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大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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久しぶりにリクエストネタです。

ある若い男性読者から、「居酒屋の『つき出し』は断ることができるか」と、時事問題とは全く関係のないリクエストがありました。
つき出しの比較文化的、社会学的考察については、私の個人ウェブサイトで検討したことがありますが(こちら。酔っ払いの雑談レベルですが)、今回は、法論理的に権利義務の問題として考察してみます。

まず、居酒屋に入ったときに、頼みもしていないのに出てくる、つき出しとかお通しとか呼ばれる小鉢、あれを断ることができるかというと、当然可能です。
権利(この場合は「つき出し1品を提供してもらう権利」)は自らの意思で放棄することが可能だからです。

もちろん、質問者の方が問題としているのは、そういうことでなく、つき出しを断った以上、つき出し相当分の代金を支払う義務を拒否できるか、という点だと思います。

居酒屋では、つき出しの料金として300円程度、会計に上乗せされていることが多いでしょう。
このとき例えば、
「契約とは、注文と受注という意思の合致で行われるものである。しかるに、つき出しは注文していないから、当該部分について契約は成立していない。だから飲食代金のうち、つき出し相当分の300円は支払うべき法的根拠がない」
と、店先で言ったとして、法的に通用するのか。

まず、つき出しを食べてしまったら、「意思の実現」が行われた、つまり、食べるという行為によって店側のつき出しの提供を了承したことになり、代金は発生するでしょう。

では、食べずにおいたままにしたとか、要らないと言って下げてもらった場合はどうか。
この点、解釈は分かれるかも知れませんが、私個人としては、常識外れの金額でもない限り、つき出しの代金を支払う義務は免れないと思います。

社会通念として、居酒屋やバーに行けば、つき出し料とかチャージ代金が発生するのは周知のことであって、そういう店に入って飲食を注文する行為の中には、相応のつき出し料金の負担を承諾する意思も含まれている、こう見てよいと思われるからです。

この辺り、誰かが蛮勇をふるって、「つき出し代金300円返せ」という裁判を起こして最高裁まで争ってみれば、司法の判断が明らかになるわけです。それは私としても大変興味ある裁判となると思うのですが、酒場でそんな無粋なことを言う人は、友達にはなりたくないと思います。
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書こう書こうと思ったうちに時期を逸しておりまして、今さらながら、小室哲哉の執行猶予判決について触れます。

私自身は、5億円も騙し取った以上、返したとはいっても、実刑判決(刑務所に行かないといけない)は免れないだろうと思っていました。
現に、検察側の求刑は懲役5年でした。判決は、検察側の求刑の「2割引」くらいになるとよく言われてまして、それはある程度事実です。3割引くらいの判決が出ると、「けっこう安くしてくれたなあ」と思う。

求刑5年だから、仮に3割引でも懲役3年半。
刑法上、懲役刑は3年を超えると執行猶予がつけられないことになっているのです。
それが、「4割引」の3年にしてもらえた。異例の優しい判決と言っていい。

この判決から、実刑か執行猶予かの分かれ目は何かということについて、2つのことがわかると思います。

1つめ。被害者の気持ちも重要だが、被害弁償が充分になされたかどうかという点が、より重視される。

小室は、騙し取った5億円に、利子5000万円、慰謝料1億円を加えて返済した。被害者はこれを受け取ったが、「誠意が足りない」とし、「示談」には応じず、「まだ許さない」と言っていた。(示談とは何かについては過去の記事へ)

しかし、裁判官としては、「その事件の被害者が満足したかどうか」ということより、「一般的に見て、たいていの人が満足するくらいの弁償がなされたかどうか」という観点で考える。5億円の被害で6億5000万円返ってくれば、いちおう、満足に足る弁償がされたと見ていい。

