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大阪市西区・南堀江法律事務所のブログです。
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京都・舞鶴の女子殺害事件で、窃盗罪で服役中の60歳の男性を逮捕。

以前、この男性の自宅が家宅捜索されたときにも、この事件に触れましたが(こちら)、改めて書きます。

さて、この男性が犯人なのかどうか。
報道によると、殺人の前科があり、近所でも鼻つまみ者だったようで、いかにもあやしい。
防犯カメラに被害者と一緒に写っているのがこの男性「っぽい」とか、一緒にいるのを見たという目撃証言もあるそうです。しかし、それだけでは殺したことの証拠にならない。

記者会見した京都府警の人は、証拠があるのかといった点については「コメントは控える」としている。裁判官が逮捕状を出している以上は、何か証拠があるはずなのですが、警察は手持ちの事件の証拠について国民に説明する義務などないので、ノーコメントは仕方がないでしょう。

この男性が犯人なのかどうか、ここで推測であれこれ言っても仕方ないのでこの程度にしますが、ただ私は、ちょっと怖いな、とも感じました。

新聞などではよく、事件の容疑者が逮捕された時点で、「犯人」が捕まったかのような報道をします(本当に「犯人」かどうかは、刑事裁判で判決が出るまでわからない)。
しかし今回の事件では、新聞報道すら「だいじょうぶか?」との疑念を持っている印象がある(たとえば産経8日の見出しには「公判維持いぶかる声」など)。

今回京都府警が取った捜査手法が一般的に通用するのなら、「証拠がとぼしくても、あやしいというだけで逮捕される」ということになる、それが怖い。

この事件で上記の男性は賽銭泥棒や下着泥棒をして窃盗罪で逮捕された(「別件逮捕」の疑いがあるのは上記の過去の記事へ)。そして家宅捜索を受け、殺人罪で逮捕された。

たとえば私の身近なところで殺人事件が起きたとして、町内の防犯カメラに被害者と私がたまたま写っていたとする。そして私がある日、何らかの罪で逮捕される(たとえば花見で一杯飲んだ帰りに自転車に乗っていて「道交法違反」とされる)。その身柄拘束中に自宅の家宅捜索が行われ、身に覚えのない殺人罪で逮捕される。そういう可能性があるわけです。

さらに、最近検討されている、殺人などの重大事件については時効を50年くらいにするとか(現在は25年)、時効をなくすとかいう話とセットで考えると、非常に怖い。

身に覚えのない殺人事件について、「お前、50年前に死んだ被害者と一緒に防犯カメラに写ってたぞ」といわれ、「50年前の何月何日、どこで何してたんだ」とアリバイを求められるかも知れない。

今回逮捕された男性が犯人であれば良いなと思っているのですが、一般論としてはちょっと怖いことが行われているということは、意識していただきたいと思っています。
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神奈川にて、電車内で女性の衣服につばをすりつけた男性(34歳)が、現行犯で逮捕される(1日)。
「美人を汚したかった」というその動機はともかく、この行為が何罪にあたるかというと、暴行罪です。

これまでも何度か触れましたが、殴るだけが暴行ではない。
暴行の定義は「人の身体に有形力(物理的な力)を行使すること」なので、つばのついた手をこすりつけることも、人の体に力を加えたことになるので暴行にあたる。人の顔などにつばを吐きかける行為も、判例上、古くから暴行とされている。

話変わって、私が弁護士になってすぐのころに担当した刑事事件で、電車内で女性の衣服に精液をとばしたというのがあったことを思い出します。この男性は器物損壊罪で逮捕されました。

損壊の定義は「物の効用を喪失させること」、つまり台無しにすることです。
見知らぬ男性の精液がかかった衣服など二度と着たくないだろうから、衣服という器物を損壊したことになる。

このとき、精液が衣服ではなくて、手など素肌の部分にあたったらどうなるか。衣服は損壊していませんが、精液を飛ばすという物理的な力を行使したことにはなるので、暴行罪にあたるでしょう。

ここで冒頭の事件に戻ります。上記の神奈川の男性は、つばを衣服につけて暴行罪で逮捕された。器物損壊罪ではない。
警察の解釈は、少々つばをつけた程度では、服を台無しにしたことにならない、洗濯すればまた着れるということなのでしょう。

