできないように思えます。
 
私自身の恵まれた司法修習時代を半ば懐かしみながら書いてきましたが、近年の「司法改革」が、余裕のない弁護士を生み出すことにつながるのを少し懸念して、補遺を終えます。

シリーズ4話目(いちおうラスト)。このシリーズは、海上保安庁のヘリコプターが、司法修習生の乗った巡視艇の近くをデモ飛行した直後に墜落した、というニュースをきっかけに書き始めています。

私も同じ研修を受けたかというと、確かに検察修習の時期に、海上保安庁の巡視艇に乗って、しばし航行した経験があります。

ただ、私のときは、艦上にヘリコプターが止まっていて、私たちが見ている前でプロペラが旋回を始め、いつ飛び立つかと見ていると、飛ばないままプロペラが止まってしまい、「え、これで終わり?」と拍子抜けしました。

司法修習時代の経験はすべて大きな意味があると、いくつか例に挙げて書きましたが、正直なところ、海上保安庁の船とヘリコプターを見る意味は、当時はいま一つよくわかりませんでした。「船に乗って気持ち良かった」という程度でした。

しかし今回、ヘリコプターが墜落して何人か亡くなったというニュースに接して、私の考え方も変わりました。

すなわち、このように日々、体を張って海に出ている人がいるということです。海上保安庁の現場の人たちは、文字どおり命がけで、与えられた職務をこなしており、そういう人々のおかげで、海上の保安や、自国の安全が守られているという現実があるのです。

海上保安庁のエライ方々は、事故をすぐ公表しなかった理由として、司法修習生らが心理的負担に思うのを懸念した、と説明したそうですが、後から考えた言い訳であるに違いありません。

私もここで書いてきたように、実地研修においては、いろんな現実を見せられます。こんな現実を前に、自分は将来、法律を武器にして一体何ができるんだろうと、考えさせられ続けます。

今回の事件でも、巡視艇に乗っていた司法修習生たちには、きっと何か心に感じることがあったはずです。事故が起こったことで精神的に参ってダメになってしまうようなら、到底、法曹は務まりません。

彼ら司法修習生は、亡くなった海上保安庁の人たちのことを胸に刻んで、法曹となるでしょう。そして国家の安全や、人の命といった問題について、彼らは法律家として、よりいっそう真摯に取り組んでいくでしょう。

かつて海上保安庁の巡視艇に「物見遊山」の気持ちで乗っていた私は、今回の事件で少し反省しました。司法修習の各研修は、このようにすべて意味があります。司法修習生を引き合いに出して事故を隠そうとしたエライ方の意図は理解しかねますが、亡くなった現場の方々には改めて敬意と追悼の念を表したいと思います。

今回のヘリコプター事故に関して、以上のようなことを思っていました。
なおタイトルはもちろん、外国小説の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」のパクリですが、内容に関連は全くありません。

シリーズ3話目で、検察庁での修習の話を書こうとしています。
 
検察庁では、非常に多くの興味ある経験をさせてもらえました。
たとえば、パトカーに乗せてもらうとか、刑事さんのパトロールに同行するとかいう研修もありました。これは何の勉強かと言われると、おそらく、これまでは刑事訴訟法の教科書の中で文字として読んだだけであった「捜査」の現場を見せるためでしょう。
 
それから、監察医の死体解剖に立ち会うという研修もあり、これなどは、最後まで正視できない人は検察官や裁判官になれないと言われています。私は最後まで立ち会い、その点の資質は問題なかったようなのですが、公務員になるほどの協調性がなかったために検察官や裁判官へのお声がかからなかったのは、前々回に書いたとおりです。
 
私が検察修習のころで最も記憶に残っているのは、現職の刑事の話です。
大阪地検の会議室に、私たち司法修習生のグループ20名ほどが集められ、大阪府警で殺人事件の捜査を担当している刑事から、捜査現場の話を聞かせてもらえることになりました。
 
