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大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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最高裁が正当防衛に関して注目すべき判決を出しました。

被告人とされた女性は、不動産をめぐるトラブルから、不動産会社の社員らがその女性の自宅兼事務所の壁に「立ち入り禁止」の看板を取り付けようとしたのが原因で言い争いになり、その社員の胸をついて転倒させ、怪我をさせた、ということのようです。

人の胸を突き飛ばすのは暴行罪、怪我をさせると傷害罪にあたるのが原則ですが、最高裁は16日、この女性の行為を、正当防衛にあたり無罪であるとした。

正当防衛を定めた刑法36条によりますと、
「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない」とある。
もっともその行為は真に「やむを得ずした」ものである必要があり、行き過ぎ、やり過ぎがあると「過剰防衛」として有罪になります。

例えば、相手に殴られそうになったから、自分の身を守るために殴り返した、という場合は正当防衛になる余地がある。しかし、武器を持って反撃したとか、体格の勝る男性が華奢な女性に本気で殴り返したとかすると、過剰防衛になるでしょう。

さて、冒頭のケースが目新しいのは、この女性は、不動産会社の社員から自分の身に危害を加えられようとしていたわけではない点です。あくまで、自宅に「立ち入り禁止」の看板をかけられそうになったということです。

条文によりますと、自己の「権利」を防衛するため、とあるので、自分の生命や身体を守る権利に限らず、自分の財産権を守るための行為でも、正当防衛の対象にはなる。しかし、生命・身体に対する危害に比べると、緊急性の度合いは低いので、なかなか正当防衛は成立しにくいと一般的に考えられていました。
今回の判決は、最高裁が実際のケースでこれを認めた点が画期的です。

詳しい状況については新聞記事には簡単にしか書かれていないのでよくわかりません。問題となった不動産が本当は誰の物であるかもよくわかりません。
それでも、そんな状況で看板を無理やり取り付けてしまおうとした不動産会社側の行為も相当に問題ありということで、突き飛ばした行為もやむをえないとしたのでしょう。

おそらくこれは極めて例外的なケースであって(不動産会社側が相当に執拗でひどいことをしていたのではないかと想像しています)、財産を守るための正当防衛は依然、今後もめったに成立しないものと思ってもらっていいです。

たとえば知人が貸した金を返さないからと言って、脅したり殴ったりすると、脅迫罪や暴行罪に問われますので、不用意な実力行使は決してすべきではありません。
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刑事事件に関する注目すべき判決が出ていますが(緒方元検事長の詐欺の有罪判決や、財産侵害に対する正当防衛を認めた最高裁の無罪判決とか)、ひとまず、ツッコミ所の多い事件から触れてみたいと思います。

東武線の駅員が「しっかりしてない」ことに腹をたて、東武線の特急電車のトイレに備え付けのトイレットペーパー2個を流して詰まらせたということで、50歳の男性が、器物損壊罪と偽計業務妨害罪の容疑で逮捕されました(16日夕刊各紙)。
動機はともかく、便所に紙を詰まらせると犯罪になるのか、検討します。

まず、器物損壊罪。
当ブログでも何度か書きましたが、損壊とは、「物の効用を喪失すること」、平たく言えば、もはや使えない状態にすることを言います。

たとえば、「食器に放尿した」という事案が器物損壊罪になったという事案は古くから有名で、これはたしかに、おしっこをかけられた食器なんて、いくら洗っても、そんな汚らしいものを、もはや使う気になりません。
しかし、便所に紙が詰まったというだけなら、その紙を取り除けばまた使えるのであって、もはや使う気にならないと言えるかどうかは疑問であると、私は考えます。

もう一つの、偽計業務妨害罪。
これは文字のとおり、偽りの計略を用いて他人の業務を妨害することを言い、字面の上だけでは、ちょっと知能犯的なニュアンスのある犯罪です。

しかし、便所にトイレットペーパー2個分を詰まらせるという行為は、どう考えても、あまり頭の良さそうな犯罪ではない(いちおうフォローしますがこの被疑者の職業は塾講師だそうで、本当はきっと頭の良い人だと思うのですが)。

