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大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 
昨年末は慌ただしく過ごしていて、ブログに「今年の総括」的な文章を書くこともできませんでした。
その年末にテレビを見ていてようやく気付いたのですが、昨年は西暦では2009年で、「00年代」という10年間の区切りの1年だったのですね。私は普段、西暦をあまり使わないので、全くそういう意識を持っていませんでした。
 
皆さんは過去10年をどう回想され、そしてあらたな2010年代に向けて、いかなる思いをはせておられるでしょうか。
 
私の弁護士登録は平成12年、西暦では2000年なので、私にとって「00年代」は、私の弁護士としての歩みそのものということになります。
その間、弁護士としての独立開業や、私生活では結婚に第一子誕生と、この10年は私の人生の中でも重大なイベントが多かったです。
 
本業においては、さして自慢すべきほどの働きをしてきたわけでもありません。
それでも10年間(正確には現時点で9年と2か月)、何とかかんとかやっておりますと、今では事務所に持ちかけられる相談のうち9割8分は、すでに似たような事件をやったことがあって、自信を持って当たれることが増えてきました。
 
今後の10年間は、この経験をより深化させて、より迅速で適切な事件処理ができるように心がけたいと思います。
 
なお当事務所では、今年2月をめどに、新人弁護士が入所予定です。
仕事をさぼってブログを書いている所長の私よりも、活躍してくれるものと期待しております。これをきっかけとして、事務所での業務を質量ともに高めていければと思います。
 
ということで、今年もよろしくお願いします。
 
明日以降、新たに書くほどの事件がなくて、かつブログ更新する暇があれば、私なりのこの10年間の総括でも書いてみようと思っています。
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ネットニュースで見たのですが、東京で「弁護士バー」というのが開業されようとしているそうです。
 
若手の弁護士がバーテンダーとなって接客し、客の相談にも乗るとか。訴訟など実際に事件として扱う場合は、別途その弁護士の事務所で正式に委任することになるようですが、顧客の間口を広げるきっかけにはなるでしょう。
もっとも、東京の弁護士会は、望ましくないものとして開業を取りやめるよう働きかけているらしい。
 
若手弁護士にとっては、依頼者獲得のきっかけになるし、利用者にとっても気軽に相談しやすい。でも旧態依然たる弁護士会が圧力をかけている、かのように見えます。
 
私自身、バーでお酒を飲むことは大好きです。でも、「弁護士バー」、私は反対です。
 
まず、バーでお酒を作ったり接客したりするのは、一つのプロの仕事です。
弁護士の肩書きがあるだけで、さしたる修業もせずバーテンダーをやるのは、きちんとバーをやっている人に対して失礼だと思っています。
 
もっと大きな理由は、「酒場で請けおう相談ごとにはロクなものがない」ということです。
 
私自身、独身時代は、仕事のあとに一晩に5軒ほどバーをハシゴすることもザラでした。なじみの店では、店主や常連に私の職業が分かっていることがあります。
そんなとき、居合わせた人から「ちょっと聞いてほしい」と相談を持ちかけられることもありましたが、そういう場合の相談は、「痴話ゲンカに過ぎず、法的にはどうしようもない」ケースであるのが大半です。
 
たまに、法的トラブルと言えるものもありますが、その場合は、「解決のためには相応の手間と費用が必要だけど、当事者はそこまでの覚悟がない」というケースばかりです。
酒場での相談ごとは、以上2つのケースに大別できます。
 
法律相談の間口を広くしたい、これは私も同感ですが、トラブルを解決するためには相応の覚悟が必要です。ちょっと酒でも飲みながら相談を、という程度の気持ちの人から依頼を受けて、果たして最後まで責任を持って事件を処理できるのか、極めて疑問です。
私自身、酒場の相談の延長で依頼を受けてしまい、依頼者が途中で所在不明になったとか、所定の費用や報酬を払ってもらえなかったという経験が何度かあるのです。
 
「そこまで深刻な相談でなくても、ちょっと話を聞いてもらえるだけでも、弁護士バーの存在意義はあるんです」と考える方もおられるだろうけど、それなら、キャバクラでキャバ嬢相手に愚痴っていたほうがまだ健全な気がする。
 
