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大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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兵庫県で20日、ある男を詐欺容疑で逮捕しようとしたら、裁判官がそれを認めずに逮捕状請求を却下したため、男は釈放されたという事件がありました。
このように、容疑者を逮捕していいかどうかは裁判官が審査しています。

で、少し以前のことですが、その裁判官が逮捕されたという話です。

ネット上のニュースを閲覧しますと、8日、福岡から宮崎行きのバスの中で、福岡高裁宮崎支部の裁判官が、19歳の女性の体を触って逮捕されたらしい。裁判官本人は否認しているとか。

一般論として、刑事訴訟法上、誰かを逮捕する際には、逮捕の「理由」と「必要性」が要求されます。
その意味について詳細は省きますが、ごく簡単に言うと、逮捕の理由とは「容疑があること」を意味し、逮捕の必要性とは、逮捕しておかないと「逃亡のおそれがあること」を意味します。

容疑があるかどうかは、警察がそろえた証拠を裁判官が見て審査する。
逃亡のおそれについては、罪の重さとか、その人の地位などから判断される(たとえば重大犯罪なら逃亡の可能性は高まるし、定職や家族がある人よりは住所不定・無職の人のほうが逃亡しやすい)。

裁判官は警察官から逮捕状を出してくれと請求されたときに、これらの要件が満たされているかどうかを考えて、逮捕状を出すかどうかを決める。

上記の裁判官は、「現行犯」で逮捕されています。現行犯とは、警察官でなくても(私たち誰でも)、逮捕状がなくても、逮捕することが可能な場合です。つまり、逮捕状を出すか否かを裁判官が事前に審査することがない。

とはいえ現行犯の場合でも、逮捕の理由(容疑)と必要性(逃亡のおそれ)の要件は必要とされると解されていて、それらの要件がないのに逮捕したとすれば違法な現行犯逮捕であって釈放しないといけないことになる。

もっとも、「容疑」の点については、目の前で現に犯行が行われたわけですから、充分に認められることになる(満員電車の中で痴漢されたとかいうのであれば、違う人を誤認逮捕することはありえますが、上記の事件は高速バスの座席で隣り合わせに座っている状態で下着に手を入れたということらしいので、誤認は考えにくい)。

では、「逃亡のおそれ」はどうか。
裁判官という名誉も地位もある仕事についている以上、逃げも隠れもできないのではないか。現行犯逮捕だから、逮捕当初はまさかその人が裁判官だとは思わなかったでしょうけど、あとから判明した時点で「逃亡のおそれはない」として釈放することもありうる。

そのあたり、現行犯逮捕の後日談がどうなったのか、刑事訴訟法的には大変興味あるのですが、今のところ報道されていないようです。

ひとまずそういうことで、余力があれば引き続きこの問題について書きます。
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つい最近ここで取り上げた記事について、その後の状況を後追いしてみます。

中川財務相の酩酊会見について。

中川氏にエールを送るつもりで前回の記事を書いたのですが、さっそく辞任することになった。
たしかに、弁護士でいえば酔っ払って法廷に出るのと同じで、いかに酒好きの私でも、それはやらないでしょう(でも、酔って法廷に出る弁護士はたまにいて、過去それで弁護士会から懲戒処分を受けた人がいたと記憶しています)。

被害者に暴言をはいた被告人について。

その前の記事で、被害者参加の法廷で被害者に暴言を吐いた被告人が、証人威迫罪で逮捕されたとか。
証人威迫罪とは刑事事件の被害者や目撃者など、証人(またはその予定者)に面談を強要したり、脅したりする犯罪で、1年以下の懲役または20万円以下の罰金(刑法105条の2)。

この被告人、法廷で被害者に「お前の顔は覚えている、またやってやる」とも言っていたそうで、もろに証人威迫にあたるでしょう。
傷害罪で公判中だった被告人は、しばらくは拘置所(裁判中の被告人が入れられるところ)から警察の留置場に移され、また警察官の取調べを受けるのでしょう。