そうでないと、同じ被害でありながら、被害者がたまたま優しい人だったら示談してくれて執行猶予、そうでなければ実刑となり、それも不合理だからです。

2つめ。
本人の反省も重要だが、その裏付けとなる客観的状況がより重視される。

小室に限らず、金に困って窃盗や詐欺を働いた被告人が、法廷で涙を流しながら、「一生働いてでも弁償します」と言うことは多いですが、裁判官はそれだけでは動かされない。
一生働くといっても、就職先も決まっていない被告人も多いからです。涙を流すだけでは信用されない。

しかし小室なら、音楽活動を再開することで、更生(立ち直り)が現実的に可能だ、と裁判官は見たのだと思います。
小室が被害者に弁償したお金は、エイベックスの人が立て替えたものだから、将来返さないといけないし、前の奥さんへの慰謝料や、自身の生活費もかかる。でも小室なら将来それらを払っていけると考えたのでしょう。

以上、身も蓋もない言い方をすると、「地獄の沙汰も金しだい」ということになります。でも、流した涙の量よりも、出せるお金の額で判決が決まるほうが、まだ合理的であるとは思います。
福岡での三児死亡交通事故で懲役20年の判決について、続き。

まず、「懲役20年」などという判決を聞いたことがありますでしょうか。思い返してみてください。私には、この事件のほかに思い出せません。

これは、近年、刑法が全体として重罰化されたことによります。
従来、「有期懲役」は、長くて15年、特に事情があって重くできるときは20年までとなっていた。それが現在では、長くて20年、重くできるときは30年までとなっている。

危険運転致死傷罪(刑法208条の2)は、怪我させた場合は15年以下の懲役、死亡させた場合は「1年以上の有期懲役」とあるので、死なせてしまうと「1年以上、30年以下」の懲役を科することができる。

「人を3人死なせたのだから、20年でも軽いだろう」という意見もあるでしょう。検察側の求刑は25年でしたが、最高の30年を科すべきだとか、(条文上は不可能だけど)死刑にすべきだ、と思う人もいるでしょう。私自身、子供ができて、この事件の悲惨さは改めて身に染みたつもりです。

しかし、単純な重罰化論は極めて危うい。
たまたまこういう悲惨なケースだから、当然(または軽い)と思う人も多いでしょうけど、この「危険運転致死傷罪」、実はとても恐ろしいものであるということは、知っておいてほしいと思います。

この条文には、「アルコールや薬物で正常な運転が困難な状態で自動車を運転し、人を死亡させた場合」は、「1年以上の有期懲役」とありまして(条文を一部要約)、今回、これが適用されました。

条文にはさらに続きがあって、他にも「車を制御困難な高速度で走らせた場合」、「高速度で通行妨害目的で他の車に接近した場合」、「高速度で赤信号を無視した場合」などにも、その行為がもとで人を死なせると、「同様とする」(つまり1年から30年の懲役)とされている。

高速道路で時速100kmオーバーしたとか、車線が合流するところでちょっと強引に割り込んだとか、信号が変わりかけのところでスピードを上げたとか、これらは道交法違反ですが、実際には、ドライバーの多くの方が経験しているのではないでしょうか。

そのはずみに人をはねてしまうと、怪我だけでも15年以下の懲役、死なせると最高30年の懲役にあたる、条文上は、そう読めるわけです。

もっとも、こうしたケースですべて20年や30年の懲役になるわけではない。福岡高裁が懲役20年の判決を選択したのは、この事件がそれだけ悪質だからです。
しかし、「交通犯罪には重罰当然」という世論ができてしまうと、検察官や裁判官は些細なケースでもこの条文をばんばん適用し、同様の重罰を科するようになるでしょう。

故意による殺人でも懲役10数年にとどまることも多く、また無期懲役といっても20年前後で出所することも多いらしいことも考え合わせると、誰でもはずみで起こすかも知れない交通事故でここまで重くなるのは、やや突出した厳しい条文だと思います。

1審の福岡地裁は、この条文の危険性をよくよくわかった上で、通常の道交法違反や業務上過失致死とは次元の違う重罪を適用してよいか、それだけの証拠があるか、慎重に検討した上で、結論としてその適用を思いとどまったわけです。

