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大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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たまには政治の話を、浅く書いてみます。

議員の世襲を制限しようという動きがあります。国会議員の息子や娘は、親と同じ選挙区から出られないようにすると。自民党はその導入を「延期」したとかで、民主党からまた「ブレてる」と批判されているようですが。

私自身は、延期どころか、そんなこと決して導入すべきでないと考えています。
何せ、被選挙権(選挙に出る権利)は、我々国民にとって民主主義の実現のために物すごく重要な権利です。それを、「たまたま親が政治家だったから」という理由で奪うべきでない。

そもそも、世襲にどんな弊害があるのか。おそらく、世襲制限すべきだという人の多くは、
「ここしばらくの総理大臣(小泉、安倍、福田、麻生)がみな世襲議員で、庶民の気持ちがわからない人ばかりで、何だか国政もゴタゴタしている」という程度の認識で言っているのではないか。

ならばその人たちは、ここ何代かの総理大臣がもし世襲議員でない人であったとしたら、この国の状況は今と違って良くなっていたと本気で考えているのか。

たとえばアメリカ金融危機に端を発する国内の不況も、世襲の総理でなかったとしたらマシになっていたのか。さすがに政治はそんなに単純なものではないでしょう(現に新型インフルエンザ問題では舛添大臣は世界から笑われるくらいの大げさな対応をし、その割にはバンバン感染者が出ている。舛添さんは世襲議員ではないはず)。


全く話は変わりますが、私が京都に仕事に行った際に、帰り道によく立ち寄る老舗のバーがあります。マスターはとうに還暦を越えています。
マスターには大学生の息子さんがいるのですが、年配の常連客がよくマスターに「息子はいつ店を継ぐのや?」と言います。冷やかし半分でしょうが、残り半分は本気でそれを望んでいるでしょう。私も同じ気持ちです。

バーテンダーの仕事も大変です。このマスターは、毎日遅くまで仕事して、深夜、(失礼ながら)「老骨に鞭打った」ような状態で家に帰るのでしょう。この店に限らず京都のバーは日曜も営業しているところが多いので、子供と接する時間も少ないはずで、奥様に文句を言われることもあるでしょう。

たまに、マスターと常連さんたちとで京都の料理旅館で宴会したりしますが、その際もマスターが、旅館やバスの手配、料理や持ち込む酒の段取りなどして、客に失礼のないよう心を砕いているはずで、そんなことは営業中にはできないから家でやっているのでしょう。

そういう大変な部分ばかりを見て育ってきた息子さんが、「自分もこの店を継ぎたい」と言ったとすれば、それは非常に頼もしいことです。
上っ面だけ見て、何となくカッコいいからバーテンダーを目指した、という人よりは、よほどこの仕事を任せるに足る人材であるといえます。

そのあたりは、バーテンダーも、政治家も、その他多くの職業も同じでしょう。仕事の本当の大変さや、そして大切なポイントは、マニュアルにも書いていないし、学校でも教えていない。しかし「世襲」の人たちなら、生まれながらにしてそれらを見て、身に染み付いているといえる。

かように私には世襲の何が悪いのか、理解できないのです。
弊害の有無を何ら厳密に検証しないまま「何となく世論がそうみたいだから」というだけで議員の世襲を制限してしまえば、ことが「被選挙権」という人権であるだけに、「雰囲気だけで人権を制限できる」という、とんでもない先例ができてしまって危険であると考えます。
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相変わらず、更新頻度にムラがありまして、連休あけから何も書いていませんでした。
更新を楽しみにしてくださっている方には(おられるかどうか知りませんが)すみません。

本日もさらに雑談ですが、定期的に当ブログを見てくださっている方以外にも、「検索」で来られる方も多いみたいです。

最近は、たいていのブログで、どんなキーワード検索でたどりついたかが管理人にはわかるようになっていて、当ブログもそうなのですが、それを見ていると、ここに来られる方は何に興味をもっているのかがわかります。

ちなみに、ここ1か月で最も多いキーワードは、「足利事件」でした。DNA鑑定がひっくり返ってしまったというアレです(当ブログ4月21日記事)。

他、多かったキーワードは…。
「偽証罪とは」。羽賀研二の裁判で偽証が行われた疑いがあるという話で触れました(1月28日)。ここでも書いたとおり、立件される数はかなり少ないのに、興味ある方が多いのでしょうか。