整理しますと、つばの場合は、手にかけても服にかけても暴行罪。精液の場合は、手にかかると暴行罪で、服にかかると器物損壊罪。女性にとって何が一番イヤでしょうか。暴行罪の場合は2年以下の懲役、器物損壊罪なら3年以下の懲役です。

さらに話が変わって、吉本新喜劇の浅香あき恵が、「鼻のアブラをとばす」というギャグをやりますが、本当に鼻のアブラを人の衣服にとばしたとしたら、はたして暴行なのか器物損壊なのか。

と、決して悪ふざけで書いているのではありません。
他人に迷惑をかけるような行為が、Aという犯罪にあたるのかBという犯罪にあたるのか、またはどれにも該当しないのかは、判断が微妙なケースも多く、その都度、警察や裁判所が法律を解釈しながら、妥当と思われる条文をあてはめているのが実情である、ということを書きたかったのです。

注:以下の記事は、平成21年3月の大阪地裁判決の際に書いたものです。
その後、明渡しを命じる最高裁決定が出ていますが、それについてはこちら
その後の状況についてはこちらをご覧ください。平成22年12月追記。

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法科大学院の話は後回しにして、「大たこ」の話。

道頓堀のたこ焼き屋「大たこ」が、大阪市からの撤去要求は退けたが、敷地使用料の支払いを命じられたとのこと(大阪地裁、3月31日)。

大阪ミナミの道頓堀に「大たこ」という昔からある有名なたこ焼き屋がありまして、屋台のようなお店で営業していますが、実はその屋台の敷地は大阪市の市有地で、大たこ側は市から敷地を借りたわけでもなく、「長年、勝手に使っていた」だけであった。

3年ほど前にそのことが大阪市からの指摘で問題となったようで、それに対し大たこ側は、土地の「時効取得」を主張し、土地の所有権を認めよと裁判を起こした。

他人の土地でも、自分の土地のように「占有」(支配)し続けると、自分のものになってしまうという制度が時効取得です(民法162条)。真に自分のものと思っていた場合なら10年、他人のものと知って居座った場合でも20年で時効となる。

大たこは、私が道頓堀へ遊びに行き出した中高生時代(20数年前)には既に営業していたので、ゆうに20年以上はそこで営業していたことになる。
では、大たこ側の時効取得が認められるかというと、大阪地裁は認めなかった。屋台を置いているだけでは、その土地を支配し続けていたとはいえない、という理屈のようです。

この裁判で大阪市は逆に、屋台の撤去と、これまでの敷地使用料の支払いを求める「反訴」を出していました。
では時効取得が認められないと、大たこは立ち退きしないといけないのかというと、大阪地裁はこれもまた認めなかった。

土地は大阪市のものとされたのに、大たこの屋台は撤去しなくていい。
一見奇妙な結論ですが、その理由は、①大阪市が不法占拠を長年放置してきたこと、②かつて大たこの営業継続を認めるような和解案を提示したこと、③大阪の観光資源であると市自ら認めていること、などです(日経1日朝刊)。
たしかに、大阪市のホームページなどには、観光スポットとして道頓堀や大たこが紹介されていたらしい。

法律論で言えば、かような状況で明渡しを求めることは権利濫用または信義誠実の原則に反するとか(民法第1条)、もしくは権利失効の原則が適用されるということでしょうか。判決文が手に入ったらそのあたりを確認したいと思います。

大阪市は、明渡しを認めさせることはできなかったが、かと言ってタダで市の土地を使わせてあげないといけないわけではない。
だから大たこ側は、賃料相当額として、1か月あたり1万数千円を払う義務があり、平成9年分から現在まで、約200万円の支払いを命じられた(平成9年以前の分はこれまた「時効」で消滅したということだと思われます)。

と、いうことで、大たこは今後も敷地使用料1万数千円で営業継続できることになった。
私自身は、大たこのたこ焼きについては特に思い入れはないので、実は結論はどちらでも良かったのですが、大阪地裁判決は落とし所としてはそれなりに穏当な結論であるように思います。
法科大学院9校に大学基準協会が「不適合」の判断を下したとか。

