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大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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足利事件について、もう少し雑感を書きます。

DNA鑑定の結果がひっくり返って無罪とされた(まだ再審でそう決まってはいないですが、おそらく確実でしょう)。これからも、科学的捜査などというものについて、慎重な目、疑いの目を向けるべきであるという考え方には変わりはありません。

ただ、この一件で、最高検察庁や栃木県警が菅家氏に謝罪したという報道に接し、
果たしてこの問題は、当時この事件を扱った警察官、検察官、裁判官らがずさんな処理をしたためなのか、彼らの個人的責任に帰することができるのかといった、ふとした疑問を持ちました。

最近私は、この足利事件の判決を、1審から最高裁判決に至るまで、全文読んでみました(弁護士ならたいてい、過去の主要な判決文が閲覧できるソフトを導入しているので)。

宇都宮地裁の1審判決(平成5年)は、これが実に説得的な有罪判決であり、DNA鑑定結果以外にも様々な状況証拠を指摘しつつ、被告人を有罪としている。

いま現在の知識・技術を前提にすれば、DNA鑑定結果を信頼してしまった点は誤りなのですが、当時の判例雑誌などを見ても、この判決をあからさまに批判する評釈は(少なくとも私が見た限りでは)ない。もちろん当時のマスコミもそんな指摘はしておらず、新聞には「幼女殺害犯に無期懲役」などという大きな見出しが躍ったはずです。

2審の東京高裁判決(平成8年)も、最高裁判決(平成12年)も、1審判決に誤りはないとしています。最高裁判所は、当時の第2小法廷の5人の裁判官が、全員一致で弁護人の上告を棄却し、無期懲役を確定させている。

最高裁すらその誤りを見抜けなかったのですが、最高裁は本来、憲法解釈や判例違反などを審理する場であって、足利事件のように、ホントにやったか否かが争点になる場合は、「重大な事実誤認」がない限りは、原判決を破棄できないことになっている(刑事訴訟法411条。以前にも触れました。こちら)。

あくまで当時の科学技術とそれに対する世間一般の信頼といったものを前提に、1審・2審の判決を読めば、そこに「重大な事実誤認」があると言えるかは疑問です。そんな指摘ができた人は、最高裁の5人の判事以外でも、当時ほとんどいなかったはずです。

(もちろん、当時の判断が誤っていることが、時の経過や技術の進歩により明らかになることがある。その場合にそれを正すのが「再審」制度であり、足利事件においてもこれからそれが行なわれようとしている)

ですからこれは個人の謝罪の問題ではなく、そういう刑事裁判「制度」の問題なのだと、私は考えています。
では、そもそもそんな「制度」を作ったのは一体誰なのだ、と、次回はそんな話を書いてみようと思います。続く。

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