弁護士バーは、お酒も接客も中途半端、法律相談するには場としてふさわしくない、そういう意味で、バー好きの弁護士としては疑問に思っています。
弁護士の仕事の一つとして、市役所や弁護士会での相談窓口で相談を受け付ける、というものがあります。私も年に何回かその相談当番の日があります。
 
最近、相談窓口にいて実感するのは、「過払い」の返還請求の相談が増えたということです。サラ金業者に多く返し過ぎた利息を取り返すという、最近テレビや新聞でよく広告を見かける、あれです。
 
一昔前は、「過払い」なんて私たちの世界だけの業界用語でした。一昔前なら、借金の負担を抱えた相談者がやってきたら、
「返しすぎた利息は、取り戻せることがあるんですよぉ~」「ええっ、本当ですかぁ?」「はいっ、本当ですっ」
などと、テレビのCMみたいな会話が繰り広げられていました(まあ、答えているこちらはオペレーターのきれいなお姉さんではなくて、オッサンの弁護士ですけど)。
 
今では、相談者のほうから「『過払い』の件なんですけど」と普通に持ちかけてくることが多いです。
 
このように、過払い金の返還請求が非常に増えた結果、中小のサラ金業者はどんどん潰れており、大手でも危ういところもあるようです。
 
実際、2、3年ほど前なら、弁護士がサラ金業者に過払い金の返還請求をすると、法律で決まっている以上は素直に返してくることが多かったのですが、最近は、金額を大幅に値切ってきたり、支払いを数か月先にしてくれと言ってきたりするのがほとんどです。
対応が遅いため裁判を起こして請求することもザラにあります。
 
一部の弁護士や司法書士が派手に宣伝してくれたおかげで、宣伝していないウチの事務所にも依頼者が来てくれる、という話を以前も書きましたが、全国的にあまりにそういう依頼が増えすぎて、解決までに手間と時間がかかる事態になっているようです。
さらにサラ金業者が倒産してしまえば、過払い金の回収もほとんど不可能になるでしょう。
 
庭に飛んでくるスズメは、少しなら赴きがあるが、増えすぎるとやっかいである。人の世の中にも、似たようなところがある。
そういった趣旨の話を、たしか池波正太郎のエッセイの中で読んだ記憶があります。
 
過払い金の返還請求をするときに、その話をいつも思い出して、ちょっとした矛盾のようなものを感じたりもします。
しかしその矛盾を生じさせた理由は、元はと言えばサラ金業者の高すぎる利息にあるわけで、私としては今後も依頼がある以上は、その返還請求にいそしむことになるでしょう。

先日、週末に妻と子と散歩がてら近所の商店街まで行ったとき、近くの病院に子連れの母親で人だかりができているのを見ました。ちょうど新型インフルエンザのワクチンの優先接種が開始された時期でした。

 
私ごとの話が続きますが、うちの息子はあと1か月で1歳になります。
予防接種の類は、役所で勧められた最低限のものだけにして、インフルエンザの予防接種は受けていません。どうしようか考えているうちに時期を逸した、というのが実情ですが、それだけでなく、効果のほどに疑問を感じているのが大きな理由です。
 
予防接種をしても感染を必ず防げるわけではなく、聞いたところでは、「感染した際の重症化の可能性を低める」ということでしかない。
とすれば、子供の食事や睡眠などの健康管理をきちんとするといった、当たり前のことを続けるのと、効果の面で大した差はないはずです(子供の健康管理はもっぱら妻に任せてしまっていますが)。
 
それだけではなく、薬や注射というものには、副作用がつきまといます。
憲法や行政法の教科書にはたいてい、予防接種を受けた子供に死亡や後遺症などの重篤な副作用が生じ、国が補償金を出した、という判例が紹介されています。

一説には、予防接種による副作用は、どんなに注意しても一定数は必ず生じてしまうもので、「悪魔のくじ引き」とも言われていると、何かで読んだ記憶があります。
現に最近、接種を受けた高齢者が何人か死んだとか、外国製のワクチンで副作用の報告が出たとかいう報道に接しました。
 
