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大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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相撲協会を例に財団法人というものについて書きましたが、ついでにもう少し、法人と言う制度について触れます。

財団法人とならんで、「社団法人」という言葉もよく聞きますが、これも元は民法に規定があって、公益目的として国から許可を受けた団体である点は同じです。違うのは、財団法人は財産の集まり、社団法人は人の集まりであるという点です。
多大な財産の寄付がなくても、ある目的のもとに人が集まって労力を結集する、というイメージです。

私になじみ深いところで例を挙げると、「社団法人全日本テコンドー協会」(傘下の大阪府テコンドー協会で監事をしています)、「社団法人日本バーテンダー協会」(私がよく飲みにいくバーのマスターが多数加入しておられます)などがあります。

さて、法人というシステム(人やモノの集まりをひとりの人として扱う仕組み)のうち、もっともポピュラーなのは、「株式会社」を典型とする「会社」でしょう。
これは、元は商法(現在は会社法)に規定がありました。

民法上の社団法人や財団法人みたいに、公益を目的としなくてもよく、私的利益(つまり儲け)を追求してよい。営利を目的とした人の集まりなので、会社とは別名、「営利社団法人」と呼ばれます。

そして、資本主義・自由主義社会においては、国家は個人の営利追求に口出ししてはいけないことになっているので、会社の設立には国の許可は不要で、法務局に届出さえすれば設立が認められることになっています。

こういう次第で、世の中の法人には、ものすごく大ざっぱにわけると、
①民法を根拠とし、公益を目的として、国の許可を得て設立する、社団法人や財団法人
②商法を根拠とし、営利を目的として、国の許可不要で設立できる会社
の2種類があるということになります。

それ以外に、法人と名のつくものでは「特殊法人」というものがあります。これはまさに特殊なので次回に譲ります。

ということで、法人制度の解説など始めてしまい、いま何の話をしているのか分かりにくくなっているかも知れませんが、特殊法人を含めた法人制度の変革が、相撲協会にも影響を与えずにおかない、ということを書こうとしています。次回に続く。
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相撲の話のついでに書きますが、日本相撲協会が、一連の不祥事により、財団法人と認められなくなるかも知れない、といった話が報道されたりしています。
この、財団法人というものについて、少し触れます。

財団法人というのは、ひとことでいうと、「財産の集まりをひとりの『人』として扱う」ものだとご理解ください。

外国の例ですが、ロックフェラー財団やカーネギー財団をイメージしてもらったらよいかと思います。功成り名遂げて、たくさんの財産を築きあげた篤志家が、「今後は私の財産を青少年の育成に役立ててもらいたい」ということで、その財産を寄付するとします。

この財産が「人」となります。と言っても、ドラゴンクエストのゴールドマンみたいに金塊が人のカタチになって動き出すわけではありません。
誰かがその財産を銀行に預けて運用したり、青少年の育成などの目的にそった支出を行う事務を行うことになります。

日本では、財団法人の規定は、明治29年にできた民法の中にありました(その後の改正については追って触れます)。そこでは、私的利益を目的とせず、公益を目的とした団体は、官庁の許可に基づいて法人として扱う、とされています。

きちんと調べていませんが、お相撲さんの団体は江戸時代かもっと以前からあり、興行利益などでそれなりの財産を持っていた。明治時代になって民法ができて、お相撲さんたちが、「これからは財団法人としてやっていこう」ということになった。

相撲は昔から日本人に親しまれてきたので、公益目的の団体であると国からお墨付きをもらうのは簡単だったはずです。こうして、「財団法人日本相撲協会」ができた。協会の公式ホームページによると、これが大正14年のことだそうです。

お相撲さんたちが築いてきた財産は、力士の育成や、国技館の建設などに使われることになった。財団法人の中でそうした事務を行うのが「理事」という人で、現在の日本相撲協会では九重や貴ノ花がいます。理事の中で一番偉い人を「理事長」といい、放駒がこれにあたります。

で、財団法人がひとりの「人」として扱われる、ということの意味はといいますと、
たとえば、枡席で出てくる弁当にしても、発注するのは九重、場所当日に弁当を受け取るのは貴ノ花、弁当代を払うのは放駒、というふうにバラバラだと、弁当の仕入れ一つとっても多くの親方衆の間を行き来しなければならず、弁当屋さんとしては面倒くさい上に暑苦しい。