「逮捕 要件」。裁判官が逮捕されたことに絡んで書きましたが(2月24日)、草なぎクンの逮捕で、また検索される方が増えたように思います。
で、「公然わいせつ罪」のキーワード検索も増えました。これも草なぎクンの影響です。

「動産差押」。これも多いです。動産を差し押さえたい人が調べているのか、動産を差し押さえられた人が見ているのか(3月11日、15日記事)。

「名誉毀損 賠償額」も、けっこう多い。名誉を毀損された、またはしてしまった人が、妥当な賠償額を調べているのでしょうか。この話は3月27日記事で書きましたが、物を壊すのと違って、賠償額の基準は一律に算定できるものではありません。

「衣服 精液」というキーワードも、何件かありました。器物損壊罪にあたります(4月3日記事)。同様の事件が、世の中ではしばしば起こっているのでしょうか。

「弁護士はスケベ」。1件。こんな話を書いた覚えはないのですが、どこに引っかかったのでしょうか。それより、これで検索した人が何を調べようとしたのかが気になります。
弁護士はスケベか否か、それは人それぞれです。ちなみに私は違います。

読者の方も、興味ある事件などありましたら、リクエストをお寄せください。極力お答えします。
さしあたって次回のテーマは、福岡の児童3人死亡交通事故の高裁判決(懲役20年)の予定です。
ゴールデンウィークが明けました。

当事務所は暦どおりに業務を行なっており、今日と明日は私が東京地裁での弁論に出廷するため、日帰りで東京・大阪を往復しています。
今日は、東京駅から東京地裁へ向かう道路も、心なしかすいておりまして、世間にはまだ連休の続きを過ごしている人がいるのだろうなと思いました。それで、当ブログでも連休を引きずりつつ雑談を。

連休はいかがお過ごしでしたでしょうか。
私は、天気が悪かったこともあって、だいたいは自宅におり、息子とジャレてたり、初節句のお祝いをしてたりしてました。

元旦生まれの息子は無事5か月目に入り、日々大きくなっています。
毎日、起きて、泣いて、母乳を飲んで、笑って、寝て、の繰り返しです。
特に、長時間眠ってお腹がすいて目覚めたときの泣きっぷりと、その後、母(つまり私の妻)の胸にしがみつかんばかりにして鼻息も荒く母乳を飲んでいる姿を見ていると、「ああ、これが生きてるってことなんだなあ」と、わけもなく感動してしまいます。

もうずいぶん昔のことですが、旧ブログで、「生きる意味」について書いたことがあります。
とは言えたいそうなことは書いていなくて、肉体が生きて活動していること自体が尊いことであり、それ自体が生きる意味だと思うと書きました(これ)。
息子が生まれて、改めてその思いを強くしています。

うちの息子に限らず、産まれてきたばかりの子供は、母乳を飲んで、手足をばたつかせて、とにかく生きようとしている。それがいつしか大きくなって知恵がついたあたりから、自分は何のために生きているのかとか、人生の意味って何なのかとか、そういうことを考えだす。

もちろん、人生について思索を深めるのは良いことだし、誰でも一時期、そういうことを考えてみるべきだとは思う。しかしそれが「俺は人生の意味が見出せないダメな人間だ」とマイナス思考に働いてしまうとすれば、人生の意味なんて考えないほうが良い。

私と妻、そして親族にとっては、ウチの息子はもう、生きているだけで嬉しく、尊く、充分すぎるくらいに意味がある。
そして、すべての人が必ず、誰かにそう思われながら、産まれて生きてきたはずなのです。
それだけでもう、この人生とこの世の中は生きるに値するのではないかと、息子を見ながら最近そう思っています。
今朝、自宅のパソコンからこのブログにアクセスしようとすると、エラーが出て、「そんなページは存在しない」と言われました(「Not Found」っていうのが出た)。

それで、ブログが削除されたのだと思ってしまいました。
私が日々書いているブログの内容が、特定の人にとって望ましくないものであり、それでその人が「忍者ブログ」管理者に圧力をかけて削除させたのかと、一瞬だけ考えてしまいました。

ほどなく、またアクセスできるようになりました。何かが原因で一時的にアクセスできなかっただけであったようです。考えてみれば、規模的にも内容的にも大したことないブログなので、誰かがわざわざ圧力をかけるようなことは考えがたいわけでして。