地裁と高裁、どちらの結論が正しかったのか、これは私にもわからない、と昨日と同様に逃げておきますが、危険運転致死罪の適用には、どんなに慎重であっても慎重すぎることはない、というのが私の感想です。
福岡での幼児3人死亡交通事故に、福岡高裁が懲役20年の判決。1審・福岡地裁の懲役7年半をひっくり返して重罰にしました。

単純な業務上過失致死罪でなく、「危険運転致死罪」という重罪を適用できるか否かが争点で、1審は「単純な酒酔いと脇見」が原因として業務上過失致死を適用した。

高裁は、検察側が出した新証拠(現場の道が傾いているため、脇見運転はしにくいことを、映像で立証したとか)などをもとに、「正常な運転ができない状態であった、そしてそれがわかって運転していた」と認定したようです。

この事件については、1審のころから旧ブログで何度か論じていました。
福岡地裁は、危険運転致死の適用にぎりぎりまで迷って、最終的には軽いほうの業務上過失致死をとったわけで、その辺の展開を追ってます。数回に渡り長いですが興味があればどうぞ。これこれ

さて、本件ではどちらが適用されるべきだったかというと、私自身は、この事件の記録を見ていないので、どちらが正しいとも言えません。いや、正直にいうと、裁判所の見解すらわかれるケースですから、事件記録を見ても私自身、どちらか判断できないでしょう。

危険運転致死罪はここ10年ほどでできた条文でして、新しい条文ができたときにその適用をめぐって実務が混乱するのはある程度仕方のないことです。この事件が上告されれば、最高裁がどんな場合に「危険運転致死罪」を適用できるか、ある程度の指針を示すことになるでしょう。

条文の適用の話はともかく、懲役20年が軽いか重いかについて述べます。

私自身は(危険運転致死に該当する証拠があったという前提であれば)、大変重いけど法律がそうなっているからやむをえない、というのが感想です。

私は、免許は持っているけど車は持っておらず、一生運転しないことに決めています。そのほうがお金がかからないとか「エコ」だからとか、理由はいろいろありますが、大きな理由の一つは、私自身お酒が好きだからです。
いつどこでお酒を出されても飲めるよう、ハンドルを握らないといけない状況に身を置かないようにしているのです。

だから、お酒を飲んでまでハンドルを握るという行為をしでかした人は、そこから生ずる諸々の責任を負うべきだと思っています。

とはいえ、20年はかなり重いとは思うのですが、そのへんの話は次回に続きます。
相変わらず、更新頻度にムラがありまして、連休あけから何も書いていませんでした。
更新を楽しみにしてくださっている方には(おられるかどうか知りませんが)すみません。

本日もさらに雑談ですが、定期的に当ブログを見てくださっている方以外にも、「検索」で来られる方も多いみたいです。

最近は、たいていのブログで、どんなキーワード検索でたどりついたかが管理人にはわかるようになっていて、当ブログもそうなのですが、それを見ていると、ここに来られる方は何に興味をもっているのかがわかります。

ちなみに、ここ1か月で最も多いキーワードは、「足利事件」でした。DNA鑑定がひっくり返ってしまったというアレです(当ブログ4月21日記事)。

他、多かったキーワードは…。
「偽証罪とは」。羽賀研二の裁判で偽証が行われた疑いがあるという話で触れました(1月28日)。ここでも書いたとおり、立件される数はかなり少ないのに、興味ある方が多いのでしょうか。

「逮捕 要件」。裁判官が逮捕されたことに絡んで書きましたが(2月24日)、草なぎクンの逮捕で、また検索される方が増えたように思います。
で、「公然わいせつ罪」のキーワード検索も増えました。これも草なぎクンの影響です。

「動産差押」。これも多いです。動産を差し押さえたい人が調べているのか、動産を差し押さえられた人が見ているのか(3月11日、15日記事)。

「名誉毀損 賠償額」も、けっこう多い。名誉を毀損された、またはしてしまった人が、妥当な賠償額を調べているのでしょうか。この話は3月27日記事で書きましたが、物を壊すのと違って、賠償額の基準は一律に算定できるものではありません。