だから、日本相撲協会という窓口を一つ作ってもらって、そこに行けば用事が済むようにしてもらうわけです。この際、日本相撲協会という窓口は、あたかも一人の人間のように、各種の連絡を受けつけてくれて、後は内部で然るべく処置を取ってくれる。

このシステムが「法人」であり、文字どおり、民法などの法律によって、財産や人間の集まり全体が、一個の人間のように扱われる、ということです。

と、別に相撲協会のことを詳しく書くつもりもないのですが、財団法人というものの仕組みや成り立ちについてイメージしてもらうべく、触れてみました。

今後、相撲協会が財団法人であり続けることができるのかどうかということについては、次回以降に続く。
死刑制度について書こうとしています。
秋葉原の連続殺傷事件の審理も終わりましたが、今朝私が関心を持ったのは、産経の小さい記事です。
 
台湾で最近、冤罪つまり無実の罪で死刑にされた人が出たらしい。
幼女を暴行し殺害した容疑で、台湾の軍人が軍事裁判にかけられ、処刑されたあとになって、真犯人が見つかったのだそうです。
 
外国の話であり、軍事裁判という特殊性もあるのかも知れませんが、それでも、日本と台湾の刑事裁判制度に、そう大きな違いがあるとは思えません。
取調べを受け、裁判にかけられ、法廷で言い分を聞いてもらった上で、刑が下される、という点は全く同じはずです。
誤審、冤罪というのは、その可能性を常に否定できないという、まさに実例です。
 
さて、死刑制度というものがなぜ存在するかというと、よく言われるのは、1つには、犯人に対する被害者や遺族ひいては国民全体の報復であるという点と、もう1つは、死刑という厳罰があることで犯罪が抑止されるという点です。
 
ではその一方で、冤罪で死刑判決が出てしまったらどうするのか。
台湾では現に起こりましたし、日本では、無実なのに10数年も服役させられた菅家さんの事件がありました。昨年は検察による証拠偽造疑惑まで出た。日本でも冤罪で死刑になった人が、これまでにもいるかも知れないし、これから出てくるかも知れない。
 
「そんなことがあってはならない」というのは当然です。しかしそれは理想論に過ぎず、冤罪で死刑になってしまう可能性をゼロにはできないことをどう考えるか、という問いに答えたことにはならない。
 
これに対する答えは、二つしか考えられないでしょう。
一つは、死刑を廃止することです。「死刑廃止論」の著者で元最高裁判事の団藤重光氏は明確にこの立場です。
 
もう一つは、間違いが起こるかも知れないけど、死刑制度は重要だから残しておく、という立場です。
この立場は言い換えれば、冤罪で死刑にされる人がいたとしたら、その人には、我々の報復感情を満たすため、そして犯罪抑止のために、「申し訳ないけど死んでいただく」というスタンスを取ることを意味します。
 
私は、死刑制度がこのような側面を持つことを踏まえた上で、この後者の立場を取ります。
以前にも書きましたが、冤罪で死んだ人が出たら「もう仕方がない」と考えるほかない。それが私や家族の身に及んだとしても同じです。100パーセント間違いのない裁判、というものはありえないので、死刑制度を容認する以上、そう考えるしかない。
 
台湾の事件では、台湾の総統が遺族に謝罪したそうですが、今後、金銭的な補償も出るのでしょう。
 
ちなみに日本には刑事補償法という法律があり、冤罪と判明した際の補償金を定めています。その第4条3項に、「死刑の執行による補償においては、三千万円以内で裁判所の相当と認める額の補償金を交付する」とあります。
 
国の法律自体が、冤罪での死刑がありうることを前提としている点が、少し恐ろしいです。でも、死刑制度とはこういうものなのです。
こでは芸能ネタは扱いません。と言いつつ、昨年末から海老蔵事件などについて縷々のべておりますが、ことのついでに、これまた週刊誌から拾った不倫の話について。

大桃美代子さんというタレントは、かつて山路徹氏というカメラマンと夫婦であったが、この2人の離婚後、山路氏は麻木久仁子さんというタレントと結婚した。
しかし、大桃さんの主張によると、大桃・山路の婚姻期間中に、すでに麻木・山路が不倫関係にあったということです。まあ、ありがちな話ではあります。