法科大学院とはご存じのとおり、司法制度改革の下に導入された「法曹」(弁護士、裁判官、検察官)の養成学校で、現在はここを出ないと司法試験を受験できないことになっている。

大学基準協会とは、各種大学に対し大学としての適性を有しているか判断するために設立された財団法人で、学識経験者が委員となっているようです。
この協会がどれほどエライ団体なのか(つまり法科大学院の生殺与奪の権限を握っているのか否か)は知りませんが、法曹を目指して日々勉強している学生の方々には、自分の通う法科大学院が「法曹養成機関として不適合」などと言われると、心穏やかではないでしょう。

法律学を勉強して法律家になるのも、小うるさくて、しち面倒なことになったものです。
で、以下雑談です。

私の大学時代は、法科大学院制度などありませんでして、そもそも私は大学在学中、弁護士になろうなどと思っていなかったので、必ずしも真面目に講義を聞いているわけではありませんでした。まあ、多くの学生さんはそんなものでしょう。
私はそこそこ出席率は良かった学生だと思うのですが、かと言って毎回出席を取る教授は嫌いでした(これも、多くの学生さんも同じでしょう)。

私が好きだった先生の一人に西洋哲学史の教授がいて、その人が言うには、「私は出席は取りませんので、講義に参加するかどうかは諸君の自由にしてください。その代わり、期末試験は苛烈にやります」とのことでした。

私はプラトンあたりの話が好きなのですが、その西洋哲学史の講義はデカルトの話がメインで、そのへんの話はあまり聞いていませんでした。期末試験ではどんな問題でもプラトンの話に無理やり持っていって答案を書きました。

ちなみにプラトンの本は読んでてそこそこ面白く、たとえば「饗宴」という作品は、登場人物が酒を飲みながら「愛」について語るという、今ふうに言えばテレビ番組の「あいのり」みたいな話です(この番組も打ち切りになりましたね)。

学生時代、プラトンその他西洋哲学をかじっていて、それが何か役にたったかと言うと、特に何も役にたっていません。でも、哲学は人生の役に立つとか、生きる指針を与えてくれるとかいったものでは決してない、ということがわかったということは収穫であったように思います。

と言いますと、哲学をやっている人を茶化しているように思われるかも知れませんがそういう意図ではありません。哲学は、世の中のいろんな物事や観念を、万人に納得できるような説明をするための学問です。それが、物質の動きを説明する方面に特化したものが物理学であり、紛争に際して他人を言いくるめる方面に特化したのが法律学だと思っています。

ちなみにプラトンは「愛」とは何かについてどう語っているか、興味ある方は「饗宴」が岩波文庫などから出ていると思うのでお読みください。

・・・・・・。さて、今の法科大学院制度がかなり窮屈で面倒なものであって、一方、私が受験したころの司法試験は詰込み型で望ましくないと言われているけど決してそうではない、という話をしようとしたら、あらぬ方向にそれてしまいました。
次回、話を収束することを目指して今しばらく書いてみます。
週刊現代の「大相撲八百長報道」に対し、東京地裁が計4200万円の損害賠償を命じるとの判決を出したそうです(26日、東京地裁)。
八百長報道には真実であるとの裏付けがなく、相撲協会や、朝青龍ら力士らの名誉を毀損した、とのことです。

報道、出版、意見表明が名誉毀損にあたるとして損害賠償が命じられるケースは昔からありますが、ここ最近、認められる損害賠償の額が高額化してきていると感じる人も多いと思います。もちろん私もそう感じています。

最近の有名なケースでは、橋下府知事が弁護士時代に、光市母子殺害事件の弁護団に対する懲戒請求をテレビで呼びかけたことが名誉毀損にあたるとして、1人200万円、4人分で合計800万円の支払いが命じられたケースがありました。

ではそもそも、名誉毀損に対する損害賠償額はどのように判断されるのか。

名誉を毀損されると、被害者に精神的苦痛が発生します。その精神的損害を賠償するのが「慰謝料」です。
それだけでなく、現実的な経済的損害が発生します。大相撲で八百長が横行しているなどと喧伝されれば、相撲なんてつまらない、見に行くのはやめだ、という人が増え、相撲協会の売上げは低下する。

