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大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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ライブドアの堀江元社長が、自宅への強制執行を受けたそうです。
堀江がライブドアの粉飾決算をしたために株価が下落し、損害を受けた株主が原告となって堀江を訴えた事件であったかと記憶しています。
 
堀江の自宅には、その株主の代理人弁護士や、裁判所の執行官が赴いて、堀江はそのとき食事で外出していたので、同行した鍵師が扉を開けたようです。
 
テレビ報道によると、堀江は自身のブログで、このことを「コソ泥みたい」と述べていたとか。判決で命ぜられた支払いもせずに相手を「コソ泥」はなかろうとも思いますが、この堀江のコメントは、重要なことを明らかにしてくれます。
 
すなわち、外出中の人の家に、鍵まで開けて乗り込んで、建物内の物品を物色している。
こんなことを一般の人がやれば、住居侵入・窃盗未遂で逮捕されます。しかし、裁判所が行えば、完全に適法な手続になるわけです。
 
実力行使を適法に行うためには、裁判などの面倒な手続を要しますが、その手続さえ踏めば、国家権力が権利の実現のために手を貸してくれる、これが法律の力です。
 
なお、差押えされた物品はどうなるかというと、ただちに持ち去られるわけではなく、差押えのシールを貼っておいて(これを勝手にはがすと封印破棄罪という犯罪になる)、後日、競売が行われます。
 
何が差し押さえられたかというと、報道によると、「65型の大画面テレビ、ワインセラー、三味線」などだそうです。ただし、「ホリエモンの手あかつきで、潰れていても保証なし」です。皆さんはいくらなら落札するでしょうか。私ならタダでも要りません。
 
裁判所としては、いちおうは数万円くらいの値をつけたと思うので、堀江がそれらを手放したくなければ、自分で数万円だして買い取ればいい(その代金は差押えをした人への返済に回る)。
 
堀江は「強制執行停止」の手続を取る、と息巻いているようですが、これには相当のお金を担保として積まないといけないはずだし、代理人弁護士としても面倒な手続きが必要になるので、堀江の弁護士は嫌がっているのではないかと想像しています。
 
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当ブログでは基本的に芸能ネタは取り扱いませんが、面白かったので触れてみます。
テレビの芸能ニュースで見たのですが、ナントカいう女優が、日本の芸能事務所をクビになり、今度、スペインに個人事務所を作って芸能活動を再開させるのだそうです。
 
その女優に取材するためには、事前に「同意書」にサインを求められる。その同意書には、誹謗中傷を書かないこと、もし書いたらスペインの裁判所で裁判すること、などが掲げられているらしい。
この笑わせてくれる同意書について、法的に有効なのか否か、検討します。
 
まず、誹謗中傷を書かないという点。ここは、効力があるともないとも言える。
もともと、他人に対し誹謗中傷を行うと、名誉毀損となって民事上も賠償責任を負うし、刑法上も犯罪になる。
だから、この女優に限らず、人さまを誹謗中傷してはいけないというのは、法律で定められているためであって、同意書にサインするゆえではないのです。
 
また、何をもって名誉毀損となるかは、言われた本人(女優)が決めるのではなく、裁判所が社会通念にのっとって決める。ですから、同意書にサインしたところで、公正な報道や批評の範囲であれば、違法となるわけではない。
 
次に、スペインの裁判所にて裁判するという点。これには効力があります。
互いに遠隔地にいる当事者が取引するとき、何か問題が起こったときには裁判所をどこにするかということは、事前に合意で決めておくことができる。これを合意管轄といいます。
日本の出版社とスペインの芸能事務所が国際的な契約をする際に、その一方の国の裁判所を合意管轄で決めておくことも認められる。
 
では、その女優の気に触る報道をしてしまったら、スペインの裁判所に行かないといけないのかというと、必ずしもそうではありません。
日本にも「主権」というものがある以上、スペイン国内で出された判決が、日本国内で当然に通用するわけではないからです。
 