ご存じのとおり、不倫すると慰謝料を請求されます。この例でいくと、大桃さんは、麻木さんに慰謝料を請求できる。
の法的根拠は、法律上の婚姻をしている夫婦は、互いに貞操を守る義務を負うのであり、不倫はそれを侵害する行為である、という点にあります。

大桃さんは、婚姻期間中は、夫である山路氏に、「私以外の女性と淫らなことをしてはダメ」という権利があり、山路氏はそれに従う義務を負う。
麻木さんがその期間中に山路氏と不倫関係(端的に言えば肉体関係)を持つと、大桃さんのこの権利を害したこととなり、それによって大桃さんは精神的苦痛を受ける、ということです。

ただ、婚姻期間中であったとしても、夫婦関係が破綻していて、相手が不倫していようが精神的苦痛を受けないこともありうる。その場合は、慰謝料の支払義務が否定されることがあります。

大桃さんは山路氏とほどなく離婚しているので、麻木さんと関係を持った時点で、すでに大桃・山路の婚姻関係は破綻していたのだとすれば、麻木さんは慰謝料を払わなくてよい。

しかし、この点が裁判で争われることとなれば、麻木さんは、その時点で婚姻が破綻していたということを証明する必要があります。すでに別居していたような事情があれば比較的証明しやすいですが、そうでもなければ、その証明は極めて難しいでしょう。

山路氏が証人として「すでに家庭内別居だったよ」と証言するだけでは弱いです。それだけで慰謝料が否定されるのなら、大桃さん(それに限らず世の中の奥さん全般)がかわいそうであり、不倫のやり放題になってしまうからです。

法的に婚姻しているというのは、それだけ強い立場にあるということでして、不倫をするにはそれなりの覚悟が必要です。

ついでに言うと、大桃さんはこの不倫疑惑を自身のツイッターで書いたそうですが、それも問題ありです。不倫は違法行為ではありますが、それをことさらに大っぴらにすることは、麻木さんに対する名誉毀損となると考えられます。

この件が今後、訴訟合戦になったりしたら、ワイドショー的には面白いかも知れませんが、傍観者である私としては、どっちもどっちの話で、まさにどうでもいいと思っています。
年明けに週刊誌を見て知りましたが、海老蔵の顔面を骨折させたリオン容疑者が、昨年末に起訴されたそうです。ですから現在、リオンは「被告人」ということになります。

年末のテレビなどによりますと、海老蔵とリオンの間には「示談」が成立し、互いに賠償金を請求しないという合意に達し、海老蔵もまたリオンの厳しい処罰を求めないとの「上申書」を警察・検察に提出したそうです。

だからリオンは、不起訴で釈放、または略式裁判(書類審査で罰金のみで終わる)になるのではないか、とも言われていたのですが、今後、法廷にて正式の刑事裁判を受けることとなりました。

海老蔵事件自体については、昨年ここでも書いたとおり、特段の興味はないのですが、今回書こうとしているのは、このように、示談になっても起訴されることは充分ありうる、ということです。

私も弁護士ですから、刑事弁護の依頼も引き受けます。リオンのように暴力沙汰を起こして逮捕され、その親などが駆け込んできて、被害者と早く話をつけてほしい、示談して、被害届や告訴状を取り下げさせてほしい、と懇願されることもあります。

もちろん、逮捕直後の刑事弁護人の仕事は、被害者と折衝し、示談をまとめるというのも重要な一つです(それは容疑者のためだけでなく、被害者の被害回復のためでもあります。警察・検察や裁判官は、被害者のために賠償金を取りたててくれるわけではありませんから)。

ただ、示談できれば必ず釈放される、と単純に信じている人も結構いるのですが、それは違います。

たとえば、大金持ちの人が誰かを殺害し、カネにモノを言わせて遺族に何億もの賠償金を渡して、遺族が「示談に応じます、厳しい処罰を求めません」と言ったら、その殺人者は刑事処罰を受けなくても良いのかと言われると、それは誰しも不正義だと感じるでしょう。

結局、示談できたかどうかは、起訴・不起訴を決める際の要素の一つにすぎず、その他、犯行の悪質さや、被害の大きさなどから総合的に判断されているわけです。

示談とはあくまで、被害者が加害者に「これ以上は賠償金を請求しません」というだけの話にすぎません(個人と個人の関係)。
これに対し起訴・不起訴というのは、刑法という国法に反した者に対し、国家が刑罰という制裁を加えるべきか否かの問題です(国家と個人の関係)。