しかし、名誉毀損の場合は、経済的損害の額を明らかにするのは不可能です。

これがたとえば交通事故などであれば、かかった治療費などは病院の領収証で証明できる。
しかし週刊現代の報道のせいで、相撲協会の売上げがいくら下がったのかは、証拠の出しようがない。仮に朝青龍の売上げが下がったとしても、それは記事のせいではなくて、単に憎たらしいからスポンサーが減っただけのことかも知れない。

このように、名誉毀損における経済的損害は「目に見えない」ものです。その点では精神的損害と大差ありません。

実際、橋下氏に賠償を命じた判決文を見ると、「原告(懲戒請求をかけられた弁護士)らの精神的ないし経済的損害を慰謝するには」1人200万円が相当だ、というふうに、二つの損害が一体のものとして書かれています。

そして、目に見えないものはあまり過大に評価しない、というのが、従来の判例の傾向であったかと思います。それが最近は変わりつつあるということのようです。
なぜこのように変わってきたのかということについては、余力があれば、いずれまとめて書きたいと思います。
少し前の話ですが、ケンタッキーのカーネル・サンダース人形が道頓堀川から発見された件について。

この話が全国レベルでどれくらい知られているか存じませんが、
昭和60年(1985年)、阪神タイガースが日本一を達成したときに、「阪神ファン」が道頓堀界隈で大さわぎし、カーネル人形を胴上げの末に道頓堀川に投げ落としたことがありました。何度か捜索されたが発見されなかったのを、今回、大阪市建設局が作業中に発見したというものです。

発見されたカーネル人形の処遇は、甲子園球場に置かれるのではないかとか言われていますが、まだ決定していないようです。

カーネル人形は誰のモノか、そしてその処遇について、法的に考察してみると、以下のようになります。

まず、カーネル人形の最初の所有者は、それを作製した日本ケンタッキーフライドチキンです。この人形は、加盟店がその加盟に際して売却を受けるそうで、これによってその所有権はケンタッキーの道頓堀店に移る。

それが、一部の「阪神ファン」によって道頓堀川の奥深くへ投げ込まれた。これによって、カーネル人形は道頓堀店の管理を離れてしまい、「遺失物」になる(誰の所有物でもなくなる)。

それを今回、大阪市が発見したということで、大阪市に所有権が移る。あとは、大阪市から阪神球団へ、カーネル人形が「贈与」されれば、甲子園球場に置くことが実現します。
(本当はもっとややこしい話になるのですが、極めて大ざっぱに書きました)

さて所有権の話はともかく、大阪のテレビでは連日この事件が、面白い、微笑ましい話のように語られていましたが、私はかなりの違和感を覚えました。そもそも、カーネル人形を投げ込む行為自体、あきれた暴挙としかいいようがありません。

彼らのやったことを法的に見ると、明らかに刑法上の器物損壊罪(3年以下の懲役)にあたるし、民法上も不法行為が成立し、カーネル人形の購入代金相当額の損害賠償責任を負うことになります。

繰り返しますが彼らのやったことは犯罪であり、違法行為であり、恥ずべき行為です。
本当の阪神ファンや、大阪の街を愛する人はあの中には加わっていなかったと信じたいと思っています。
今朝の朝刊から、大阪府政にからむ一件。

吹田市の府立児童文学館、大阪府は橋下知事の方針のもとでその廃止を進めているのですが、設立に際して1000冊以上の児童書を寄贈した児童文学者らが、
「文学館を廃止するなら本を返してくれ」と大阪府を提訴したらしい。

さて、児童文学者らの訴えは認められるのか。財政削減のため廃止はやむをえないとか、文学者がかわいそうだとか、橋下知事が好きか嫌いかとか、いろいろ意見はあるでしょう。

ただ私たち法律家がこういった問題を考える際の思考方法は単純明快です。
すなわち、原告の児童文学者に「本を返せ」という「法的根拠」があるか否か、そしてその前提として文学者と府の間にいかなる「契約」があったのか、で決定します。

まず、お金を寄付やモノを寄贈というのは、民法上の「贈与」契約に該当します。これは「タダであげます、あとはアナタのいいように使ってください」という契約です。
だから児童文学者はいったんあげた本の使い方に文句をいえない、という解釈もありうる。

