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大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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最高裁の痴漢事件無罪判決の異例さについて、続き。

最高裁が原判決を破棄したところまで書きましたが、さらにその上で、自ら無罪判決を出したのも注目です。

最高裁は、基本的には「事実がどうであったか」ということにはタッチせず、「法律の解釈が間違っていないか」と言う点を審理するところです。そのように争点を絞らないと、全国に1つしかない最高裁の機能がパンクしてしまうからです。

だから、原判決に誤りがあったとしても、それを指摘した上で、「こういう観点から事実を審査しなおしなさい」として、事件を高裁に返すにとどまることが多い。これを「破棄差戻」(はき・さしもどし)といいます。

しかし今回は、審理をもう一度やり直すまでもない、事実は明らかだ、ということで、最高裁自ら判決を下した。これを「破棄自判」(はき・じはん)と言います。
つまり、被害者女性の供述を信用し、被告人を有罪とした原判決の重大な事実誤認は明白であり、差し戻すまでもなく無罪は明らかだ、と言っているわけです。

そこまで言われると、有罪判決を出した地裁・高裁は、まるで立場がない。
最高裁があえてそういう踏み込んだ判断をしたのは、刑事裁判、特に本件のような痴漢犯罪の裁判において、それほどまでに、客観的証拠を軽んじ、「証言」の信用性のみを偏重した審理が行われていたということなのでしょう。

ちなみに、無罪判決を下した最高裁・第3小法廷は、最高裁判事15名のうち5名で構成されています。その中で裁判長を務めた田原睦夫判事は、弁護士出身です。ですから最初私は、田原裁判長が弁護士らしく、無罪の立場を押し進めたものと想像していました。

ところが実際は、評決は3対2、田原裁判長は「有罪」の評決に回っていたようです。
弁護士出身の判事ですら有罪と思う事件を、きわどい評決ながら、他の判事たちは無罪とした。判事たちがそれほど、現在の刑事裁判の審理に危機的なものを感じていたのかも知れません。

「100人の犯人を取り逃がすことがあっても、1人の無実の人を有罪にしてはいけない」と、刑事訴訟法の教科書には必ずと言っていいほど書かれています(あくまで「標語」なので、文字通りそう受け取っている裁判官は少ないでしょうけど)。
今回の無罪判決は、そういった刑事裁判の原点に戻れという最高裁の意思表示なのでしょう。
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無題
田原先生は、過払金返還請求事件でも、経済界の立場に立ってらっしゃったし、そういうキャラなんやろなあ、と思います。
よしだ 2009/04/18(Sat)07:56:08 編集
そうですか。
この方は、そういうお考えの方なのですね。
この先生、大阪の法律事務所の方でしたよね。
山内 2009/04/20(Mon)07:55:43 編集
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