だから両者は別次元の問題で、前者がクリアになったからといって後者の問題もなくなるというわけではないのです。

ということで、リオン被告人の刑事裁判には、多数の傍聴人と取材が来ることになるでしょう。
養育費の話、続き。

前回紹介した例として、夫の年収が5~600万円で、収入のない妻が2人の子を引き取って離婚する場合、家裁で調停すれば、夫が支払うべき養育費として8万円程度(2人分合計で)と決められるであろうといった話をしました。

このように調停で取り決められた場合、夫側から不満顔でよく尋ねられます。「不景気でいつ収入が下がるかもわからないのに、それでも決まった8万円を支払い続けないといけないのですか」と。

これに対する答えは「その通り」です。それは別に不当なこととは思えません。逆に、がんばって仕事して年収が倍になっても、決まった金額以上に払う必要はないのですから。

女性からよく聞く不満としては、「将来、子供に何があるかもわからないのに、月8万円程度では確実に安心させてやれない」、というものがあります。

これは、前回書いたとおり、自助努力で何とかしてもらうほかないです。そもそも世の中、幸せな結婚生活を送っている夫婦だって、確実に安心な生活などありえない。
例えば私だって、いつ不祥事を起こして弁護士資格を失うか知れないし、酒の飲み過ぎで死ぬかも知れない、そうなれば自宅のローンも払えなくなるかも知れないのです。

離婚すると「家計」が2つになって、食費や住居費などの生活関連費用が増え、一緒に暮らしていたとき以上に夫婦とも過酷な状況に置かれることになります。それがイヤなら離婚をガマンするか、そもそも、結婚や出産自体をガマンすべきです。

どうしても経済的に裕福な離婚をしたい、という方は、サエコみたいにがんばってダルビッシュくらい稼ぎのある人を捕まえるしかないです。

さてそのダルビッシュ、養育費は相当な金額になるだろうと前回書きましたが、それでも、プロスポーツ選手の選手生命はそう長くないから、ダルビッシュの2人の子供が成人するまでプレーできるとは思えない。

今後彼がメジャーに行って収入がもっと増えるかも知れないし、ケガで引退して収入が激減するかも知れない。それでも冒頭に書いたように、ダルビッシュは決まった養育費を支払う義務を負います。また、仮にサエコがダルビッシュ以上のお金持ちと再婚しても同じです。

ただ、ダルビッシュに限らず誰でも、養育費の支払い期間中に収入が大幅に下がることはあるし、妻が再婚して経済的に裕福になることもある。そういう場合は、夫側から再調停を申し立てて、養育費の金額を下げてもらうことはできます。

逆に妻からも、夫の収入が上がったときには、それを前提に養育費を上げてもらうよう、調停を申し立てることができます。

そのような正式な手続きを踏まずに、養育費の額を一方の事情だけで勝手に上げ下げすることはできないということです。

以上、ダルビッシュ夫婦を勝手にモデルとして「離婚とカネ」についてシミュレートさせていただきました。連続講座をひとまず終了します。

ダルビッシュとサエコに学ぶ離婚連続講座の第4回は、養育費の話です。
 
現在、ダルビッシュとサエコは別居中のようですが、別居していても夫婦である以上、一家の生活費は互いに負担しあう必要があります。
 
別居中の妻が夫に生活費をよこせと言える法的根拠は、民法にも「夫婦は互いに協力しあわないといけない」とあるからです。法律家はこの生活費のことを「婚姻費用」、略して「こんぴ」と言います(なぜ「こんひ」と言わないのかは不明)。
 
離婚が成立すると、夫婦関係は終了するので、妻に生活費を払う必要はなくなる。しかし、夫婦が離婚しても、親子の血縁関係は一生残ります。
ダルビッシュとサエコが離婚して、親権をサエコに渡したとしても、父親であるという事実は変わらない。父親である以上は、民法上も、その子供を養育する義務を負います。それが養育費支払いの法的根拠です。
 
ですから養育費はあくまで子供に払うものですが、実際には親権者である母親が管理することになるので、その使い道には基本的に父親は口出しできないことになります。
 
その養育費の金額は、協議離婚の際に合意で決めることもできますが、協議がまとまらなければ家庭裁判所で調停を行なうことになります。
なお、子供が何歳になるまで払うかについても、協議で決まらなければ調停となります。だいたい、20歳までと決まる場合が多いでしょう。
 