その他、ここでは書いていませんが、ネットでのニュースなどでチラと見て、新聞報道などで詳細を見て書こうと思っていた事件を2つ紹介。

東京の最高裁判所の構内で、男性が首吊り自殺をしたというニュース。2月1日のことらしいのですが、その後、新聞をいくつか見た限りでは触れられていないようです。
最高裁が緘口令をしいたのかな、と気になります。

もう一つは、福岡で、裁判官がバス内で女性の体をさわって強制わいせつ罪で逮捕されたというニュース。新聞で第一報のみ見た記憶がありますが、その後の続報がありません。
裁判官が逮捕されるというのはどういう状況か。実は刑事訴訟法的にも興味ある問題を含んでいるので、次回あたりにでも書いてみたいと思います。
刑事裁判と被害者参加制度について、2つの事件に触れます。

被害者が公判に参加した刑事裁判で、有罪の実刑判決が出た(札幌地裁、10日)。
悪天候下でボートを運転していて同の者を転落させ水死させてしまったという、業務上過失致死の事案です。被害者の父が法廷に参加し、被告人に対して「どう償うつもりなのか」といった質問をし、裁判官に対しては実刑を求める意見を述べたそうです。

判決は、執行猶予ではなく禁固1年6か月の実刑。被告人は刑務所に行くこととなった。
これを被害者参加制度の成果だ、と捉える向きもあるかも知れません。しかし、人ひとり死んでいるわけだし、報道によると被告人は謝罪や賠償をきちんと行っていなかったようなので、もともと実刑判決が下ってもおかしくない事案だったと思われます。

過去にも書いたとおり(過去の記事)、被害者が参加することによって罪が重くなるとすれば(それは反面、被害者が参加しなければ罪が軽くなることを意味する)、制度としてはどうかと思っています。

被害者が法廷に出るか否かは、被害の大きさと必ずしも比例するわけではないからです。
大きな被害を被っても、裁判を静かに見守る人もいるし(私が接した犯罪被害者のほとんどはこのタイプです)、その逆、つまり被害のわりには声だけ大きい被害者も、少数ながら確かに存在する。
この話はすでに論じたので、ひとまずこの程度にします。

もう一つの話題。
東京地裁で、傷害事件の被害者女性が法廷で事件の感想(つまり被害者感情)を述べたところ、逆に被告人からなじられて号泣した、といったことがあったようです。

この一件はまさに、被害者参加制度の問題を浮き彫りにしています。
すべての被告人が、被害者の前で、うなだれて神妙にしているとは限らない。
「俺は無罪だ」などと反撃されるかも知れない。上記事件の被告人は「お前たちは呪われるぞ」と言ったそうですが、事件の内容と関係なく罵られることも考えられる。

そんなとき、検察官や弁護士なら、即座に反論して切り返すことができるでしょう。そういう訓練を受けているし、そもそも何を言われても平気な人じゃないとこの商売は成り立たないからです。でも一般の人はそうは行かない。

被告人がそんな態度に出れば、情状が悪くなるでしょうから、ある意味、被害者参加の目的は達しうるかも知れないのですが、被害者としてはきっと精神的ショックを受けるでしょう。

上記2つの事件から、改めてこう思います。

被害者は裁判に参加しなくても、おそらく適切な判決が下されると思う。だから、法廷なんか出たくないという被害者は、裁判所に任せておけばいい。
一方、法廷に出たい人は、それは被害者の権利であるから堂々とやってよいのですが、やるならそれなりの覚悟を持って、できれば自身の弁護士と入念に打合せをした上で、法廷に望むべきでしょう。
いきなりローカルな話ですが、昔、上本町に「あなたの会社にデイトレーダーを派遣します!」という看板を掲げて仕事をしているオフィスがありました。

デイトレーダー。株なんかを買って、値が上がればその日のうちに売って差額を稼ぐことを「デイトレード」といいますが、そういった投資手法でお金儲けする人たちのことを言います。

しかしデイトレーダーを派遣すると言われても、「おっ、ウチの会社、ちょうどデイトレーダーを探してたんだよね」という人が世の中にいるんだろうか、と、自転車で出勤する道すがら、その看板を見ていつも思っていました。
ほどなくそのオフィスはなくなり、今その場所はラーメン屋になっています。