「衣服 精液」というキーワードも、何件かありました。器物損壊罪にあたります(4月3日記事)。同様の事件が、世の中ではしばしば起こっているのでしょうか。

「弁護士はスケベ」。1件。こんな話を書いた覚えはないのですが、どこに引っかかったのでしょうか。それより、これで検索した人が何を調べようとしたのかが気になります。
弁護士はスケベか否か、それは人それぞれです。ちなみに私は違います。

読者の方も、興味ある事件などありましたら、リクエストをお寄せください。極力お答えします。
さしあたって次回のテーマは、福岡の児童3人死亡交通事故の高裁判決(懲役20年)の予定です。
ゴールデンウィークが明けました。

当事務所は暦どおりに業務を行なっており、今日と明日は私が東京地裁での弁論に出廷するため、日帰りで東京・大阪を往復しています。
今日は、東京駅から東京地裁へ向かう道路も、心なしかすいておりまして、世間にはまだ連休の続きを過ごしている人がいるのだろうなと思いました。それで、当ブログでも連休を引きずりつつ雑談を。

連休はいかがお過ごしでしたでしょうか。
私は、天気が悪かったこともあって、だいたいは自宅におり、息子とジャレてたり、初節句のお祝いをしてたりしてました。

元旦生まれの息子は無事5か月目に入り、日々大きくなっています。
毎日、起きて、泣いて、母乳を飲んで、笑って、寝て、の繰り返しです。
特に、長時間眠ってお腹がすいて目覚めたときの泣きっぷりと、その後、母(つまり私の妻)の胸にしがみつかんばかりにして鼻息も荒く母乳を飲んでいる姿を見ていると、「ああ、これが生きてるってことなんだなあ」と、わけもなく感動してしまいます。

もうずいぶん昔のことですが、旧ブログで、「生きる意味」について書いたことがあります。
とは言えたいそうなことは書いていなくて、肉体が生きて活動していること自体が尊いことであり、それ自体が生きる意味だと思うと書きました(これ)。
息子が生まれて、改めてその思いを強くしています。

うちの息子に限らず、産まれてきたばかりの子供は、母乳を飲んで、手足をばたつかせて、とにかく生きようとしている。それがいつしか大きくなって知恵がついたあたりから、自分は何のために生きているのかとか、人生の意味って何なのかとか、そういうことを考えだす。

もちろん、人生について思索を深めるのは良いことだし、誰でも一時期、そういうことを考えてみるべきだとは思う。しかしそれが「俺は人生の意味が見出せないダメな人間だ」とマイナス思考に働いてしまうとすれば、人生の意味なんて考えないほうが良い。

私と妻、そして親族にとっては、ウチの息子はもう、生きているだけで嬉しく、尊く、充分すぎるくらいに意味がある。
そして、すべての人が必ず、誰かにそう思われながら、産まれて生きてきたはずなのです。
それだけでもう、この人生とこの世の中は生きるに値するのではないかと、息子を見ながら最近そう思っています。
草彅剛の公然わいせつ問題、最後にもう少し。
(ちなみに、自宅のパソコンだと「草彅」が漢字で変換できました。皆さんの画面にはきちんと漢字が出ているでしょうか)

まず、私の予測が大きく外れてしまったことに触れなければいけませんが、早くも「不起訴」の処分が出ました。前々回、もっと時間がかかると書いたのですが。

それから、この事件を扱っていたのは、「東京地検」ではなく、「東京区検」だったので訂正します。
「区検」は、裁判所でいえば地方裁判所でなく簡易裁判所に相当し、軽微な犯罪を扱うところです。区検の検事がヒマだったわけではないでしょうけど、世間を騒がせた事件だから、早めに幕引きをしたかったのでしょう。

「不起訴」にも色々ありまして、明らかに無罪だとか、証拠不充分だとかいう理由で不起訴になることもありますが、今回のケースは「起訴猶予」であるようです。これは、充分「有罪」にあたるけど、本人の将来を考慮して大目に見てやるということです。
いずれにせよ、裁判にはならなかったので、草彅クンが前科者になることは免れました。