このように、感染を確実に防げるわけでもないし、却って一定の確率で副作用が生じるというのであれば、接種を受けない、というのも合理的な選択であるように思えます。
 
さて、うちの子の予防接種の話を長々続けてしまいましたが、それは本題でなく、ワクチンに群がる人たちの心理が、ちょっと理解しがたいということを言いたかったのです。
 
「健康」とか「幸福」といった目的の実現のためには、いくつもの方法が存在しえて、そのいずれにもメリット・デメリットがある。私たちは、自分でそれを考えて、いかなる方法を取るかを決めないといけないのだと思います。
 
インフルエンザの予防という目的のためには、予防接種が唯一で絶対の方法ではなく、むしろ副作用などのデメリットもある。その良し悪しを考えて、接種するか否かを判断し、その結果に責任を持つ。
予防接種をしないせいで子供が重いインフルエンザにかかるかも知れないし、接種したせいで副作用が生じるかも知れない。でもその結果は親が受け止めないといけない。

ただ単にワクチンに群がるのは、一種の思考停止であるように思えます。
 
同じことは、最近の「これをやれば頭が良くなる」といった脳科学ブームや、少し前の話なら「納豆でやせる」というガセ情報で納豆が品薄になってしまった、という話にも言えます。
一定の情報にすぐ乗せられてしまうのは、誰かが情報操作をしようと意図した際に、非常に危険な事態になりうると思うのです。
岡田外相が、アフガニスタンを訪問しました(と、珍しく外交の話も書いてみようと思います)。

向こうの大統領と何を話したかというと、今後の支援についてです。
これまで日本は、アフガンに対する支援として、「海上自衛隊による海外給油活動」を行ってきました。鳩山政権はこれをヤメにすると言うので、それに代わる支援のあり方を協議したのです。

海上自衛隊はそもそも海外で何をしているのかというと、インド洋あたりで、アフガンやパキスタン(地図でいうと、たぶんインド洋の左上くらいにある)に向かうアメリカやイギリスなど多国籍軍の船に対して、燃料を供給しているのです。

アメリカやイギリスの船が何をしにインド洋を渡っているかというと、たぶん、アフガンにいるタリバンの残党と戦いに行くのです(今回よく知らない分野なので、「たぶん」が多くてすみません)。
タリバンと言えば、8年前にアメリカで同時多発テロを起こしたとされる、やっかいな人たちです。

日本の自衛隊は憲法上、海外での軍事行動ができないとされているので(解釈上、争いはありますが省略)、せめて燃料補給で協力しようというわけです。
一部雑誌や新聞で読んだ受け売りですが、この支援が、アフガンに向かう外国の人たちには、かなり好評なのだそうです。たしかに、海の上を進行している船に、その状態を保ったまま、給油を行うのは、考えてみればすごい技術です。

自動車を運転している人が、ガソリンスタンドに連絡して「ちょっと急いでいるので、走った状態のままガソリン入れてもらえませんか?」とお願いしたところで、きっと断られます。海上でそれをやるわけですから、先を急ぐ外国艦隊の人にも喜ばれるでしょう。

それをやめるのだそうです。それは多国籍軍や、その救援を待っているアフガンやパキスタンの人たちにとって、不安なことでしょう。逆にタリバンにとっては、補給の要路が断たれたということで、喜ばしいことです。果たしてそれで良いのか。

自衛隊は軍隊じゃないのだから、海外の活動などしなくて良いのだ、と言ってしまっていいかどうかには、大いに懸念があります。
やっかいな国や人は、地球上、タリバンに限りません。日本には近くに北朝鮮のようにミサイルをばんばん飛ばしている国があります。
そういう国が日本をおびやかすようなことをしてきたとき、外国に助けに来てくれと言ったとして、給油の手伝いすらやめてしまった国に、どこまで親身になってくれるのか。

給油はやめたいし、イザというときのために国際社会は頼みにしたい、となれば当然、次は「じゃ、カネだせ」ということになります。子ども手当の財源など吹き飛ぶくらいの支出になるでしょう。