果たして便所に紙を詰まらせるのが「偽計」なのか。
刑法の教科書によりますと、「目に見えない方法」で業務を妨害するのがこの偽計業務妨害罪で、「目に見える方法」で妨害するのが威力業務妨害罪であるとされます。威力とは、「人の意思をくじくほどの力」とでも理解してください(いずれも懲役3年以下で、罪の重さは同じです。刑法233条、234条)。

たとえば電車のシートに、目に見えないように針を埋め込むのは「偽計」で、乗客の目に触れるような形で針を刺すのは「威力」であるとされます。

便所で言えば、目に見える形で便器いっぱいに紙が詰まっていれば、「何でェ、こんな便器、使えねえじゃねえか」(東武線なので東京弁で)と、用を足そうとしていた利用者の意思をくじくので威力業務妨害になります。

本件は偽計業務妨害が適用されたようなので、たぶん、
「一見してわからないけど、便器の奥深くに紙が詰め込まれてあって、利用者が用を足したあとに水を流そうと思ったら詰まっていてエライことになった」という状況であったのではないかと想像しています。
利用するほうにとっては、そっちのほうがよほどショックで、これこそ意思をくじく「威力」に該当しそうな気もするのですが。

偽計か威力かはともかく、不用意に便所を詰まらせると「業務妨害」になるというのが、警視庁の解釈のようです。ということで、公共のトイレを利用する側は今後注意すべきかも知れません。
暑い日が続きますので(ということを言い訳に)、職務に全く関係なく雑談を書きます。

最近、「ハイボール」に人気が出ているようです。
ハイボールとは、ウイスキーをソーダで割ったものと理解しておいてください。
広義には、「強いお酒を炭酸やジュースで割ったもの」を広く指すらしいのですが(「酎ハイ」とは「焼酎のハイボール」の意味です)、いま広まっているのはウイスキーのソーダ割りだと覚えておけば間違いないです。

昔は、サントリーが「トリス」という安いウイスキーのハイボールを流行らせましたが、最近のブームも、やはりサントリーの「角」ウイスキーの宣伝が起爆剤になっているのでしょう。

私はここ10年ほど、ハイボールが好きでして、バーに行けば必ずオーダーしますし、自宅でもウイスキーをソーダで割って飲んだりしています。居酒屋ではあまり飲みませんが、最近では居酒屋などでも出てきます。

最近再びハイボールが広く飲まれるようになった理由として、どこの新聞かは忘れましたが、経済的事情を挙げる解説がありました。
居酒屋などで飲むハイボールは、生ビールのジョッキよりは安い。また自宅で飲むにも、ウイスキーと炭酸水を買えば、1杯あたりの単価は缶ビールより安くなると。

たしかにそういった事情はあると思いますが、ただ私は、ハイボール好きとして、ビールよりも安く飲める「代替品」のように紹介されている点は不満です。発泡酒や「ホッピー」は、最初から低価格路線を目指していると思うのですが、ハイボールはれっきとしたカクテルなのです。

それに、居酒屋や安い酒場で2~300円で出てくるハイボールは、私も何度か飲みはしましたが、どれもおいしくはありません。これまで、ハイボールを飲んで不味かったと思った方は、ぜひ一度、きちんとしたバーへ行ってハイボールをオーダーしてみてください。

例えば「サンボア」などはお勧めです。
大阪に7軒(北新地船大工通り、堂島アバンザの裏手、新梅田食道街の2階、お初天神の裏手、ヒルトンプラザの地下、心斎橋八幡筋のハマムラの隣、清水町通りの清水町会館)、京都に3軒(寺町通り、西木屋町通り、祇園の南側)、東京に1軒(銀座5丁目)あります。

暑い日の仕事のあと、帰り道が上記のエリアにある人は、ぜひ一度立ち寄ってハイボールを飲んでみてください。居酒屋の薄くてまずいハイボールに慣れた方には、驚くくらいに旨い一杯であるはずです。
会計は2杯ほど飲んで3000円くらいでしょう。居酒屋で飲むハイボールよりは高いですが、キャバクラへ行っておそろしく不味い水割りを飲まされて万単位のカネを払わされるよりはよほどリーズナブルに、くつろぎの時間を過ごせると思います。

梅雨明けも近いでしょう。暑い日が続きますが、たまに旨いハイボールでも飲みながら、皆さまご自愛ください。
JR宝塚線の脱線事故(平成17年)で、ついに刑事裁判が行われることになりました。
神戸地検は、事故当時の鉄道本部長で現社長の山崎氏を業務上過失致死傷罪で起訴しました。

