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海外ではセレブとか言ってもてはやされて好き放題やっているようですが、血統の古さや由緒正しさで言えば、日本の天皇家には遠く及ばないわけでして、そんな話は抜きにしても、日本の法律は誰にでも公平に適用されるという好例を作ったわけです。
と思っていたら、尖閣諸島に不法侵入した中国人を、政府は処分保留のまま釈放してしまいました。仙谷官房長官は、那覇地検の判断だ、と言っていますが、ありえない話です。
那覇地検の人は、記者会見で、「日中関係を考慮して」釈放したと言いましたが、検察官(同じ法曹である裁判官、弁護士も同様)は純粋に法律の解釈・適用を行うべきであって、政治的判断をそこに絡めてはいけないのです。
もし本当に一地検の検事という小役人が、本来の職務を全うせずに勝手に政治判断して事件を打ち切りにしたとなれば、これは郵便不正事件での証拠捏造疑惑に匹敵する問題であり、検事総長、法務大臣、さらには行政のトップである菅総理大臣は、その担当者を事情聴取するなどしなければいけないが、そのような動きは全くない。
日本の法律は、外国から圧力をかければ、政治判断でいかようにも捩じ曲げられるという、取り返しのつかない前例を作ってしまったわけです。かくて今後も似たような事件が日本のどこかで起き続け、その度にわが国は、中国その他の近隣諸国に蹂躙されるでしょう。
今の政権は、「領土」への侵害に対して、それを排除するという職責を放棄しました。
そして、自国で起こった刑事事件を自国で裁くこともしなかった。「統治権」を放棄したに等しい。「国民」の生活が第一、と繰り返していた政党は、こうして、外国から国民生活が脅かされる事態を招きました。
「領土」「国民」「統治権」、この3つを国家の三要素と言う、と、たいていの憲法の教科書には一番最初に書いてあります。今の政権は、今回の事件で、その3つともを守ろうとしませんでした。
当ブログは市井の一弁護士が書いているに過ぎず、ここではあまり政治や外交の話は触れないつもりですので、この問題にこれ以上深く立ち入ることはしません。でも今回の事件と、この事態を招いた今の日本の支配者層の顔を忘れないでほしいと思います。
先日の参院選や民主党代表選では、雇用確保とか、行政の無駄を排除するとか、いわば当たり前の話ばかりが繰り返されていました。そういった国内のことは、誰がやっても大差はないでしょう。今後は、外国との接し方を良く考えて、国政の選択を行うべきです。
中国との関係が冷え込めば、日本はきっと、いっそう不景気になるでしょう。だから今回の釈放は、ことを荒立てないためには良かった、という判断をする人もいるかも知れない。一方で、景気がどうなろうが、国として筋を通さないと、という考え方もありうる。私はこちらの考えに与します。
この問題が、多くの人にとって、国のあり方を意識するきっかけになれば、不幸中の幸いとなるかも知れません。
シリーズ4話目(いちおうラスト)。このシリーズは、海上保安庁のヘリコプターが、司法修習生の乗った巡視艇の近くをデモ飛行した直後に墜落した、というニュースをきっかけに書き始めています。
私も同じ研修を受けたかというと、確かに検察修習の時期に、海上保安庁の巡視艇に乗って、しばし航行した経験があります。
ただ、私のときは、艦上にヘリコプターが止まっていて、私たちが見ている前でプロペラが旋回を始め、いつ飛び立つかと見ていると、飛ばないままプロペラが止まってしまい、「え、これで終わり?」と拍子抜けしました。
司法修習時代の経験はすべて大きな意味があると、いくつか例に挙げて書きましたが、正直なところ、海上保安庁の船とヘリコプターを見る意味は、当時はいま一つよくわかりませんでした。「船に乗って気持ち良かった」という程度でした。
しかし今回、ヘリコプターが墜落して何人か亡くなったというニュースに接して、私の考え方も変わりました。
すなわち、このように日々、体を張って海に出ている人がいるということです。海上保安庁の現場の人たちは、文字どおり命がけで、与えられた職務をこなしており、そういう人々のおかげで、海上の保安や、自国の安全が守られているという現実があるのです。
