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大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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皆さまお盆はいかがお過ごしでしたでしょうか。

私は子供も小さいため、特に遠方に出かけることもなかったのですが、実家に「里帰り」(といっても同じ大阪市内ですが)して、先祖に思いをめぐらせていた、と言えば大げさですが、仏壇のある居間で酒を飲んでいました。

私の父方の祖父は、戦争中は確か二等兵だったそうで、無事生き残りました。私の父(3年前の夏に心臓の病気で急死しました)は戦争中に生まれているはずなので、祖父が開戦直後に戦死していたりしたら、私は存在しなかったことになります。

さらにさかのぼると、ウチの先祖は土佐(高知県)の藩祖・山内一豊に行き着きます。司馬遼太郎の小説で大河ドラマにもなった「功名が辻」の主人公です(といってもドラマでは妻役の仲間由紀恵が主役扱いでしたが)。
山内一豊は関が原で東軍(徳川家康)に付いたおかげで、土佐20万石をもらいました。

大阪出身の私としては、家康よりも豊臣秀吉のほうに思い入れがありますが、400年前、山内一豊が西軍についていれば、山内家は滅亡し、私も存在しなかったかも知れません。

大阪冬の陣・夏の陣には、細川忠興(細川ガラシャの夫ですね)から大阪の山内家に、出陣するよう要請がきて、その手紙が代々、ウチに残っていたそうなのですが、その原本は今、大阪城に寄贈してあるらしく、私は見たことがありません。

時代が少し下って明治維新のとき、殿様だった山内容堂は、坂本龍馬が発案した「大政奉還」の建白を徳川慶喜に提出して受け入れられます。
その後、土佐藩山内家は、藩の下級役人であった岩崎弥太郎に財産を譲り、その岩崎が会社をおこして、それが現在の三菱グループのもとになります(たぶんそのへんの話は次期の大河ドラマ「龍馬伝」で描かれるはず)。

私の実家はそのころ(明治維新のとき)から、今の場所(大阪市東成区)にあったはずなのですが、土佐藩の大阪屋敷は今でいう大阪市西区にあったそうです。だから西区に今でも「土佐稲荷神社」という神社があり、「土佐堀」という地名も存在します。
そのへんの関係は、いつか調べてみたいと思っていますが、なかなか機会と時間がありません。

子供が大きくなったら、夏休みに学習塾など行かなくて良いので(私も行ったことがありません)、お盆にはそんな話を一緒にしてみたいと思っています。

この国と、国の歴史と人々と、いろいろなことがあって、今の自分が生かされている、ということに思いをはせてみたいと思っています。

ということで当事務所もお盆休みが明けました。引き続き職務に邁進いたします。

・・・・・・・・・・
今回は雑談でしたが、次回は再びのりピーネタに戻って、のりピーは不起訴になるのか否かについて触れたいと思います。
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