その刑事は私たちに、様々な「死体写真」を見せてくれました。もちろん、捜査資料から抜粋したものですから、いずれも「他殺体」です。どんな写真だったかは逐一書きませんが、特に悲惨だったのは、バラバラ殺人の被害者となって切り刻まれ、ポリ袋に入れて放置された女性の写真でした。
 
私はそれらの写真を、すべて手にとってしっかり見ました。でも苦手な人は、目をそむけるか、目をつむるかしていました。
 
死体解剖といい、こういった事件写真の閲覧といい、これらは決して、タチの悪い「度胸試し」の意味で行なわれているわけではありません。
 
この写真を持ってきた刑事は、私たち司法修習生にこんな話をしました。
「このように死体には必ず、犯人が使った凶器の痕が残っています。殺されて死体になった人たちは、自分の体にその痕跡を残すことで、どうか犯人を捕まえてくださいと、叫び続けているんです。私たちはその叫びに答えて、犯人を捕まえるために、日々死体と向き合っているんです」
 
この刑事の話を聞いて、理不尽な犯罪に怒りを覚えない司法修習生はいないでしょう。
このとき一緒に話を聞いた同期生たちは、ある者は検察官になって容疑者を訴追し、ある者は裁判官となって刑罰を言い渡し、ある者は私のように弁護士になって、容疑者の言い分を聞いたり、被害者に弁償を行ったりしていします。
 
弁護士といえば、とにかく容疑者のやったことを言いくるめてその罪を軽くする役割をすると思われている部分もありますが、出発点は同じなのです。
 
裁判官、検察官、弁護士のいずれであれ、起こった事件は自分の目でしっかりと見て、事件の解決や被害の回復のために何をすればよいかを考えます。そして、日本国憲法や刑事訴訟法がそれぞれに課している役割に応じて、アプローチの仕方が違うというだけであり、犯罪自体に対する素朴な怒りというのは、どの立場でも変わりはありません。
 
司法修習時代に見せられる様々な現実は、このように、以後いずれの仕事に就くにせよ、職務を果たすに際しての根本をなす原体験となることが多いのです。
 
そして次回はようやく、巡視艇とヘリコプターの話の予定です。
 
前回に引き続き、司法修習時代のことを書こうとしています。
 
ソフトボール大会に始まって、3か月間の研修所での授業を受けた司法修習生たちは、全国に散らばって、法律事務所、裁判所、検察庁に置いてもらって、実地研修を受けます。
 
私が置いてもらった大阪市内の法律事務所は、所長が年配であったためか依頼者も相応に高齢の方が多く、そういった方々から私は「書生さん」と呼ばれていて、悪くない響きだなと思っておりました。
 
大阪地方裁判所の民事部にいたころは、法廷で裁判官の横に座ったり、裁判官室で裁判記録を読んだりする日々が続くのですが、時には「現場」に行くこともあります。
最も印象深かったのは、執行官と一緒に強制執行に立ち会ったことです。
 
朝、その日の予定を執行官に尋ねると、携帯電話の通話料を滞納し、裁判で支払いを命じられたのに応じない人がたくさんいるので、その人たちの自宅を回って、所有物を差し押さえるというのです。「動産差し押さえ」という手続きです。
 
執行官が地図を片手に、大阪某所、曲がりくねった路地の奥にある細い階段を上がった先の、債務者の自宅を探り当てて入っていきました。私も一緒に入ります。
 
屋根裏部屋のような、天井の低い、狭い家に、比較的若いその債務者はいました。当然、金目のものがあるわけではないので、執行官はやむなく、古びたステレオなどに「差押」のシールを貼っていました。
 
部屋を見回すと、その片隅の、いっそう天井も低く暗くなった一画で、債務者の父なのか祖父なのか、年老いた男性が薄汚れたせんべいのような布団で寝ているのに気づきました。
 