規模はぜんぜん違う話ですが、タレントの北野誠が芸能活動を自粛させられてます。
私としてはこの人、「探偵ナイトスクープ」で中途半端な調査をする人、というイメージしかないので、テレビ・ラジオから消えても何とも思わないのですが、「何が問題でそうなったのか」という過程が一切伏せられている点に、不気味なものを感じます。

故・伊丹十三がヤクザのことをネタにした「ミンボーの女」を監督した後、暴力団員に襲われたとき、「私が描いたのが本当のことだから、彼らも黙っていられなかったんだろう」といった趣旨の発言をしていたことを思い出します。

北野誠のどの発言が問題になったのかは知りませんが、それがウソであるなら、無視しておくか、またはその発言を取り上げて名誉毀損で訴えるなどすればよかった。
そうでなくして、問題となった発言を封殺したまま活動を自粛させたわけでして、それはきっと、北野誠の言ったことが、特定の人には不都合な「本当のこと」だったからでしょう。

物理的な暴力を使うかどうかが違うだけで、本質的なところは、伊丹十三の一件と通ずるものを感じます。

芸能ネタはあまり触れないつもりですが、ついでにもう一つ。
草なぎ剛が公然わいせつで逮捕されました。検察官に送致され、勾留は免れて釈放されたようですが。

一部の狂信的なファンが、警察署に抗議の電話をしたとかで、これも不気味な話です。自分の納得できないことについて、目に見えない形で圧力をかけようというその考え方が醜悪です。

当ブログは弱小なだけにそういったことに無縁と思われますが、何らかの技術上の問題でアクセスできなくなったりしたら、左にリンクしてあります個人サイト(http://www.yama-nori.com/または「山内憲之」で検索)へお越しください。
今回も雑談ネタですので、私ごとの話題から入ります。

元旦生まれのウチの息子が生後3か月を過ぎました。顔立ちがはっきりしてきて、父母どちらに似たのか、3か月の子にしてはかなり整った顔をしています。
先日は私の実家近くの神社でお宮参りをし、ささやかながらお食い初めの儀も行いました。
人の顔を見ると笑うようになりました。この子がずっと笑っていられる、そんな家庭と社会を作っていかねばと思っています。

そんな親バカ話はともかく、最近の新聞・テレビでよく見かけるのが、カルデロンのり子さんの問題です。
この中学生の女の子の両親・カルデロン夫妻は、かつてフィリピンから偽造パスポートで日本に不法入国し、のり子さんを出生して、そのまま一家で日本に住み続けていたらしい。

不法入国だから発覚した以上、強制退去は当然の話ですが、法務省の温情で、のり子さんだけは日本に留まれることになった。そして、カルデロン夫妻とのり子さんが空港で涙の別れ…という映像を、今朝のワイドショーで観ました。

私が驚きあきれるのは、カルデロン夫妻のしたことです。不法入国は犯罪であるとかいう話はこの際もうどうでもよく、この人たちは、きちんとした手続きも踏まずに海を渡ってきて、いつ捕まるかも知れないような状態で子を産み、日本の学校に入れていたわけです。

今朝私がワイドショーを見ている隣の部屋では、起きがけの息子がムニャムニャ言ってましたが、この息子を不法入国先で生んで、いつか退去を命じられるような状況に陥れてしまうなんて、私にはとうてい考えられないと、息子の顔を見ながら思っていました。

ちなみに私は、のり子さんがかわいそうだから一家3人を日本に置いてやるべきだとは全く思いません。その逆で、二度とこんなことが生じないよう、一家3人をフィリピンに強制退去させるべきだと考えます(法務省のやったことは甘い)。

それにしても、世間の耳目を集めるような犯罪事件が起こると、マスコミ特にテレビは、事件の動機や背景を明らかにしろだとか、犯人の心の闇を明かせだとかいうことを、警察や裁判所や、ときには私たち弁護士に求めたりするものですが、どうしてこの事件に関しては、「親子の涙の別れ」という次元の低い話ばかりしたがるのか。

カルデロン夫妻がした不法入国という犯罪がなぜ行われたのか、どうやって長年それを隠しおおせたのか、そんな状況で子供まで作ってしまった心の闇は何なのか、そして日本国内に同種の事案がどの程度存在するのか、そういったことこそ知りたいのに、そこは一切触れてくれない。
この事件についての報道を見るたびに、そんなもどかしさを禁じ得ません。
司法改革と法科大学院のことについて私の考えを書くといいつつ、そのままになっていましたので続きを書きます。