海上保安庁のエライ方々は、事故をすぐ公表しなかった理由として、司法修習生らが心理的負担に思うのを懸念した、と説明したそうですが、後から考えた言い訳であるに違いありません。
私もここで書いてきたように、実地研修においては、いろんな現実を見せられます。こんな現実を前に、自分は将来、法律を武器にして一体何ができるんだろうと、考えさせられ続けます。
今回の事件でも、巡視艇に乗っていた司法修習生たちには、きっと何か心に感じることがあったはずです。事故が起こったことで精神的に参ってダメになってしまうようなら、到底、法曹は務まりません。
彼ら司法修習生は、亡くなった海上保安庁の人たちのことを胸に刻んで、法曹となるでしょう。そして国家の安全や、人の命といった問題について、彼らは法律家として、よりいっそう真摯に取り組んでいくでしょう。
かつて海上保安庁の巡視艇に「物見遊山」の気持ちで乗っていた私は、今回の事件で少し反省しました。司法修習の各研修は、このようにすべて意味があります。司法修習生を引き合いに出して事故を隠そうとしたエライ方の意図は理解しかねますが、亡くなった現場の方々には改めて敬意と追悼の念を表したいと思います。
今回のヘリコプター事故に関して、以上のようなことを思っていました。
ここ1週間で興味を持った事件は、瀬戸内海で海上保安庁のヘリコプターが墜落して乗組員が死亡した事件です。海上保安庁が事故を隠蔽しようとしたことが報道されており、亡くなられた方のことを思えば、これはこれで大問題だと思います。
もっとも、私にとって興味深いのは、事故を公表しなかった理由の一つとして、このヘリコプターは司法修習生たちが乗った海上保安庁の巡視艇の近くをデモ飛行した直後に墜落しており、見学をした司法修習生に動揺を与えないよう配慮した、という説明がされていることです。
司法修習生とは、ご存じのとおり、司法試験に合格した後の研修を受けている、法曹(弁護士、裁判官、検察官)のタマゴと言われる人たちです。もちろん私もかつてはそういう身分でした。約10年前のことです。
法律家になる研修を受けている司法修習生たちが、なぜ巡視艇に乗ったりヘリコプターのデモ飛行を見たりするのか、そのあたりについて、いくつかお話ししたいと思います。
司法修習生は、裁判所や検察庁などで実地研修をするのですが、その前に、埼玉にある司法研修所という寮つきの学校に3か月ほど入れられて、教官の講義を受けます。
その司法研修所での最初の行事は何かというと、「ソフトボール大会」です。
勉強するための施設に入って、なぜいきなりソフトボールかと言いますと、「これまで司法試験の勉強ばかりしていたので、まずは頭をほぐしてやるため」と善意の解釈をする人もいますが、実際のところは、「ソフトボールをさせて、チームプレイの中での行動を通じて、その人の資質を見るため」でしょう。
人格円満で、見識・能力が優れた人は、裁判官や検察官に登用して、国の司法界や検察行政の将来を担わせる、司法研修所はそういう人材発掘の場でもあります。ソフトボールをさせるのはおそらくその参考にするためです。
ちなみに、私はソフトボール大会でどうであったかと言いますと、もともと球技全般が苦手で嫌いだし、試合に出てもチームに迷惑をかけるだけだと思ったので、試合に参加せず、「応援団」を名乗ってグラウンドの外で、「フレー、フレー」と言っているだけでした(いちおう応援団は総勢3名いたので、私だけがそう考えたわけではない)。
おそらくその時点で、「こいつは協調性や積極性がない」と教官に思われたのか、1年半の司法修習を通じて、教官から「裁判官(または検察官)にならないか」と声をかけられたことは、一度もありませんでした。
と、雑談になってしまいましたが、司法修習生たちの行事とその意味について、何度かに分けてシリーズで書くつもりです。
(なお上記は、私の時代をもとに書いていますが、現在は経費削減などのため、いきなり実地研修に入れられ、ソフトボール大会は行われていないようです)