仮にスペインの裁判所が日本の出版社に「賠償金を1000万円払いなさい」と命じたところで、日本国内では強制執行できないので、取り立てることもできない。
外国の判決が日本国内で通用するためには、日本の裁判所での「承認」という手続きが必要なのです。
 
だから、スペインの裁判所から訴状が送られてきても放っておいて、日本の裁判所での承認の際に出ていけばよい、ということになります。
 
日本の裁判所での承認がない場合、スペイン国内では判決が通用しますが、それで困る日本人はほとんどいないでしょう(スペインに不動産や預金を持っていると差し押えられるかも知れませんが、それほどのお金持ちなら弁護士に頼んで何とかできるでしょう。また、スペインに旅行することは自由にできます。)
 
それに何より、そもそもスペインだって日本と同じ立憲国家ですから、女優がどんな裁判を起こそうと、表現の自由を無視したような無茶な判決は出さないはずです。
 
ということで、この女優の今後の活動には興味ないのですが、スペインの裁判所で裁判を起こしてくれたら面白いなと、そこだけは非常に興味があります。
今回は全くの雑談でして、今さらながら、オリンピックについて思い返そうとしています。
 
オリンピックに関する報道を見ていて一番印象に残ったのは、最近のテレビの人は、選手に対して驚くほどバカな質問をするようになったということです。
 
女子モーグルの上村愛子選手はあと一歩でメダルに届きませんでした。その直後、ある女性のインタビュアーが、「モーグルの神様がいたら、何と言いたいですか?」などと聞いてました。
女子フィギュアの浅田真央選手に対しては、ある女性キャスターが、「もし時間が戻せるなら、競技のどの段階に戻りたいですか?」と聞いてました。
 
いずれも、聞いていて腹立たしいほどの愚問です。
オリンピック選手たちはいずれも、徹底したリアリストであり、競技に向けてどのように肉体を鍛え、高めれば、結果を出すことができるか、それを追求してきたはずです。神様とか時間を戻すとか、そんな空想などしたことないでしょう。
 
このような質問は、テレビの人が、その選手や競技について不勉強であるために具体的な質問ができず、そのため抽象的に、何となく深遠なことを聞いていると見せかけようとして、やっているわけです。
がんばっている選手には失礼極まることです。
 
私ごとに結び付けてしまい恐縮ですが、私は司法試験に一度落ちています。
不合格の通知を受けて失意のさなかにある私の前に、見知らぬ女がニヤけた顔でやってきて、「司法試験の神様に何と言いたいですか?」、「時間を戻せるなら、どの試験科目に戻りたいですか?」などと聞いてきたら、私はそいつを殴りつけていたでしょう。
 
これが今回のオリンピック報道で最も印象に残ったことです。
ちなみに二番目に印象に残ったことはと言いますと・・・、
 
藤田まことさんが亡くなった翌日、新聞の一面に藤田まことの写真が大きく載り、その隣に、同じくらいの大きさで乞食のような風貌の男が写った写真が載っていて、一瞬、何の記事だろうと思いましたが、よく見てみるとスノーボードの日本人選手だった、ということです。
 
ああいう見苦しい姿や振舞いも、他のがんばっている選手をバカにするものであって、汚いカッコでいたいなら、最初からオリンピックに色気など出さなければ良いのに、と思いました。
行政指導についての話が続きます。
 
少し話かわって、本日の朝刊で、京都のミシュラン三ツ星の料理屋で食中毒が出て、市役所がこの店を3日間、営業停止処分にしたというニュースが出ていました。
都道府県や市町村は、飲食店の営業許可権限を持っているので、問題が発生したら、許可を取りあげたり、一時停止させたりできる。これらの処分を「行政処分」といいます。
 
一方、同じく朝刊で、新幹線のぞみ号の不具合で煙が車内に立ち込めた事件に関し、近畿運輸局は、JR西日本に対し改善を求める「行政指導」を行ったとのニュースもありました。
 
きちんと調べていませんが、運輸局、さらにその上にある国交省は、鉄道会社が問題を起こせば、その免許を取りあげたり、業務停止させたりする権限があるはずです。
しかし、のぞみ号の一件では幸い大事に至らなかったし、何よりJRを業務停止させてしまうと大きな混乱が生じます。
 