さて今週、そんな昔の話を思い出すようなニュースがたくさんありました。

「L&G」という団体の波容疑者が組織的詐欺罪(組織的犯罪処罰法違反)で逮捕(5日)。
「円天」とかいうよくわからないシステムの他、お金を預けると配当がつくという名目で出資を募っていたとか。
(逮捕前の朝の6時から居酒屋でビールを飲んでいたというのもすごいです。そういう状況で酒に頼るとは、意外に小心者かも知れません)

昨日(6日)は、大阪で知人らから出資を募っていた「女相場師」が逮捕。
一般の人が投資名目で他人からお金を預かる商売をすると出資法違反となり、それで逮捕されたとのこと。投資に失敗してお金が返せないとわかったあとも出資させた疑いもあり、詐欺罪で立件される可能性もあるとか。

一方で、村上ファンドの村上被告人は、東京高裁で執行猶予判決(3日)。1審の実刑判決が覆った。追徴金約10億円は科せられますが、これも1審より少し減っています。

村上被告人がやったのは、詐欺でも出資法違反でもない。ライブドアがニッポン放送の株式を大量取得する(つまりニッポン放送の株の相場がこれから上がる)という内部情報を堀江元社長から聞いた上で、ニッポン放送株を取得して高値で売り抜けたという、証券取引法違反(現在の名称は金融商品取引法)のインサイダー取引です。

村上ファンドが世間を騒がせていた当時は、すごく優秀なデイトレーダーであるという評価もありますが、どちらかというと「カネにモノを言わせて会社をかき回すけしからんヤツ」というのが世間一般の見方であったかと。
野球の星野元監督は「いつか天罰が下る」と言い(そして実際下りました)、浜村淳は朝のラジオで「萩本欽一みたいな顔して」と言ってました(こちらは本筋に関係ありませんが)。

ただ刑事裁判においては、萩本欽一みたいな顔のわりに偉そうなこと言ってるとかいうことではなく、あくまで、ニッポン放送株の一件でちょっとズルして儲けたことが問われています。
それだけを冷静に判断すれば、追徴金による経済的制裁で充分で、刑務所に行かなくてよい、という結論もありうるのでしょう。

世界的な不況で世の中の投資家が全く力を失ってしまっている今、村上ファンドに対して、改めて冷静に判断を下したのが今回の判決なのでしょう。
インターネット上の名誉毀損について。
ある人がホームページで、某ラーメンチェーン店の収益の一部がカルト教団に流れていると書いたことが、名誉毀損罪にあたるかどうかが争われた事件。

東京地裁では無罪とされた事件で、先週末、東京高裁は逆転有罪(罰金30万円)の判決を出した。

名誉毀損罪については当ブログ(および旧ブログ)でもたびたび取り上げていますが、
「具体的な事実を指摘して他人の名誉を傷つける」行為を言い、ラーメン屋の収益がカルト教団に流れているというのも、いちおうそれに当たるでしょう。

東京地裁は、「インターネット上の情報は、その他のメディアでの言論に比べ、信用性が低いので、違法性は低い」として無罪とした。東京高裁は、そんなことはない、中には信じる人もいるでしょう、と言ったわけです。

インターネット上の情報はたしかに玉石混淆で、「石」のほうが圧倒的に多い。しかし、情報を伝達する力としては、インターネットには物すごいところがある。

たとえば、特定の個人を中傷するビラを100枚作って配っても、その情報を伝えることができる相手は100人です(ビラが回し読みされても、100人を大幅に超えることはないでしょう)。

インターネットなら、自分のホームページやブログに書くだけで、最近は「検索」で多数の人が閲覧にくる可能性がある。インターネット上の情報を真に受ける人が100人に1人しかいないとしても、1万人の人が閲覧すればすぐ100人に達し、さらに増え続けるでしょう。

そういうことで、東京高裁の有罪判決のほうが個人的にはしっくり来ると思いました。
特に、インターネット上で無責任な個人の批判や中傷が横行している昨今、そんな行為は本当は犯罪なのだと警鐘を鳴らす意味もあると思う。