この事故では100人を超す乗客が死亡しており、悲惨な事故であるのは間違いない。
事故の直接の原因は、運転士の居眠りのようですが、こういう場合、事故の責任は個人のみならず、その人を従業員として使用する側(この場合はJR西日本)にも賠償責任が発生する(使用者責任、民法715条)。この場合の責任とは、民事上の賠償責任、つまりお金で償う責任です。

では、それだけでなく、刑事責任まで問われ、場合によっては刑務所まで行かなければならなくなるのか。
「会社」そのものを刑務所に入れるのは不可能なので、その代表者や、その業務の責任者について、それを検討することになる。

たとえば、ホテルやデパートの火災で人が死んだとき、消防法に定められたスプリンクラーを設置しなかったせいで被害が拡大したとして、社長が業務上過失致死罪に問われることがある。

今回のJR事故では、スピードが出過ぎた場合に自動的に停止する装置を線路に設置していなかったことが「過失」の一つとされたようですが、少なくとも当時、そのような法的義務は定められていなかった。
それに、すべてのカーブに自動停止装置を備えようと思ったら、コストもかかるわけで、それは運賃に反映されるわけです。

後から考えれば、ああしておけば良かったということはいくらでも指摘できる。それを理由に、民事賠償の責任は負うとしても、刑事罰までくらわせるべきなのか。

これで起訴されるのなら、鉄道事業を行う人がいなくなる、と関係者の一部は指摘しているようですが、ことは鉄道事業に限らず、人を雇って仕事をするすべての人に当てはまります。従業員が交通事故でも起こしたら、経営者まで一緒に刑務所に入れられるようなことになると、産業そのものを大きく委縮させることになる。

今回の起訴は、事故による被害の大きさと、被害者や遺族の感情、そして世論というものが大きく働いたはずです。この世の「正義」を代表しているように見える検察でさえも、世論は非常に気にしているわけです。

企業や組織における「過失」とは何なのか、裁判所の判断はきっと、注目すべきものになるでしょう。その答えをまずは待ちたいと思います。
最近、テレビでよく弁護士を見かける気がします。
いえ、報道番組やバラエティ番組のコメンテーターとしてなら、以前からなのですが、最近増えつつあると思うのは、「記者会見に同席する弁護士」です。

少し前の、草なぎクンの復帰会見もそうでしたし、さらに最近なら、民主党の鳩山さんの違法献金疑惑の釈明会見もそうでした。アメリカでは、マイケル・ジャクソンの死亡時に一緒にいたとされる医師が「重要参考人」扱いされ、マスコミに対して「弁護士を通じて」回答したとか。

弁護士が記者会見に立ち会うといえば、従来は、注目される裁判の判決が出た直後に、弁護士会館の一室に記者を集めて、というのが典型的でした。
あれは、出された判決にはどういった意味があるのかといったことを、法律の専門家としての立場から、マスコミや国民向けに説明するという意味がある。

しかし、草なぎクンが「お酒飲んで裸になってすみません」というだけの会見に、弁護士が立ち会う意味はない。

鳩山さんの会見だって、政治資金規正法違反にあたるのかどうかという法的なことを聞かれているのでなく、献金について帳簿上どのように記載されていたのかという「事実」を説明する場なのだから、弁護士の必要はないと思える。

だから、こういう場合の弁護士は、立ち会ってもらうと何となく正々堂々、正しいことしていそうに見えるという「イメージ」的な効果と、
厳しい質問が出て答えに窮したとき、弁護士が「現時点において当該質問にお答えする法的義務はないものと思料します」とか難しいことを言ってケムに巻いてしまう「逃げ」の手段という、そんな役割を担わされているのだと思います。

私には、いずれも弁護士本来の仕事でなく、「便利使い」されているだけのような気がしてなりません。そして幸い私には、記者会見に立ち会ったとか、立ち会うよう依頼されたとかいう経験はありません。

ただ、「立ち会い」にもいろいろありまして、これまで私に相談された中では、「彼女と別れたいんですけど、別れ話をするのに立ち会ってもらえませんか」というものがありました。
これこそまさに、弁護士の仕事ではないので、「それくらいは自分で切り出しなさい」と言ってお断りしました。
マイケル・ジャクソンが遺言書を残していたとか。
新聞等でその内容や写真が報道されていますが、日本の遺言制度とは違うところもあるようなので、その点に触れてみたいと思います。