法律に則って「行政処分」を下すには厳重な要件が必要になるし、その影響の大きさから混乱も生じるけど、「行政指導」なら柔軟に行えるというわけです。
 
朝刊がらみでついでに言いますと、子供の虐待事件が今日も載っていました。
非常に微妙で難しい問題ですが、子供の虐待に際し、家庭裁判所が親権を剥奪できるのはよほどの場合に限られる。しかし親への「行政指導」を柔軟に積極的に行なえば、未然に防げる場合もあるのではないかと思います。
 
全面禁煙に話を戻しますと、すでに書いてきたとおり、飲食店を禁煙にしないといけないなどという法律上の義務はない。ただ、昨今の状況から、禁煙のお店で食事したいという人も多いだろうし、禁煙にしたい店主もいるでしょう。
 
そういうときに、「うちの店は禁煙です」と言ってしまえば喫煙派にはカドが立つけど、「役所の指導ですんで」といえば、納得せざるをえないでしょう。
 
前回の記事の最後に、行政指導とは法的根拠のあいまいな部分を「任意の協力」という名目で押しつけるものだ、と書きましたが、一方で大きなメリットもあります。
それは国民の最新のニーズを、社会情勢に応じて、強制でなく実現できるということです。
 
私個人としては、寿司屋でタバコを吸われると腹が立つので、行政指導でどんどん全面禁煙にさせればよいと思います。一方で、シガーバーなどで葉巻と酒を楽しむのもまた好きなので、そういう国民のニーズも汲んで、行政の柔軟な対応を求めたいところです。

全面禁煙通達の続きです。

この厚労省の通知には、私たち国民に対する直接の拘束力はないと書きました。
 
ただ、神奈川県では一歩進んで全面禁止を条例で定めたようです。条例はその都道府県内では法律と同じ効力があり、県民を直接拘束しますし、罰則を定めることもできます。
こういう規制も、神奈川県民が選挙で選んだ県会議員が作った条例によるものだから、民主主義の観点から許されるという理屈になります。
 
以下は、そういう条例がない都道府県を前提にして書きます。
 
厚労省が求める全面禁煙を実現させるための方法は、前回も書いたとおり、地域の保健所が都道府県知事の意向を受けて、飲食業の許可を与える際に「全面禁止にしてくれ」といった「行政指導」を行うことによります。
 
行政指導とは、お役所人が国民に対し、強制するわけじゃないけどその意向に従わせようとすることです。強制じゃなくて「お願い」しているだけだから、法的根拠は不要です。
 
飲食店の許可を与えられるためには、きちんと調べたわけではないですが、所定の試験や講習を受けるとか、衛生面について一定の基準を満たすとか、明確な要件が定められているはずで、それをクリアできれば、本来は許可が与えられるはずです。
 
許可の条件として、「完全禁煙にしないとダメ」などということは、どこにも定められていない。健康増進法25条でも、「飲食店などの施設の管理者は、利用者の受動喫煙防止のための措置をするよう努めなければならない」という「努力義務」が定められているだけです。
 
だから保健所は、全面禁煙でないという理由で「不許可」という裁定を下すと、「法律に書かれていないことを理由にして、国民の職業選択の自由(憲法22条)を妨げた」ということで訴えられます。
 
不許可処分を出して訴えられるのも困るし、かと言って厚労省の通達は無視できない、ということで、「厚労省もああ言ってることだし、ここはひとつ、全面禁煙にしてもらえませんか」と指導するわけです。
 
繰り返しになりますが、これは強制じゃないから、イヤなら従わなければよい。「ウチはタバコを吸う客が多いから、禁煙などできない」と言っておけば足りる。それでもし不許可となったら、上述のとおり、司法の力を借りて行政を訴えればよい。
 
しかし実際には、そんな面倒なことを考える人はほとんどいないし、お役所とひと悶着しているうちに飲食店の許可を得るのが先延ばしになると、商売に支障が生ずる。だからたいていの人は、行政指導に従うことになる。
従ってしまえば、自らの意思で全面禁煙にした、という形になり、役所が後々訴えられることはなくなる、というわけです。
 