私が11年前に受けた司法試験は、今や「旧司法試験」と言われています。
旧試験はいわゆる「一発試験」で、一発と言っても、5月のマークシート試験、7月の論文試験、10月の口頭試験と3つをパスしないといけないのですが、とにかく1年のうちこれらに受かれば、「司法研修所」に入れてもらえる。そこで1年半から2年間の研修を経れば、よほど出来の悪い人でない限り、弁護士になれる。

今の「新司法試験」では、そもそもの受験資格を得るために、法科大学院に2年か3年通う必要がある。法科大学院に入るにももちろん、入試がある。旧時代は受験資格に制限がなかったのが、少し面倒なプロセスを踏む必要が生じたわけです。

「改革」の理由はいろいろありますが、よく言われるのが「旧試験時代は、一発試験を突破するためだけの知識の詰込みが行われていた」ということです。
主に受験予備校で行われていた「詰込みの弊害」を除去し、法科大学院に入れてじっくりとホンモノの法教育をするということのようです。

私自身は旧試験を受けたわけですが、知識の詰込みは、確かにしました。
六法(憲法、民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法)の全分野に渡り、用語の定義や、裁判所の判例や、条文解釈に関する学説について、試験本番のときにどこをどう聞かれても即座に答えられる状態にしないといけない。

私が司法試験に受かるために費やした勉強期間は約2年です。
「その間、1日にどれくらい勉強しましたか?」と今でも受験生によく聞かれますので、そのときは「だいたい9時間か10時間です」と答えていますが、白状しますと、これは受験生にショックを与えないよう少なめに言っているのであって、本当は1日に12時間くらい勉強していることもザラでした。

司法試験に受かった人は、ほとんど同じようなことをしているでしょう。ではそのことが、何らかの弊害をもたらしたと言えるか。
顧客のお金を横領するなど、不祥事を起こす弁護士はたまにいますが、「受験期の詰込み教育が原因」でそうなったようなケースはないはずです。

「受験勉強に長期間を費やすために人間味や社会性が失われる」ともよく言われますが、それは制度というより個人の問題でしょう。まともな人間だってたくさんいます(私もその一人と思っています)。

受験期間が長くなるという点では、現在の新制度だって、法科大学院で最低2年は費やさないといけないわけだから、そう変わるものでもない。新試験の合格率も当初予定していたより低いので、その期間中、受験生はみな、相当程度の詰込み型の勉強をするでしょう。

そういうことで、司法試験における「詰め込みの弊害からの解放」というのは、今や否定されつつある小学校の「ゆとり教育」と同じで、実態はどうであるかという検証が何らなされないままに、一部のエライ人が頭の中で勝手に想像していただけのものであると信じています。

この問題、休み休みながら、引き続き何度か書く予定です。
法科大学院9校に大学基準協会が「不適合」の判断を下したとか。

法科大学院とはご存じのとおり、司法制度改革の下に導入された「法曹」(弁護士、裁判官、検察官)の養成学校で、現在はここを出ないと司法試験を受験できないことになっている。

大学基準協会とは、各種大学に対し大学としての適性を有しているか判断するために設立された財団法人で、学識経験者が委員となっているようです。
この協会がどれほどエライ団体なのか(つまり法科大学院の生殺与奪の権限を握っているのか否か)は知りませんが、法曹を目指して日々勉強している学生の方々には、自分の通う法科大学院が「法曹養成機関として不適合」などと言われると、心穏やかではないでしょう。

法律学を勉強して法律家になるのも、小うるさくて、しち面倒なことになったものです。
で、以下雑談です。

私の大学時代は、法科大学院制度などありませんでして、そもそも私は大学在学中、弁護士になろうなどと思っていなかったので、必ずしも真面目に講義を聞いているわけではありませんでした。まあ、多くの学生さんはそんなものでしょう。
私はそこそこ出席率は良かった学生だと思うのですが、かと言って毎回出席を取る教授は嫌いでした(これも、多くの学生さんも同じでしょう)。

私が好きだった先生の一人に西洋哲学史の教授がいて、その人が言うには、「私は出席は取りませんので、講義に参加するかどうかは諸君の自由にしてください。その代わり、期末試験は苛烈にやります」とのことでした。

私はプラトンあたりの話が好きなのですが、その西洋哲学史の講義はデカルトの話がメインで、そのへんの話はあまり聞いていませんでした。期末試験ではどんな問題でもプラトンの話に無理やり持っていって答案を書きました。