しかし、贈与契約にも、一定の「条件」をつけることができる。これを「負担付き贈与」といいます。
よくあるのは、身寄りのないお年寄りが、若い親族や愛人に、身の回りの世話をしてくれるということを条件として、自宅その他の財産をあげる、という場合です。
この場合、身の回りの世話という「負担」(条件)を果たさないと、「債務不履行」(約束違反)ということになって、契約を解除し、あげたモノを返せと言えることになる。

児童文学者と府の間でも、「吹田市の児童文学館を存続させてそこに本を保管する」ということを条件とした負担付き贈与が成立したと解釈できれば、契約違反だ、本を返せ、という法的根拠が発生する。

おそらく、児童文学者と府の間で、これは負担付き贈与ですよ、と明確に書いた契約書が存在するわけではないでしょう。あとは、寄贈した当時に「児童文学館に保管し続ける」という暗黙の合意を見て取ることができるか否かという、双方の意思の解釈の問題になってきます。

意思の解釈は、当人が主観的にどう思っていたかということよりは、当時の客観的状況や、常識とか社会通念といったものから決められる。

話のレベルは突然落ちますが、たとえば女性に振られた男が逆上して「これまでおごったメシ代を返せ」ということがあります。これは明らかに認められません。その男がどう思っていたかは知りませんが、食事をおごられる際に、「この男に一生添い遂げることを条件とした贈与なのだ」と解釈する女性は常識で考えて存在しないからです。

今回の事件でも、本の寄贈がなされた客観的状況を前提に、単純な贈与だったのか、条件つきだったと認定してよいのか、そういったことが判断されることになると思われます。
前々回に途中まで書いた、動産の差押えについて。

不動産や債権と違って、動産は差押えをしてもあまり金にならないものが多い。
現に、ロプロ大阪支店でも、現金数万円とパソコンが差し押さえられたに過ぎない。債権者(強制執行を申し立てた側)は、500万円くらいの過払い金の返還請求権を持っているようなので、1パーセント程度が回収できたに過ぎない。

それでも、執行官がやってきて差し押さえをするのはかなり衝撃を与えると、ここまでは前々回書きました。

動産を差し押さえられるとはどういうことなのか。
ある日突然、債務者つまりお金を払う側の自宅(債務者がロプロのように会社であればその本社や支店)に、裁判所から執行官がやってきて、「今から動産を差し押さえます」と言われる。

債務者が商店をやっていて、商品の在庫(家電製品や衣料品など)があれば取り上げた上で、いったん倉庫業者などに預けて保管する。

債務者が自宅や本社・支店で仕事に使っているパソコンなども差押えできる。しかしこれを持っていってしまうと仕事ができなくなるので、ひとまず差押えの「札」を貼っておく(実際には小さいシールを目立たないところに貼られるだけですが)。

なお、債務者の自宅にある鍋・釜や冷蔵庫など、生活必需品は差し押さえないことにしているようです。

で、取り上げられたり「札」を貼られたモノはどうなるかというと、後日、競売にかけられる。と言っても、中古の在庫商品や、誰かが使ったパソコンなど、大した値段がつくはずがない。まさに二束三文です。

でも債務者としては、商品在庫や仕事用のパソコンが取り上げられると大変なので、競売が行われる日までに何とかしようとすることが多い。つまり、何とかお金をかき集めてきて債権者に返済しようとして債権回収が行われることも多い。
ロプロも、パソコンが競売にかけられる前に、きっとお金を集めてきて返済に充てるでしょう。

モノに限らず、お金がある場合はそれも押さえて持っていくことができる。ロプロの事件でも、現金数万円が押さえられたようです。
一般的には、債務者が生活に困らない程度の差押えしか許されないので、そこそこお金がある場合に、一部だけ取り上げるという運用がされているのではと想像するのですが、私が経験した動産差押えでは現金を取ったことはないので、実はよく知りません。

このように、動産差押えは回収率は悪いのですが債務者に与える心理的動揺が大きい点で、強力な手続きといえます。

借りたお金を返さないまま「俺には財産がないから取られるものはない」と開き直っているような人は、ある日突然、執行官が家にやってくるかも知れませんのでご注意ください。
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