さて今回の事件では、草彅クンに対する擁護論が、多くのファンや、一部マスコミから出ました。
一方、新聞なんかで、見知らぬオッサンが酔って裸になって逮捕されたという記事を見たとしたら、「不潔ッ、こんな変質者は逮捕して死刑にしてやれ」と思う人は多いでしょう。
でも草彅クンが全く同じことをしたら、多くの人が「かわいそう、何で逮捕したんだ」と感じる。

しかし、草彅クンの今回の事件に限らず、一見どんな救いのない事件であっても、「かわいそう、何で逮捕したんだ」と思う人は、必ずいる。たまたま草彅クンが男前で国民的アイドルだったから、そう思う人の数が多かっただけです。

事件を起こしてしまった人に、警察や検察、それにマスコミが加わって「厳罰だ」と吊るし上げるだけの社会は、極めて異様であると言えるでしょう。吊るし上げられる人が、草彅クンや、自分の好きなアイドルであったり、さらには自分の家族や友人、そして自分自身であったりしたときに、そのことが明らかになると思います。

そして、世の中がそんなことにならないように奔走しているのが、刑事弁護を扱う弁護士たちなのです。
と、最後に手前味噌なことを書いて、草彅クン関係のお話を終わります。
草なぎ剛の事件、さらに続き。彼を逮捕したことは妥当だったかという点について。

私は、妥当であったと考えています。
法律家としては、逮捕の適否を考えるに際して、草なぎクンはいい人なのにかわいそうとか、そういうことを考慮の要素にしてはいけない。刑事訴訟法に規定されてある逮捕の要件、つまり逮捕の理由と必要性があったかなかったかで判断することになります。

以前ここでもやや詳しく触れましたが(こちら)、逮捕の理由とは容疑があること、必要性とは逃亡の可能性や証拠隠滅の疑いがあることを指します。

この事件の場合、警察官の目の前で現に裸になっているから、公然わいせつの容疑があることは明らかです。
逃亡の可能性については、有名人だから逃亡することは考えにくくても、逮捕当時の警察官が相手は草なぎクンだと気づいていたかどうか不明だし、行動の異常さからして、その動機(つまり薬物の影響)を洗う必要があり、逮捕せず帰すと証拠隠滅の疑いはあった。

法律の解釈を抜きにしても、自宅周辺に男が全裸でわめいているような状況になれば、誰だって逮捕してほしいと思うでしょう。
このときに現場の警察官が、「公然性はあるかないか」とか、「わいせつの定義にあてはまるか」とか、「彼はホントはいい人なんじゃないか」とかいったことを考えて逮捕をためらうようになれば、到底、街の治安の維持は望めません。

あと、逮捕でなくて「保護」されるべきであったという指摘も見られます。
いわゆる「トラ箱」です。酔っ払いは警察の留置場に一晩とめおかれて帰される、というものです。

これは、私もきちんと調べたわけではないですが、「酔ってクダをまいている」というレベルならともかく、「全裸でわめいている」という状態まで加わってしまうと、これは一見して「変質者」であって、「トラ箱」のレベルではなくなっているように思います。

今回もし、草なぎが逮捕されなかったとすれば、タチの悪い酔っ払いや、露出狂や、その他諸々の変質者はきっと喜ぶでしょう。「酔って裸でわめいてても警察に逮捕されない」という先例ができてしまうわけですから。

またこの場合、「草なぎクンはいい人だから逮捕されない、その他の人は悪い人だから逮捕していい」というのはあり得ない考え方です。警察が逮捕に際して、法律の解釈を離れて、人格による差別をすることを認めることになるわけですから。

以上のことから、草なぎ剛の逮捕はやむをえない、というか当然のことと考えています。
何だか弁護士でなくて検察官みたいないことを書いてしまったような気がしますので、次回、もう少しフォローが続く(かも)。

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