ちなみにプラトンの本は読んでてそこそこ面白く、たとえば「饗宴」という作品は、登場人物が酒を飲みながら「愛」について語るという、今ふうに言えばテレビ番組の「あいのり」みたいな話です(この番組も打ち切りになりましたね)。

学生時代、プラトンその他西洋哲学をかじっていて、それが何か役にたったかと言うと、特に何も役にたっていません。でも、哲学は人生の役に立つとか、生きる指針を与えてくれるとかいったものでは決してない、ということがわかったということは収穫であったように思います。

と言いますと、哲学をやっている人を茶化しているように思われるかも知れませんがそういう意図ではありません。哲学は、世の中のいろんな物事や観念を、万人に納得できるような説明をするための学問です。それが、物質の動きを説明する方面に特化したものが物理学であり、紛争に際して他人を言いくるめる方面に特化したのが法律学だと思っています。

ちなみにプラトンは「愛」とは何かについてどう語っているか、興味ある方は「饗宴」が岩波文庫などから出ていると思うのでお読みください。

・・・・・・。さて、今の法科大学院制度がかなり窮屈で面倒なものであって、一方、私が受験したころの司法試験は詰込み型で望ましくないと言われているけど決してそうではない、という話をしようとしたら、あらぬ方向にそれてしまいました。
次回、話を収束することを目指して今しばらく書いてみます。
法律とは関係ないですがG7の話。ご存じのとおり、中川財務相がローマでの記者会見で酩酊状態で答弁したというツッコミどころ満載の一件に触れます。

なぜああいう状態になったかというと、本人の弁によれば、前日から当日にかけて風邪薬を多めに飲んだ。ワインは前日に飲んだ。当日の昼は乾杯のときに口をつけたが、「ごっくんはしておりません」とのこと。

酒飲みのよしみとして一応フォローしておくと、酒乱の政治家はたまにおり、例えば維新の元勲にして第2代内閣総理大臣の黒田清隆などは、酔っ払って自分の妻を斬り殺したそうです(事実かどうかは議論もあるようですが、それくらいの酒乱であったのは事実のようです)。

ともかく、中川財務相の行動の当否をここで論じるつもりありません。
ここでは、「人の言い訳に接する際の態度」について触れます。

この一件を聞いて、私はなぜか、野球の江川卓投手の引退会見を思い出したのです。
江川選手は引退会見で、「腕の痛みを取って動きを良くするために、選手生命を短くするのを承知で、鍼でツボをついた」と涙ながらに語っていました。

時代的には80年代後半のはずで、高校生だった私は、「北斗の拳」とか「魁!男塾」みたいな話だなと、少し感動しました。ところが後日、鍼灸師の団体から「鍼治療にそんな危険なツボとか治療方法は存在しない」と抗議があったそうです。

選手生命と引換えに針治療の道を選択したと言われると、そういうこともあるかと納得してしまいますが、冷静に考えれば、そんな漫画みたいな便利なツボが人体にあるというのは、たしかにうさんくさい。そんなツボがあれば、オリンピック選手は皆それを突くでしょう。ドーピングにも引っかからないわけですから。

中川財務相は、「風邪薬でワインが増殖した」と言い訳しています。薬と酒は一緒に飲んではいけないとよく言われるので、ああそうかな、と思ってしまうかも知れません。
しかし、風邪薬を飲んだだけで、前日飲んだワインが「増殖」するようなことがあるのでしょうか。

私を含めて、世の中の働く人々には、風邪気味だけど酒には付き合わなければならない、という状況は多々あるはずで、風邪薬と酒を同時に飲んだことのある人もザラにいるでしょう。でも、前日飲んだ酒のせいで酩酊が翌日まで続いた人が果たしているのか。
(もしそんなことが起きるなら、高いワインと安い風邪薬を準備すれば、かなり効率的に酔うことができて便利ですが)

そして、人の言い訳や説明を検証してみて、それが腑に落ちないときは、そこには必ずと言っていいほど、その人にとって都合の悪いウソが潜んでいます。それを糊塗するために、不自然な言い訳にならざるをえない。

ということで、批判する意図は別にないのですが、中川財務相は記者会見の前に相当飲んでいたと思います。
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一時的に戻ってきました。 左上に「裏入口」という小窓が出てくるかも知れませんが、当ブログとは関係ありません。おそらくアダルトサイトへの入口なので、クリックしないでください。
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