かように、今回の全面禁煙に限らず、法的根拠のあいまいなことでも、行政指導を通じて、いろいろ国民に押し付けられてきたのが実情です。
 
今回は行政指導に関する一般論になってしまいました。次回もう少し続く予定です。
厚生労働省が、飲食店など公共的施設での全面禁煙を求める通知を出すそうです。
これを朗報と感じる人も、その逆の人もいるでしょう。この通知がいかなる意味を持つのかということについて触れます。
 
この通知は、誰にあてて出され、どういう内容を持つか。まだ通知そのものが出ていないので詳細は存じませんが、報道されているところによると、厚労省が都道府県知事(政令指定都市の場合は市町村長)にあてて、「地元でよろしく周知徹底されたし」といった内容であるようです。
 
行政(厚労省)が行政(都道府県や市町村)にあてたものだから、これは行政内部の「通達」というものにあたります。そして通達は、私たち国民に対して直接的な拘束力を有しません。
 
どうして厚労省は、都道府県知事を介して、という迂遠なやり方でなく、飲食店主などに直接通知しないのかというと、一つには、そうすると膨大な量の通知が必要になるという物理的な理由があります。
 
でももっと根本的な理由は、厚労省が飲食店主に「全面禁煙せよ」と通知する法的根拠がないことです。
今回の通知は健康増進法25条が定める「受動喫煙の防止」の努力義務をいっそう徹底するためのものですが、この法律には行政が直接国民に「通知」を出せるなどという条文がない。
 
お役所は、法的根拠もなく国民の生活に直接口出しできないというのが、法治国家における大原則です。でも「通達」なら、あくまで行政内部のものという建前なので、法的根拠をやかましく問われることはない。
 
今回の通知を受けるのは都道府県知事で、知事が県の保健所にさらに指示を出し、保健所が地元の人々に飲食店の許可を与えるに際して、全面禁煙にしてください、という行政指導をするのであろうと想像されます。
 
このように、今回の通知はあくまでお役所内部の指針に過ぎません。
この通知には強制力や罰則はない、というのは報道でご存じのことと思いますが、そもそも私たち国民にあてて書かれたものでないのだから、これは当然のことです。
 
とはいえこの通知は私たち国民の生活に影響を与えずにはおかないと思われますので、そのあたりの話は次回に続きます。
最高裁の判例は、下級裁判所の判断を拘束する力を持ち、また国会や内閣にも大きな影響を及ぼす、ということを前回話しました。そしてこの効力は、判決文の中の結論に関わる部分、つまり「判決理由」に関する部分に限られます。
 
それ以外の「傍論」とは、結論に関係のない部分です。
裁判所というのは、具体的に起こった事件について、勝訴か敗訴か、有罪か無罪かといったことを判断するための機関です。その裁判所が、事件とは全く関係のないところで、裁判所の見解はこうだと示すようなことは、本来想定されていない。
 
司法試験に受かっただけであって選挙で選ばれたわけでもない裁判官が、事件を裁く仕事から離れて国の政治問題などに口出ししては、民主主義の観点からも問題であるのは明らかだと思います。
 
でも、現実には裁判所はそれをやります。
最高裁の立場としては、「傍論だから拘束力はないんだよ」という建前でそれを言うのですが、それで最高裁が言った以上、下級裁判所と、さらには国会や内閣に影響を及ぼします。もちろん最高裁の判事もそれがわかってやっています。
 
今回の外国人参政権の例でいえば(具体的な事件の内容は前々回の記事を見てください)、選挙権は日本国籍を有するものに限る(判決理由)、とだけ言えば良かったのに、今後法律を変えて地方選挙権を与えても構わない(傍論)、と言ってしまった。
 