結局、私はこれも「変えないほうがよい」ことだと思っています。

給油活動も、憲法の制約の中で日本は何ができるかということを、国内のいろんな考え方の人と妥協し、諸外国とも交渉しつつ行ってきた、ぎりぎりの国際協力なのです。
それを、「自衛隊は海外に出るべきでない」という理念だけでヤメてしまうと、これまでぎりぎりのところで成り立っていた様々なバランスが崩れてこないかと、心配しています。
前回、サントリーの話を書いていて思い出したのですが、大阪・天保山にある「サントリー・ミュージアム」が来年、閉館になるそうです。

私自身は2、3回ほどしか行ったことありませんが、たまに子供向けの展示もするので、子供が大きくなったら、天保山へ出かけて「海遊館」(水族館)とサントリーミュージアムを一緒に見ることもあるだろうと、ちょっと楽しみにしていたのですが。

閉館の理由は、「経費削減」だそうです。

サントリーは株式を上場していないから、一般株主に気を使わず赤字覚悟の事業でも平気でやってきたのですが、今後はキリンとの統合を控えて、一般企業なみの利益追求をしなければならなくなったのでしょうか。

このように、大昔なら一部の金持ちや篤志家と言われる人たちが、近年なら一部の企業が、文化や芸術に「投資」していたのですが、今後こういったことはなくなっていくのでしょう。
そうなると、文化・芸術を発表し保存する場を作るために、今後ある程度は国家が関わっていくことが期待される。

ということで、麻生政権のもとで構想されていた「国立メディア芸術総合センター」は、私は必要なものだと思っていました。
民主党は「国費でマンガ喫茶を作るのか」と批判していたので、建設は撤回されるでしょう(しかしこれ、マンガ喫茶に対する差別ではないかと思うのですが)。

と、いう話は前置きでして、
鳩山総理は、「無駄を徹底的に排して」国家の財源を確保すると言いました。
そのこと自体はもちろん正しいのですが、問題は、何が「無駄」であるかは人それぞれに思うところが異なるということです。

私自身は、「国立メディア芸術総合センター」は無駄ではなかったと思っています。
いま問題になっている「八ッ場ダム」の建設は、進めるべきか廃止すべきか、私にはわかりませんが、少なくとも「あんなのは無駄で、頑迷固陋な地元の人たちが駄々をこねているだけ」と言い切れる人は滅多にいないでしょう。

一方私は、実施が検討されている子供手当や、生活保護の母子加算の復活などは無駄なバラマキだと思っています。

結局、何が無駄であるのか、何を削って何を残すかということを決めるためには、多くの人々の利害の調整という、まさに政治的な、泥臭いことが(これまで自民党と官僚がやっていたようなことが)必要になってくるのです。

鳩山政権は、何が必要で何が無駄なのか、それを理由とともに明確に示す必要があります。
しかもそれを、官僚(役人)抜きで政治家主導でやるというのですが、八ッ場ダムの問題だけでモタモタしているようでは先が心配ではあります。
連休なので雑談。
ハイボール(ウイスキーのソーダ割り)のブームで、サントリーのウイスキーの売上げが伸びているそうです。

もともとはサントリーの、例の小雪さんが出てくるCM戦略などが功を奏した形ですが、同社だけでなく、ライバル会社であるはずのニッカの売上げも伸ばす結果となっているようです。

それでも、これをきっかけにウイスキーを飲む人が増えれば、業界全体の利益も持続的に上がるということで、業界各社にとって望ましいことでしょう。

同じような話は、私たちの業界にも起こっています。
今、テレビや新聞や電車内で、「過払い金」(サラ金に多く返しすぎた利息)を取り戻しますという法律事務所や法務事務所の広告を見ない日はないと思います。

(ちなみに「法務事務所」とは何かというと、司法書士や行政書士の事務所です。
弁護士法上、「法律事務所」は弁護士だけが名乗れるので、他の法律系の資格の方がこの名称を使っている。
それにしても「法務」という言葉がすでに「法律事務」を意味するので、「法務事務所」という言葉は「馬から落馬」と同じで重複していると思えるのですが)