もちろん、有罪とされた方は不服でしょう(弁護人は最高裁に上告するらしい)。
ネット上での個人批判が許されないとなれば表現の自由はどうなるのだ、ということです。
この点、表現の自由の観点からは、公共性、公益性があり、真実である(または真実らしい証拠がある)場合は無罪とされるので、正当な言論は保護されることになる。

ただ、それ(公共、公益、真実)が認められるかどうかは、結局、刑事裁判をやってみないとわからないので、表現する側にとっては「どっちに転ぶかわからない」危うさがある。
しかし、人を攻撃・批判するからには、それくらいの覚悟を持って発言すべきなのだろうと思いました。

ひとまず、最高裁の判断に注目したいと思います。
中央大の事件の続きを書こうと思っていたのですが、久々に法律ネタも書きたいので、この続きは後回しにします。

おととい、大阪地裁に行くと報道陣がいつにも増してたくさん来ていて、あとで知ったのですが小室哲哉の詐欺事件の初公判が開かれていたとか。

今さらながらこの事件の話なのですが、小室の借金がかさんだ要因にはいろいろあれど、その一つとして、前妻に対する10数億円程度の慰謝料の負担があったと言われています。

この人の慰謝料がなぜこんな高額になったのか、そもそも慰謝料とはどうやって決まるのか、そういう根本的なところに触れてみたいと思います。

慰謝料とは、精神的苦痛に対する損害賠償のことです。
ですから離婚の際の慰謝料とは、婚姻生活を破綻させて相手の心を傷つけたことを償うために支払います。

慰謝料は男が払うもの、と思っている方もおられますが明らかな間違いで、あくまで、婚姻生活を破綻させた原因を作った側が払います。ただ、婚姻破綻の最も多い原因は男の浮気なので、たいていは男が払うことになっているだけです。

ではその金額はどうやって決まるか。
協議離婚の際は夫婦の合意で決まります。決まらない場合は、家庭裁判所での調停や裁判を通じて決められることになります。

裁判離婚をしたら判決によって慰謝料の金額が宣告されるわけですが、その際の基準としては、どのくらい悪いこと(浮気や暴力など)をしたかとか、婚姻年数や子供の有無といったことが考慮されます。

私の狭い経験では、離婚慰謝料はだいたい200万円から500万円くらいです。
お互いにさしたる原因もなく、「性格の不一致」というだけだと、ゼロ円という判決もあります。

では、小室の10数億という異常に高い金額は何なのかというと、これはあくまで協議離婚の際の合意で決まったものです。裁判離婚していたとしたら、決してそんな金額にはなりません。
でも小室としては、新しい愛人(今の奥さん)と早く結婚したいし、お金はいくらでも積むから別れて欲しいと頼んだわけです(金持ちにはそれができる。著名人・芸能人の慰謝料が高くなるのはそのためです)。

協議離婚の場合は、裁判所の相場に縛られないので、お互いが納得しさえすれば、ゼロ円でも100億円でもよい。そして合意をしてしまった以上は、いわば「契約」と同じでそれを守って支払う義務が生じる。
慰謝料の合意はよくよく慎重にしないといけないというわけです。

あとそれから、たまに若い女性が「金持ちと結婚して離婚裁判して慰謝料をふんだくる」とか言ってるのを聞きますが、そういう人は、むしろ妻側が婚姻破綻の原因を作ったということで逆に慰謝料をふんだくられてください。
前回のタクシー強盗事件に引き続き、治安の話をしようと思っております。

少し前、神戸地裁で弁護士が刺されるというニュースを新聞で見ました。
「よっぽど、依頼者かその相手から恨まれていたんだろうな」と一瞬思いましたがそうではなく、通り魔的犯行だったようです。

正確な年齢は確認せずに書いていますが、容疑者は60歳くらいで、よく法廷に傍聴に来ていたらしい。法廷での弁護士の答弁を聞いているうちに弁護士が憎たらしくなり、
「誰でもいいから弁護士を刺そうと思った。刑務所に行きたかった」と思って刺した。