養育費の金額の決め方としては、家裁に養育費の算定基準があって、夫婦それぞれの収入や、子供の年齢や人数によって、公式にあてはめて計算します。
 
その算定基準はここでは省略しますが、具体的に算定してみたい方は、弁護士会や市役所の法律相談に行くか、街なかでやってる弁護士事務所を訪ねてください。たいていの弁護士は算定基準表みたいなものを持っているので、すぐ計算してくれます。
 
たとえば、ダルビッシュ夫婦みたいに、5歳くらいと0歳くらいの小さい子供が2人いるとして、夫の年収が1000万円、妻は専業主婦で収入なしだとすると、夫が払うべき養育費の月額は合計16万円前後(子供1人あたり8万円前後)です。
 
年収500万~600万の夫なら、単純に考えてこの半分前後です。多いと思うか少ないと思うかは人それぞれでしょう。
妻が子供2人を抱えて、月に8万円もらえるかどうか、という程度なら、女性なら少ないと思う方が多いでしょう。しかし、夫と離婚して子供を引き取ったからには、母親として自立して子供を育てる義務を負うので、不足分は自分で働くなどするしかありません。
 
さて、算定基準にダルビッシュの実際の年収をあてはめると、すごい数字になるでしょう。
彼がいくら稼いでいるかは知りませんが、仮に年収3億とでもします。サエコはタレント活動などでそれなりに収入があるはずですが、単純化のため収入ゼロとします。
これで計算すると、養育費の月額は400万円前後となります。
ま、これは極めて特殊なケースと思ってください。
 
4回目で最終回にするつもりでしたが、養育費のことであれこれ書きたいことが出てきたので、第5回目に続く。
ダルビッシュとサエコに学ぶ連続離婚講座(勝手にシリーズ化)、第3回です。
第3回は養育費の話にするつもりが、いま移動中の新幹線の中でこれを書いており、手元に資料がないと養育費の具体的な話が書きにくいので、今回は親権の話にします。
 
「おは朝」情報によりますと、ダルビッシュもサエコも2人の子供の親権を取りたがっており、ただダルビッシュは「養育権」はサエコにあげてもよい、と言っているそうです。
 
これは「監護権」のことを指していると思われるので以後この用語を使いますが、民法上、親が未成年の子に対して持つ権利には「親権」と「監護権」があり、離婚のとき、その2つが別々の親に行くケースもありえます。これが何を意味するかを書きます。
 
平たくいうと、親権者は法的な監督を行なう人、監護権者は一緒に住んであげる人だと考えてください。法的な監督とは何かというと、子供の財産を管理したり、子供が商売をやろうとするとき許可を与えたりする権限などがあります。
 
しかし、ダルビッシュの子供は幼くて多額の財産を持っているとも思われず、財産管理権はあまり意味がない。むしろ養育費をサエコに払えば、そのお金はサエコが管理することになります。また、いまどき未成年で自ら事業をたちあげて商売をする人も滅多にいないでしょうから、その許可をする権限もまず問題にならない。
 
そもそも現代においては、親権と監護権を分けておく意味はあまりなく、これは戦前の旧民法の遺物であると言われています(内田貴「民法4」など)。
つまり、戦前の家制度では、子供の親権は父親が持つのが当然で、ただ離婚の際に子供がまだ乳飲み子のようなときは、母に預けておくほうが良いからということで、親権とは別に、母親の監護権という概念ができた。
 
男女平等を建前とする今の民法では、親権者を母親とすることは何ら問題ないので、父でも母でも、子供を引き取る方が親権者かつ監護権者になればよいのです。
 
しかし現在でも、親権をどちらが取るかでモメたときに、妥協策として、父は親権、母は監護権(その逆もありえますが)を取る、という形で協議離婚するケースもあります。私もそういう相談を受けたことがあるし、ダルビッシュ・サエコ間でもそんな話があるらしい(あくまでテレビ報道ですが)。
 
しかし、ここは私個人の感想ですが、現代の家族制度において、監護権は取らないけど親権だけ取るというのは、せいぜい精神的な意味しかなく、それは本来、親であることから来る様々な子育ての苦労を免れた上で、口先だけ「俺が親権者だ」と言っているような印象しか持ちえません。だから私が相談されたときも「そんなやり方は実際には無意味だし、ややこしいだけだから、お勧めしません」とお答えしています。
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