この家の急な階段を降りながら、この人たちはここでどんな生活をしているのだろう、と思いました。まだ「格差社会」という言葉が一般的でなかったころで、私は「貧富の差」という言葉を思い浮かべていました。
 
私の生家は、決して裕福ではなかったですが貧しくはなく、だからこそ、大学を卒業していったん社会に出た私が、やはり弁護士になりたいと言って勉強をやり直すという我がままも許されました。
 
この執行官とは、債務者の自宅を何軒か回ったのですが、だいたいどこも同じような状況で、貧富の差というものを、観念としてではなく目の前の現実として見たことに、私は少し衝撃を受けました。
 
法律家の仕事は、現実の問題に法律をあてはめて、それを解決するというところにあります。その前提として、社会の諸相を、様々なナマの現実を、自分の目で見させるというのが、司法修習の重要な目的の一つなのだと思います。
 
さて、瀬戸内海でのヘリ墜落事故は、司法修習生が検察庁での研修中に起こっているのですが、次回はこの検察修習のころの話を書くつもりです。
南堀江の幼児放置事件ももう少し書きたいと思いつつ、弁護士との相談で最大の成果を得る方法もシリーズとしてまだ続けたいと思いつつ、私ごとながら自宅の引越しなどがあって慌ただしく、思うように時間が取れません。

ここ1週間で興味を持った事件は、瀬戸内海で海上保安庁のヘリコプターが墜落して乗組員が死亡した事件です。海上保安庁が事故を隠蔽しようとしたことが報道されており、亡くなられた方のことを思えば、これはこれで大問題だと思います。

もっとも、私にとって興味深いのは、事故を公表しなかった理由の一つとして、このヘリコプターは司法修習生たちが乗った海上保安庁の巡視艇の近くをデモ飛行した直後に墜落しており、見学をした司法修習生に動揺を与えないよう配慮した、という説明がされていることです。

司法修習生とは、ご存じのとおり、司法試験に合格した後の研修を受けている、法曹(弁護士、裁判官、検察官)のタマゴと言われる人たちです。もちろん私もかつてはそういう身分でした。約10年前のことです。

法律家になる研修を受けている司法修習生たちが、なぜ巡視艇に乗ったりヘリコプターのデモ飛行を見たりするのか、そのあたりについて、いくつかお話ししたいと思います。

司法修習生は、裁判所や検察庁などで実地研修をするのですが、その前に、埼玉にある司法研修所という寮つきの学校に3か月ほど入れられて、教官の講義を受けます。

その司法研修所での最初の行事は何かというと、「ソフトボール大会」です。

勉強するための施設に入って、なぜいきなりソフトボールかと言いますと、「これまで司法試験の勉強ばかりしていたので、まずは頭をほぐしてやるため」と善意の解釈をする人もいますが、実際のところは、「ソフトボールをさせて、チームプレイの中での行動を通じて、その人の資質を見るため」でしょう。

人格円満で、見識・能力が優れた人は、裁判官や検察官に登用して、国の司法界や検察行政の将来を担わせる、司法研修所はそういう人材発掘の場でもあります。ソフトボールをさせるのはおそらくその参考にするためです。

ちなみに、私はソフトボール大会でどうであったかと言いますと、もともと球技全般が苦手で嫌いだし、試合に出てもチームに迷惑をかけるだけだと思ったので、試合に参加せず、「応援団」を名乗ってグラウンドの外で、「フレー、フレー」と言っているだけでした(いちおう応援団は総勢3名いたので、私だけがそう考えたわけではない)。

おそらくその時点で、「こいつは協調性や積極性がない」と教官に思われたのか、1年半の司法修習を通じて、教官から「裁判官(または検察官)にならないか」と声をかけられたことは、一度もありませんでした。

と、雑談になってしまいましたが、司法修習生たちの行事とその意味について、何度かに分けてシリーズで書くつもりです。

(なお上記は、私の時代をもとに書いていますが、現在は経費削減などのため、いきなり実地研修に入れられ、ソフトボール大会は行われていないようです)
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