刺された側の70歳くらいの弁護士は幸いというべきか、手に軽傷を負った程度らしい。武器が「千枚通し」だったことからも、怪我が小さくて済んだのでしょう。

大阪地裁でも、特に刑事事件の法廷に立っていると、同じ顔を傍聴席で何度も見かけることがあり、いわゆる「傍聴マニア」なる人はたいていの地裁にいると思うのですが、そういった人が唐突に私に凶器を向けてきたらどうするかと考えると、少し恐ろしいです。

裁判所の防犯対策としてどこまでのことをすべきか、考えさせられます。

このあたり、また東京との対比で言いますと、東京地裁は防犯対策がかなりしっかりしていて、裁判所の建物に入ろうとすると、空港で飛行機に乗るときのように、手荷物を金属探知器にかけないといけない。
(弁護士がそんなことやっていると時間がかかって法廷が滞るので、弁護士用の入口があって、そこでバッジを見せれば入れてもらえる)

東京には物騒な事件も多いのでしょうけど、裁判員制度を控えて「開かれた裁判所」に変わっていくことが要請されるのに「所持品検査」とは、なかなか権威主義的です。

実際に裁判員が東京地裁に来るようになったら、どういう扱いになるのでしょうか(呼び出しておいて所持品検査をするのも感じ悪いし、フリーパスとなると、もし裁判員に選ばれた人が変な考えを起こしたらどうするかという問題が出てくる)。

さて、冒頭の神戸地裁の事件はたまたまなのかも知れませんが、弁護士でも突然刺されるようなこのご時世に、私たち(弁護士に限らずすべての人)がそういった被害に遭わないようにするためにはどうすればよいか。
私にも一応の考えはあるのですが、その話は次回に続きます。
破綻したNOVAの元受講生20数人が、猿橋元社長ら経営陣に対し受講料返還を求め訴えた民事訴訟で、昨日、大阪地裁で第1回口頭弁論が開かれたそうです。
日経(18日夕刊)の見出しは、「元生徒『なぜ倒産 知りたい』 元社長、棄却求める」と。

原告となった元受講生らは大阪地裁の法廷に出たが、被告の元社長は出てこずに、代理人の弁護士だけが出廷し、「原告らの請求を棄却することを求める」という趣旨の答弁をしたに留まった。

「原告の請求を棄却することを求める」という答弁は、つまり「私には責任はありません」ということです。刑事裁判に置き換えてみると、検察官の起訴に対して「私は無罪です」と答えるのに等しい。

原告側からすれば、会社を潰しておきながら何とふてぶてしい、と思ったでしょう。しかしこれは、民事事件で訴えられた被告側の定型文句です。
損害賠償してくれ、という原告の請求に対して、被告が「あなた方の主張は正しい、請求は認めます」と言ってしまうと、その瞬間に被告の負けが決まってしまう。

刑事裁判であれば、被告人の自白だけで裁くことはできないことになっているので、被告人が「たしかに私がやりました」と言ってもその後の審理が行なわれるが、民事裁判では被告が認めたことは審理しなくていいことになっている。

だから、いかに原告の人たちに申し訳なく思っていても、被告の代理人弁護士としてはひとまず「原告の請求を棄却することを求める」と言わざるをえない。そうしないと弁護士の責任問題になる。

いったんはそう言っておいて裁判を開始し、果たして会社の破綻に元社長らの個人責任はあるのか、あるとしたらどれくらいの賠償責任を負うのかといったことについて、今後審理を尽くしてもらうことにする。
原告側としては肩すかしを食らった気がしたかも知れませんが、ことの良し悪しは別として、民事訴訟の第1回の法廷とはそういうものです。

刑事裁判に関して、たまに「被告人の心の闇は解明されずに最後まで空しさが残った」といった風の論評を見かけますが、刑事裁判は被告人が犯罪行為をしたかどうかを判定する場であって、人の心の中を解明する場ではない。だからそれを空しいと感じるのは的外れです。

NOVAの民事裁判でも、原告側は、NOVAがなぜ倒産したか、その原因や責任を元社長はどう考えているのか知りたい、と考えているようですが、元社長の心の中の解明は、あまり期待しないほうがよいのでしょう。
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