まず大きな違いですが、マイケル・ジャクソンの遺言は、写真で見ると、ワープロで打たれたものに、自筆でサインした体裁を取っています。
日本では、自分で遺言を書くときに、この体裁を取ると無効になります。自分で行う遺言(自筆証書遺言)の場合は、その全文と、日付と署名を手書きする必要がある。
なお公証役場に行って公証人に頼めば、きれいにワープロで打った遺言(公正証書遺言)を作ってくれます。

ではマイケル・ジャクソンはどんな遺言を書いたか。また日本で同じような遺言を書いたとしたら、それは有効になるのか。

「遺産は482億円である」
これは日本でもアメリカでも、意味はないでしょう。本人がどう言おうが、死亡時に存在する財産から負債を引いたものが遺産になる。

「遺産は『マイケル・ジャクソン・ファミリー・トラスト』に移す」
これは有効で、日本でも同種のことが可能です。遺産を、特定の個人や法人に委ねることは認められている(信託法2条、3条)。

「遺言執行者はジョン・ブランカ(弁護士)と、ジョン・マクレーン(知人である)」
有効です。遺言執行者(遺言にのっとって遺産わけの仕事をする人)も、本人が遺言で指定できる。

「私の子供は3人で、他に子供はいない。前妻との婚姻は解消されている」
これは無効です。その人の子供が誰か、妻がいるかどうかは、戸籍の記載やその他の客観的事実から決まるのであって、遺言に書くことで決まるわけではない。

「子供の後見人は母キャサリンで、母が亡くなったら友人のダイアナ・ロスに任せる」
未成年の子供の後見人を指定することは可能で、日本でも有効です。ただ、第1候補、第2候補まで決めることができるかどうかは微妙です(調べていませんが、第1候補が亡くなったら、家庭裁判所が選任するのではないかと思います)。

「前妻には相続させない」
これは無効です。前妻、つまり離婚した配偶者には、日本法では相続権がもともとありません。また、上記のとおり、その配偶者が戸籍から除かれていなければ、いくら亡くなった本人が「妻はいない」とか「相続させない」と書いたとしても、妻の身分が認められ、相続権が発生します。アメリカではどうなっているのか知りませんが。

ということで、マイケル・ジャクソンにならって自分も遺言を書いてみようかな、という人は(ブログ読者にはいないと思いますが)、気を付けてください。
東国原さんや橋下さんたち知事が、ついに国政に打って出るかも、という状況になりつつあります。

東国原知事は、地方分権を実現するために国政に行く、という趣旨の発言もされているようです。橋下知事が、国が地方に多額の「負担金」を支払わせていたことに対し「ぼったくりバー」と批判したのも記憶にあたらしい。

自民党がこの2人にアプローチしているのは、選挙での人気取りもあると思いますが、地方分権や地方への財源の委譲がどこまで実現するか、興味はあります。
私は、財政や地方自治のことは全然知らないのですが、思ったことを少し書きます。

大昔、徳川幕府は、いろんな名目で各藩の大名から上納金を取っていたでしょう。明治政府は中央集権国家の実現のため、これをさらに推し進めた。かなり乱暴な理解ですが、こういう制度が現在も、国が地方に支払わせる負担金の形で残っている。
しかしそれは、「統一国家」である以上は仕方がないように思います。

私の身近なところで、司法制度を例に挙げます。
司法権というのは、最高裁判所と、その下にある下級裁判所(高裁、地裁など)に属すると憲法に書いてあるから、いかに地方分権を進めるといっても、裁判に関する権限を地方自治体に与えることはできない(そうでないと都道府県・市町村ごとに裁判制度が違って混乱するでしょう)。

中でも身近なものに、国選弁護人制度がある。刑事事件で起訴された被告人が経済的理由などで弁護士をつけられない場合に、国の費用で弁護士をつける制度です。
近年、この制度が拡張され、逮捕された被疑者(容疑者)になった段階でも広く国選弁護人がつくようになった(逮捕直後に弁護士が必要なのは、多くの冤罪事件を見ても明らかです)。