それが、最高裁は外国人参政権にお墨付きを与えた、と一部で解釈され、賛成派は勢いづいたわけです。
 
2月19日の産経朝刊で、平成7年当時この判決に加わった裁判官の一人がインタビューに答えて、その傍論を付け加えた意図を話していました。
 
詳細は、インターネットや当日の新聞を見ていただきたいと思いますが、その元最高裁判事は、外国籍の人たちへの配慮のためだ、彼らのことを全く考えていないわけではないことを示したかったのだ、と言っています。
現在、民主党の一部が進めているように、永住者でさえあれば広く参政権を与えて良いとまでは考えていなかったのだ、と言います。
 
確かに、この元の事件は大阪市で起こっており、韓国籍の人が原告になっています。
大阪市に生まれ育った私にはよくわかりますが、市内には何世代も前から日本人と同様に暮らしている朝鮮・韓国籍の人がいますし、私自身にもそういう知人・友人はたくさんいます。そんな彼らに一定の配慮を示したというのは、全く分からなくもない。
 
しかし、ことは最高裁の判決文です。傍論であれ、それが以後、参政権に関する議論にどれだけの影響を及ぼすか、考え付かなかったはずはないのですが。
 
最高裁はこれまで事件と関係のないところで傍論を示してきて、それは「法の解釈の統一」ということで一定の意味はあったのですが、一方で国政全体に不必要に大きな影響力を与えてしまうという弊害があった。
 
今回の一件は、その弊害がここに極まった、という感じでして、私としては、「最高裁も要らんことしてくれたなあ」という思いです。
前回、外国人参政権についての最高裁判決の内容を紹介しました。
最高裁は「外国人に地方選挙の選挙権を与えることは許容される」との立場であるように読める部分があり、この判決にどこまでの「拘束力」があるのかが、賛成派・反対派で議論の分かれ目の一つとなっています。
 
今回はこの「判例の拘束力」ということについて述べます。
前回述べたように、判決には、結論に至る理由づけの部分(以下「判決理由」と呼びます)と、傍論とがあります。判例の拘束力は、このうち「判決理由」の部分に生じるとされています。
 
判決理由の拘束力については、実は憲法の教科書を見ても議論が錯綜しているのですが、とりあえず、以下のようなものだと考えてください。
 
まず、下級裁判所(地裁や高裁)が、最高裁の判決理由に書かれたことと異なる判断をすると、最高裁に上告して審理をやり直してもらうことができる(最高裁への上告が認められるためには、実は比較的厳しい要件があるので、「上告の理由になる」というのは大きい「法的」な意味があります)。
 
では、最高裁の判決理由と異なる判断を下した下級裁判所の裁判官は、何か「違法」なことをしたことになるのか。「拘束力に反する判決を書いたからクビ」とか、そういうことになるかというと、そうはならないので、法的意味において違法となるわけではない。
 
もっとも、最高裁の判断と違う判決を書くような裁判官は、上からにらまれて、たぶん出世の道も閉ざされてしまうので、従わざるをえない。それでも、勇気ある裁判官は、最高裁が間違っていると思えばそれに反した判決を書くし、それが最後に最高裁をも動かし、判例を変更させることも、稀にはある。
 
こうしたことから、最高裁の判決理由には法的な拘束力はなく、その拘束力は事実上のものに過ぎない、と説明されることが多いです。
 
判例の拘束力とはこのようなものです。役所のトップが内閣であるのと同じように、裁判所のトップが最高裁であり、裁判所としての見解を統一させるのです。ですからその拘束力は、国会や内閣には及びません。三権分立の観点からも、それは当然のことです。
 
最高裁が「憲法違反だ」と判断した法律であっても、国会が「合憲だ」と考えれば、国会としてはその法律を廃止する義務を負わない。もっとも、国会や内閣としては、最高裁の判断を全く無視できるはずもないので、実際には、違憲とされた法律は、国会により改正や廃止の措置が行われています。そういう意味では、最高裁の判例は、国会や内閣にも、事実上の大きな「拘束力」を持つと考えてよい。
 
上に述べたのは、繰り返しになりますが、判決のうちの「判決理由」の部分についての話です。外国人参政権に話を戻すと、それに関する最高裁の判断は、「傍論」に書かれています。そのことをどう読むべきかというのが本題なのですが、以下次回に続きます。
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