夕刊のテレビ欄の下のスペースの大半が法律事務所と法務事務所の広告で埋まっていることもあり、私としては何となく気恥ずかしい思いになります。
それでもこの広告のおかげで、私の事務所にも「『過払い』やってますか?」という問合せが入ることが結構あります。

過払い金の返還請求は極めて単純な仕事で、弁護士ならまず誰でもできます。だから何も宣伝をしていなくても、他の事務所が派手に宣伝してくれているおかげで集客につながったという弁護士は多いと思います。

もっとも、ハイボールのブームと違うところは、
サラ金の利息はすでに規制され、近い将来「利息の返しすぎ」という問題もなくなるという点です。今後いつまでも伸びていく仕事ではないので、ここ数年の間、一部の事務所の間で、「過払い」の顧客の取り合いになることも予想されます。

かくて、今後もしばらくはその手の事務所の宣伝が派手に繰り広げられるでしょう。
サントリーの小雪のCMは毎日見ていても飽きませんが、「返し過ぎた利息は取り戻せますよ!」と毎日テレビから言われると、「借りてへんわ!」と言い返したくなります。

(ただどうせなら、宣伝に多額の費用をかける事務所より、ウチみたいな地味な事務所のほうが、安く依頼できますよ、と小声で宣伝)
最近やたらと、新聞一面の見出しにデカデカと「山内」の文字が載っているので、私(山内)は一瞬ぎょっとするのですが、よく見てみると「鳩山内閣」でした。

そんな話はどうでもよく、と言いながらも、どうでもいい話を続けようとしています。

前回、破産手続き中の人が民主党から国会議員になった話について触れましたが、ツッコミ所の多さでは、同じく民主党の比例当選の田中美絵子議員が一番でしょう。

当選後に判明した経歴は、「コスプレ風俗ライター」をしていて、映画でヌードも披露したことがあると。
週刊誌などによりますと、コスプレ風俗ライターとは、風俗店の紹介記事を、その手の雑誌に自分のコスプレ写真付き(毎回変わる)で掲載するという仕事だそうです。
他にそういう「職業」の人がどれくらいいるのかは知りません。

かつて、補欠選挙で民主党から当選した太田和美という議員が、元キャバクラ嬢だったと発覚したことがありました。
そのときにも旧ブログで書きましたが、私はキャバ嬢やホステスという職業を尊敬しております(私なら、愚にもつかないオッサンのヨタ話を笑顔で聞いてやることなどできない。それができるだけでも、彼女らは尊敬に値する)。隠すような経歴ではない。

だから太田議員が「私はキャバクラで男を手玉に取る方法を学びました。それを国政に活かしたいと思います」とでも言ってくれれば、私もきっとファンになったと思います。
しかし彼女が言ったのは「社会のいろいろな側面を見るため」だとか、「女性として就職難のため」だとか、そういうことだったと記憶しています。

コスプレ風俗ライターの田中議員も、(書く対象はともかくとして)自分の記事で金を稼げるのですから、これはすごい能力です。世の中に自分の文章で稼げる人は、ごくわずかですから。
だから「風俗ライターで培った私の文章能力を、法案作成に活かします」とでも言っておけばよかったのです。

しかし田中議員は、前出の太田議員と同じで、「経済的に困って仕方なくやった時期があった」などと言いました。
世の中、その気になれば何がしかの仕事はあります。本当に「仕方なく」というのなら、なぜ風俗ライターやヌードモデルという、「そんな仕事、探すほうが難しいやろ」という職業にありついたのか、説明すべきです。

太田議員や田中議員の過去の仕事は、たしかに一見キワモノ的なものではあっても、私はある部分では立派な職能だと思っています。
なのに彼女らがあのように言うことで、これらの仕事が「食うに困った人が最後に行き着く最低の職業」というふうに、不必要に貶められてしまうのが問題です。

職業による差別や性別による差別を本当に問題だと考えるなら、国会議員としてかなり配慮の足りない発言であったと思っています。
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