この国選弁護人に対する報酬は、「国」から弁護士に支払われます(国から被告人や被疑者にあとで請求される建前になっていますが、免除されることも多い)。では国が、このお金を払わないと言ったらどうなるか。

国選弁護人は、弁護士が安い報酬で行うことになっています(あまりに安いので私は現在、国選の仕事を受けていません。前回の話にも絡みますが、司法改革の影響で今後そういう弁護士が増えるかも知れません)。

国が、国選弁護の報酬を廃止するなどと言い出すと、いよいよ国選弁護をやる弁護士がいなくなる。
弁護人がつかないと、刑事裁判ができない(憲法にそう書いてあるため)。犯人なら刑務所に送る、無実なら早期に釈放する、という処理ができなくなるわけです。

すると「容疑者」とされた人は、有罪とも無罪ともつかないまま、警察署の留置場などに留め置かれる。そのうち留置場がパンクして、「容疑者を逮捕できない」状態になる。
そんなことが、皆さんの地元の警察署で起こったらどうなるか。間違いなく、皆さん方の「地方」の治安が極度に悪くなります。

つまり、「地方」の治安は、「国」が出すお金のおかげで維持されているのです。

かように、国のお金が地方に活かされているのと同様に、地方のお金も国のためにある程度の負担があって当然であると思います。

橋下さんは「国は『ぼったくりバー』だ」と言いましたが、私にはどうしてもこの発言は、
これまで店主(国)と客(地方)が持ちつ持たれつの信頼関係でやってきたところに、突然、「明細書を出せ、この会計は何や、こんなもん払わん」と、ガラの悪い客ががなり立てているような印象を受けてしまうのです。

国家の財政により地方が恩恵を受ける一方で、地方が国に対して一切の負担をしないというのなら、地方こそぼったくりではないかと思うのです。
マイケル・ジャクソンが亡くなりました。
(ちなみにマイケル・ジャクソンといえば、お酒好きの私にとっては、同姓同名のウイスキー評論家がいて、そちらを思い浮かべてしまうのですが、こちらのほうは2年前に亡くなっています。それはともかく)

各紙、マイケル・ジャクソンの死亡記事の中で、全盛期の活躍ぶりと、晩年の奇行に触れていましたが、中でも私が引っかかったのは、児童虐待の容疑で刑事裁判を受け、無罪にはなったものの、多額の弁護費用を要し、それが没落のきっかけの一つとされている部分です。

その弁護士はいくら報酬を取ったのだと、そういう下世話な興味もわきますが、自分を護ってもらうために弁護士に依頼して、それで経済的に困窮してしまうとしたら、これこそまさに本末転倒です。

日本ではさすがに、「弁護士に費用を払うために家が傾いた」という話は、聞いたことがないように思います。
お金さえ払えば凄腕の弁護士を雇うことができ、それで無罪判決を勝ち取れるというのは、いかにもアメリカ的です。

私の所属する大阪弁護士会にも、刑事事件の凄腕と呼ばれる弁護士が何人もおりますが、失礼ながらどの弁護士も、さほど儲けているとは思われず、くたびれたスーツを着て、警察署や拘置所へ走り回って容疑者や被告人と面会しています。
高い能力がありながら、安い給与で公設の法律事務所に在籍し、金銭的余裕のない人の刑事弁護に奔走する人もいる。
大阪に限らず、それが日本における刑事弁護の風景であると思います。

近年の司法制度改革で、こういった風景が今後、アメリカ的になることが予想されます。
弁護士の数が増えて、ある程度は競争が生じることになる。経済界は、競争によって弁護士費用が安くなって歓迎するでしょうけど、かわりに、刑事事件のような経済的効率の悪い仕事を受けていると競争に負けるから、扱わなくなる弁護士が増えるのは間違いない。

一方で、一部の金持ちが捕まった場合は、カネの力で刑事弁護に精通した一握りの優秀な弁護士を雇うことができるようになる。

そして遂に始まった裁判員制度のもとでは、アメリカの陪審員裁判と同じように、弁舌やパフォーマンスに長けた弁護士が、素人の裁判員を丸め込んで無罪判決を勝ち取ることがあるかも知れない。

日本の司法改革が、司法の場にもアメリカ流の市場原理主義を取り込むのが目標だというのであれば、マイケル・ジャクソンの事件で垣間見たことが、日本の刑事司法の行き着く姿かも知れません。
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